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23. 父の秘密

 リンネの魔法で彼の応接間まで戻り、カップラーメンやスナック菓子の話をした。


 リンネは元の世界のことをほとんど記憶の彼方へ追いやってしまっているらしい。好きだったものを思い出すと、そのたび目を輝かせて日記帳へ書きつけた。ジャンクフードから始まって、やがて幼い頃に食べた祖母の作るおはぎのことや、誕生日のケーキのこと、小学校の近くの駄菓子屋のことにたどり着き、リンネは愛おしげにペンを走らせた。


「君と話すと、あの人生が気のせいじゃなかったって思えて嬉しいよ」


 何千年の記憶が何千回分もあるなんて、どんな心地がするんだろう。たった一回でも気が遠くなるのに、リンネは繰り返すシナリオの記憶を持っていると言うのだ。


「繰り返しの記憶があるのは僕だけじゃないからね、それについてはほんの少しだけ気が楽だよ。みんな、この運命から逃れたいって思ってるし」


 あ、そうだ、とリンネはペンを置いた。


「君にお客さんが来ることになってるから、もう少しここで待っててね」


 もう来ると思うという言葉通り、すぐに騎士が通路の入り口に姿を現し、その背後にいた人物は遠目に私を見つけるや否や、こちらへ向かって駆け出した。深い緑色のロングジャケットは艶のある生地で、たっぷりした袖のレースや襟元の大きなルビーのブローチは、さっき王子たちが向かった宮廷の晩餐会の参加者に相応しい装いだ。


「お父様?!」


 それが誰だか理解する前に、唇から驚きの声がこぼれていた。私ではなく、シェールビアの身体が覚えていたようだ。


「シェールビア!」


 駆け寄ってきた父は、椅子から立ち上がった私を思い切り抱きしめた。


「こんなことになってしまって、お義父様ももう頼りにできぬというのに」


「公爵、シェールビアがびっくりしてますよ」


 リンネが嗜めながらハンカチを差し出すと、オレアンド公爵は失礼、と言って私から腕を離した。


「すまない……君の魂は娘ではないと、先にリンネ殿から聞いてはいたのだが」


 私はリンネを横目で見た。なぜ父へそんなことを告げたのか、そもそも父とリンネは面識があったのか。


「君のお父上とは長い付き合いなんだよ。まだこれくらいの背丈の頃からだっけ」


 リンネは腰のあたりで下を向けた手のひらを、少年の頭を撫でるようにくるくるしてみせたので、父はそんなに小さかったでしょうか、と苦笑した。


「幼い頃はお前のお祖父様とリンネ殿の文通のお使いをしていたのだよ。うちはオレアンド家とも王家とも取引があったから、カモフラージュにうってつけでね。……さあ、長居できないから用件に入ろう」


 そう言うと、父は封書を差し出した。私の目のように鮮やかな紅の封蝋に、オレアンド家の紋章が押されている。父は一般的な赤い封蝋を使っているし、この色の封蝋を使うのはただ一人、亡くなった祖父だけだ。


 受け取るとずしりと重かった。分厚い手紙と一緒に何かが封入されているらしい。


「お前のお祖父様の遺言だったのだ。自分が死んでリンネに呼ばれたら、竜の洞窟でシェールビアに渡せと」


「ありがとうございます」


 濃いショッキングピンクの封蝋を指先でなぞって顔を上げると、父は微笑んで私を見つめていた。


「……勝手にこんなことに巻き込んでおいて無責任だが、幸せでいてほしいと思っている。だから、ティーリオ殿と愛しあっていると聞いて嬉しいよ」


 どっと顔に血が上ったのが、自分でもわかった。余程赤くなったのだろう。父は慌てて、すまない、と謝った。


「ビア、きみのお父上はループの記憶をお持ちなんだ。だから僕が手紙に書いた。今までの無限の繰り返しの時間の中でもなかったことだから」


 見兼ねたのだろう、リンネが会話に割り込んだ。顔から熱がひかないのはともかく、何も言わずに私が頷いたので父は驚いたようだった。


「不思議ではないわ、シェールビアがオレアンド公爵を殺すのだもの」


 魔王に身体を貸したシェールビアは試しに侍女の命を奪った後、まっすぐにオレアンドの血を引かない当主の部屋へ向かい、彼を殺すのだ。アスタやフロックスが繰り返す物語の記憶を持っているのだから、父もそうだと言われても、今更驚かない。


 ああ、だから父は、結婚式の後にシェールビアが豹変して辺境へ逃げ出しても驚きこそすれ、引き止めたり宥めたりしようともせず、アスタへ全て任せたのだ。今までの繰り返しとは違うことが起きている、ということに不安と希望を抱いただろう。娘が生き残れるように、世界を滅ぼさぬようにと。


 父は目を見開いて、他人事のようにシェールビアのことを話す(シェールビア)の姿をした私を見つめたまま、身動きもできないでいる。私は力なく体の横に下されたままの父の手からハンカチを取り、その目元を拭った。


「すまない」


 父はここへ来て、何度すまないと言っただろう。混乱しているに違いなかった。目の前の娘は娘であって娘でなく、娘を救うためにしたことの結果なのだから。


 それでもこの身体は間違いなくあなたの娘で、シェールビアはちゃんと父に愛された記憶と自覚を持っているのだと伝えればよかったのに、言葉がうまく出てこなかった。


「いつもお前を助けられなかった」


 頬に添えたハンカチごと、父は私の手をぎゅっと握った。


「正しくは、まだ救えていない、です。お父様」


 私は父を見上げて微笑んだ。父の優しくて平凡な茶色の眼は戸惑いを隠せずに、私を見つめている。


「お父様とお祖父様、それからリンネのできる限りの最善の策が、私をシェールビアにした(転生させた)のでしょう。私も最善を尽くします。元の人生では尽くせなかった気がするから」


 あれで精一杯だったけど、最善とは言い難かったと思う。もはや他人事だからそう言えるのかもしれないが。


「もっとも、シェールビアが私と入れ替わったとしたらと思うと申し訳なくて死にそうだけれど。私ばかりが幸せになっちゃったらズルいじゃない」


「ビア、それは違うよ」


 いつの間にか傍にいたリンネが、肩を抱いてくれた。冗談めかしたつもりだったのに、そんなに悲しそうにされたらつられてしまいそうだ。


「僕もそうだった。ろくな人生じゃなかったから。これまで苦労してきたリンネが僕と入れ替わってしまったなんてあんまりだと思っていた」


 リンネの手はゆっくりと私の背中を撫でてくれている。


「僕は全知全能の竜の力で、一度だけ、僕と入れ替わったリンネの様子を見ることができたんだ。……詳しくは話せないけど、幸せにしていたよ。リンネは僕で、僕はリンネだから、僕がここで幸せならリンネもあっちで幸せなんだ。その感覚、わかるでしょう」


 父は釈然としない顔をしていたけれど、私は曖昧に頷いた。身勝手な自分の妄想みたいだけど、リンネがそうだと言うなら信じてもいいというか、やっぱり身勝手にも信じたいのかもしれない。うーん、わからなくなってきた。


 リンネは考え込んだ私を見て微笑んだ。


「他人の人生だからできるってこともあるような気がするよ」


 そうね、と私は頷いた。


 気の強いシェールビアなら、あの人生を生きた私を不甲斐ないと思うだろう。それから、私よりずっとアグレッシブに生きてくれるに違いない。




 慌てて宴会場へ戻って行く父と入れ替わりに、別の騎士に連れられて駆け込んできたのは、フロックスだった。


「シェールビア様!もう!探しましたよ!」


「私はずっとここにいたわよ」


「もうお部屋でお休みだと思ってたんです」


 それでどうしたの、と言うと、フロックスは心底げんなりした顔をした。


「君、クラル城砦のフロックス?」


 リンネが聞くと、フロックスは慌てて片膝をついた。


「大変失礼いたしました、神聖竜様。第五騎士団クラル城砦所属の従騎士、フロックスでございます」


「え、やめてよ立って立って。え、マジかあ、ハグしていい?」


 リンネは感極まった顔をしているが、突然王族の始祖たる神聖竜にハグを求められたフロックスはしどろもどろにエッとかハイとかいやでもとかを連発している。


「ほらほら立って」


 リンネは満面の笑みでそうかぁ、とか言いながら、フロックスの両手を取って立ち上がらせ、人参色の癖毛をくしゃくしゃ撫で回し、流れるようにハグをした。リンネは背が高いから、成長途中のフロックスはすっぽり彼の腕におさまって、白いローブのたっぷりした袖で覆われてしまう。


「うわー感動。公爵から回してもらう報告書でずっと読んでて、間接的に知ってたんだよ」


 うわー泣きそう、とリンネはフロックスの戸惑いそっちのけで、抱きしめたフロックスの体をあやすようにゆらゆら揺らしている。さっきまで私と二人っきりだったからだろう、リンネはすっかり現代人のラフな話し方が戻ってしまっていた。


「やっと会えたね。……生きててくれてありがとう、フロックス」


 繰り返してきた無限のなかで初めて、物語が始まる前に陥落してしまうクラル城砦を本当に救うことができたのだ。リンネはその実感を噛み締めているのだろう。フロックスにはしばらく戸惑っていてもらうことにしたが、ふと思い出した。


「あ、ねえ。フロックス、何か急ぎの用事だったんじゃないの?」


 リンネがようやく腕を緩めてフロックスを解放し、フロックスはそうでした!と叫んで、悲痛な声でこう言った。


「ティーリオ様が大変なんですよ。僕らじゃ手をつけられないので、シェールビア様を呼んでこいってアルマン卿が」


「大変ってどういうこと?暴れてるの?」


 私が慌てて聞き返すと、横で聞いていたリンネが噴きだした。


「なぁに、リンネ。何がおかしいのよ」


 フロックスはじろりと横目で、くすくす笑うリンネを睨んだ。


「冗談じゃないんですよ!本気で大変なんです!」


 だろうね、とリンネは笑いながら言った。


「ティーリオは本当に君のことが大好きだね、なんだかとても安心するよ。……早く行っておやり」

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