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20. 王都へ

 早朝、私たちはクラル城砦を発った。


 国境警備のためラウリオが残るという案もあったが、第五騎士団長とクラル城砦の魔法士長がそれを固辞した。私の浄化魔法の影響が残っていて、それが防御魔法の性能を遥かに上回っているのだそうだ。だから、その加護が消えないうちに戻るのが最善だろうということになった。


 ティーリオとラウリオは馬に乗り、私は一人、第五騎士団から借りた馬車に乗った。その他には騎士団から派遣された護衛が四人、御者はフロックスが務めてくれている。私は馬に乗れないし、そもそもこの姿では馬車から一歩も出られない。


 試しにクラル城砦の魔法士たちが私の外見を隠す魔法をかけたのだが、蜘蛛の脚を人間の足に偽装するのは難しかった。立っているだけならいいのだが、歩くと途端に不自然になってしまうのだ。髪色に至っては魔法では隠せなかったし、物理的に染めてもギラギラした濃いピンクが透けてしまったうえ、一日でほぼ完全に落ちてしまった。だから、馬車から降りない以外の対策がない。


 王子二人は目立つのを避けるために第五騎士団の装備を身に付け、主要街道ではなく細い峠道を馬車に可能な限りのスピードで進んでいる。クラル城砦から王都への道のりは、普通の旅人なら十日間、急いで一週間、兵士たちで六日間、騎士が急いで五日間、早馬で三日間というところ。今回はショートカットできるルートを使っているが、馬車がやはり足を引っ張ってしまう。


 ごめんなさいと私が言うと、ほんとは義姉さんの翼が一番速いけどねとラウリオは冗談めかして笑い飛ばしてくれた。


 窓にはカーテンが下されているうえ、細い峠道を急ぐ馬車の車内は酷く揺れてるから、カーテンがなくとも外の景色を楽しむ余裕はなかっただろう。


 馬車の座面は奥行きが狭く、下半身が大蜘蛛に変異した私には座りづらかった。初日は馬車の中で座っているだけでへとへとになったが、御者台にいたフロックスは車内で壁にぶつかっていた私に気付いてくれていたらしく、その夜対策を一緒に考えてくれた。


 座席に座らず馬車の真ん中に立ち、車内に蜘蛛の糸を張り巡らせるのが良いだろうということになり、二人で試行錯誤したのは蜘蛛の糸の張り方だった。最初はハンモック状にして座ったのだが安定が良くなく、そもそも大蜘蛛の脚には筋肉痛という概念がなく立ちっぱなしでも辛くないのがわかったので、まず背中を支える網を斜めに張り、腰の両側を支える糸を足していく。念の為断っておくが私の糸は指先から出せる。ドレスのスカートをめくって尻から糸を出すのはさすがに嫌だ。


 フロックスと二人、ああでもないこうでもないと糸を張り巡らせていると、たまらなくアスタが恋しくなった。アスタと二人でサルヴァ村へ向かった時の旅が懐かしくて、アスタもここにいてくれたらと思わずにはいられなかった。


 でも、ティーリオたちが彼女を同行させようとしてくれたのを断ったのは私自身だ。どうしても、魔王の力の影響を強く受けた姿では彼女に会いたくなかったから。




 旅は誰もが思ったよりも順調に進んだ。


魔獣たちの妨害もなく、新たな地獄の口が発見されたという報告を受けることもなく、夜は野宿をして明け方に出発し、丸一日移動するという日々を繰り返した。


 単調な旅の毎日に日付の感覚がなくなった頃、私たちは日暮れ前の王都に到着した。そうしてとっぷりと暮れた夕闇の中、密かに王城へと入ったのだった。






 シェールビアはきらびやかな王宮に未練があったかもしれないけれど、私は元々興味がない。だから、不必要な人間にこの姿を見られないようにしてほしいとだけティーリオに伝えてある。


 馬車は王宮の正面を避けて通用門を通り、やがて停まった。カーテンの隙間から外を伺ったけれど、シェールビアは一番華々しい正面玄関しか通ったことがなくて、現在地はさっぱりわからなかった。


 ティーリオとラウリオが誰かと話している声が聞こえた。私は少し緊張しながら車内の蜘蛛の糸を回収し、派手な髪を隠すために黒いショールを被って、扉が開けられるのを待った。


「シェールビア様」


 コンコンと軽いノックの後、良く知ったフロックスの声が聞こえた時にはほっとした。


「開けて大丈夫よ」


 どうせ降りなきゃいけないんだし、とぼやいていると馬車の扉が開いた。扉の傍にカンテラを持ったフロックス、向かい側にティーリオとラウリオ、その傍に背の高い壮年の騎士がいる。甲冑は金色で、胸当てには王城守護を司る第一騎士団の竜の意匠。白いマントは団長の証だ。


「シェールビア様、ご事情は第五騎士団からの伝書でお伺いしております」


 手を貸してくれたその人は第一騎士団長、つまりこの国の騎士団総帥で王の最側近、そして二人の王子の剣術の指南役でもある。


「アルマン卿ですね」


 手を預けて言うと、彼が意外そうに眉を上げたので思わず笑ってしまった。シェールビアは社交界の外に興味がなかったし、アルマン卿は社交界にあまり縁のある人間ではなかったからだろう。


 アルマン卿は人気のあるサブキャラで、レビューサイトなどでは攻略対象でないことを嘆く声も多かった。ロマンスグレーの素敵なおじさまで、誰とのルートでもヒロインの恋と戦いを後押ししてくれる。攻略はできないがプレイアブルキャラで、戦闘に欠かせない火力要員でもあった。ゲームでは攻略対象五名とプレイアブルキャラ二名の中から三名を選んでパーティーを組むのだが、盾職のティーリオを入れると火力が不足するので、アルマン卿にはものすごくお世話になった。


 王城に滞在する間のことは全て、アルマン卿が手配してくれるそうだ。


 見張りの兵士以外に出会うこともなく、私たちは兵舎の奥の武器庫の奥のドアから妙に広い石造りの階段を降りた。地下へ向かうようだった。


 王子二人には慣れた道順なのだろう、何やら二人で話し込みながらずんずん先へ進んでいってしまう。ちょっと面白くない。



「ラヴァンドルの王城には無数の地下通路がありましてね」


 通路には等間隔に灯りが焚かれているが、それでも暗い。足元に気を付けて、とアルマン卿が手を貸してくれようとするが、今の私は夜目が効くし、脚が八本もあると転びようもない。それよりできればあまり振り返らないでもらいたかったので、その手を避けて軽くスカートを持ち上げ、はっきり大蜘蛛の脚が見えるように段差を降りてみせたが、アルマン卿はエスコートを拒んだことをスルーして続けた。


「王族と第一騎士団の精鋭のみが利用できるのです。地下通路があることは有名ですが、慣れないとただの迷路ですから」


 地下通路と言えど二車線分くらいの幅はあるし、高さも三メートルほどはありそうだ。非常用にしては随分広い。脇道がぽっかりと暗い口を開いているのを幾つも通り過ぎて、やがて開けた空間に辿り着く。


 ドーム状の天井に、水の流れ落ちる音が反響している。ラウリオとの話が終わったのか、ティーリオが振り返った。


「ここは聖堂の真下に当たる。流れているのは聖水だから、念のため触らないでおいてくれ」


 差し出された手に気付かなかったふりをしてティーリオの傍を通り過ぎ、私はその空間へ進み出た。放っておかれていたからちょっと拗ねていたというのも嘘ではないが、何かを考えるより前に、その空間に引き寄せられていた。


 細かな水の粒子が空気を満たしている。聖水でこの身体が傷付くなら、この時点で何か異変があるだろう。


 深呼吸をすると頭から被っていた分厚いショールが背中から滑り落ちたけれど、拾うことすらしなかった。ああ、ずっと息ができていなかったような気がする!ここだって地下だけれど、ずっと狭い馬車の中に閉じこもっていたからだろうか。


 小学校の校庭くらいの広さの石畳を足早に横切ると円形の広く浅い池が設けられていて、奥の天井から壁面の岩肌を伝って流れ落ちる聖水の滝を受け止めている。なるほど、聖堂の祭壇の前の水盤から溢れた水はここへ流れているのだろう。壁面に掛けられた灯りが、小さな滝と池をきらきら輝かせていた。


 背後から焦ったようなティーリオの声が聞こえていたが、聞き流してしまった。それほど、爽やかな水の匂いとひんやりした風は魅力的だった。


 滝に近付くと細かな水飛沫が涼しくて心地良く、意識するより先に小さく畳んで隠していた六枚の翼が伸びをするように、いっぱいに開いていた。試しにスカートを持ち上げて大蜘蛛の脚を水に浸してみたが、浄化作用でダメージを受けることもなく、冷たい水が気持ちいいだけだ。


「魔獣とは言うけれど、魔王の配下だって彼ら自身が最初から邪悪なわけじゃないからね」


 すぐ近くで落ち着き払った柔らかな声がしたから顔を上げたけれど、誰もいない。


「いつもは呼んでもなかなか起きてこないくせに」


 聞いたこともないようなラウリオの拗ねた声が聞こえて、私は勢いよく振り返った。三人はまだ通路の入り口にいて、悔しそうな双子の背後でアルマン卿が苦笑している。そういえば聖水に触れるなと言ったのに、ティーリオも追いかけて来ない。


「ちょっと待っていてくれ。すぐそっちへ向かうから」


 さっきの声が愉快そうにそう言うと、あのジジイ、とティーリオが悔しそうに呟いたので、私はさっき声のした方を振り返った。


 やっぱり誰もいない。なるほど、あれが例の『ジジイ』というわけだ。


「君の邪魔にならないよう結界を張ったんだ」


 真ん中の騎士さんは僕の結界を斬れるんだけどね、と耳うちされて思わずアルマン卿を見ると、笑いながら小さく両手を挙げている。


 もう一度振り返ると、間近で細められていた紫の目がすっと後ろへ引いて適切な距離を取った。


 雪のようにという表現がこんなに似合う人に会ったことがない。それほどに白い肌、王子たちより鮮やかな紫の眼にかかる長い睫毛も真っ白。白いローブに長くて白い髪がゆるやかに波打って落ちているのが、聖水の滝のようだ。


「オレアンドのお嬢さん、ようこそ王都の地下へ」

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