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19. オレアンドの呪い

「ビア」


 抱きしめる腕が解かれたのが残念に感じて、自分のことながら少し呆れてしまった。ティーリオはベッドから下りて、床へ跪いた。


「指輪をお前の指にもう一度、はめさせてくれないだろうか」


 私を見上げる紫色の双眸は、不安に揺れてはいなかった。


「愛している、ビア」


 私は頷いて、左手を差し出した。ティーリオの大きな手が薬指に指輪をはめてくれると、しばらくそこに開いていた空虚が埋められてしっくりと馴染んだ。透明になっていた魔力石がふわりと色を帯びて、見る間に美しい紫に発色する。


「気恥ずかしいものだな」


 ティーリオが紫に染まった魔力石を見下ろして呟いたので、私は嬉しくなって笑ってしまった。


「ティールの指輪も見せてください」


 紅の魔力石は以前より深く、鮮やかな色に見えた。私は彼の左手を取って、頬をすり寄せながら聞いた。


「同じ色ですか?」

「ああ」


 綺麗だ、とティーリオは私の目元にキスをくれた。






 コンコンコン、とドアがノックされた。


「なんだ」


 ドアを開けたのは、ラウリオだった。


「仲睦まじいところごめんね。良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」


 少しだけ、ティーリオとの時間に舞い上がっていたのだと思う。私は笑いをかみ殺した。どうせ、ハリウッド映画の定番の台詞回しだなんて、説明のしようがない。


「良い知らせは」

「サルヴァ村は死者なし、軽傷者三名。義姉さんたちが助けた羊飼いの子と、避難時に転倒したおじいちゃん、もう一人は魔狼(ワーグ)に咬まれてるけど、騎士団の魔法士と軍医を派遣した」

「悪い知らせは」


 ラウリオはちらりと私の方を見た。


「オレアンド前公爵が亡くなった」


 二人が私を見た。そもそも、オレアンド前公爵、つまりシェールビアの祖父はまだ存命だったのか。ゲームでは他界済みだったように思う。


「オレアンド公爵からシェールビアに公式の報せが入るはずだから、第五騎士団に回しておくように手配したよ」


 ティーリオは頷いた。


「亡くなったのは具体的にいつだったか聞いたか」

「表向きには三日前だけど、もう少し前だったようだよ」

「ビア」


 二人のやりとりが緊迫しているのはわかるのだが、シェールビアの祖父の死にどれほどの意味があるのか、本当は一番わかっていなければならないはずの私だけが、掴めずにいた。


「俺たちはオレアンド公爵家のことをあまり知らないが、家督と魔王を封じる秘術のことを聞いてはいないか」


 シェールビアは聞いていない。全然。


「父は入婿ですから、そもそも知らないでしょう。祖父とは随分前から疎遠になっていて」


「義姉さん」


 ラウリオはベッドの傍の椅子に腰を下ろし、私と目線を合わせた。


「義姉さんのそれ、もしかしたら『オレアンドの呪い』じゃないかと思うんだ」


 『オレアンドの呪い』とは、国一番の財力と権力を誇る公爵家に関してまことしやかに語られてきた都市伝説である。魔王を一族の血で封じる秘術では、魔王の力とオレアンドの血が混ざり合ってしまう。そのためその秘術の要となる当主は異形となってしまうのだとか、オレアンドの一族は新月の夜には魔王の眷属の姿になって理性を忘れ、人の生き血を啜るのだとか、そういう類の噂だ。シェールビアはどんな夜にも魔物に変化したりはしなかったし、そんな噂を気にしたことはなかった。


「先々代のオレアンド公爵は滅多に宮廷に現れなかったって、聞いたことがあるだろう。それが噂の出処だったんだけど、先代のオレアンド公爵は積極的に出仕して先王を助けられた。それで噂は払拭されたんだけど」


「お祖父様は大魔術師だったわ」


 私が青ざめてそう言うと、ラウリオは頷いた。先代のオレアンド公爵は王室の魔法士たちを凌ぐ実力の持ち主で、大魔術師と呼ばれた。オレアンドの魔石は後代のために彼の魔術によって強化され、魔王を幾重にも閉じ込める檻となった、というのはシェールビアの記憶ではなく、ゲームのシナリオで読んだはずだ。


「とにかく、公爵からの報せを待つしかないだろうな」


 ティーリオが言うとラウリオが頷き、こう続けた。


「それから、王室の魔法士たちに文献を当たってもらったんだけど、オレアンドの血筋で治癒魔法の使い手は見つからなかった。浄化魔法については使えるはずがないって」


「使えるはずがない?」


 ティーリオが聞き返した。


「浄化魔法というのは、主に魔獣の毒や痕跡を消して、災いを呼ぶのを阻止するためのものだ。オレアンドの血は魔王の力を帯びているから、オレアンドの血筋の者に浄化魔法をかけると、燃えて弾かれるくらいなんだって」


「クラル城砦の魔法士たちは、あの魔法がビアのものだったって言ってるんだろう」

「うん、僕もそう思うしね。あの白い光には義姉さんの力の気配があったよ」


 ふむ、とティーリオは頷いた。


「一度、ジジイに聞いてみるか?」

「僕もそれしかないかなと思ってた」


 ティーリオの口から漏れた『ジジイ』があまりに似つかわしくなくて、私は変な顔をしていたと思う。


「ああ、ジジイっていうのはね」


 ラウリオは言いかけてから、楽しそうに意地悪く笑った。


「楽しみにしといてもらおうかな。ティール、内緒にしておける?」


 わかった、となぜかティーリオまで嬉しそうに言い、肝心なところを内緒にされてしまった。






 オレアンド公爵からの書簡は次の日届いた。大したことは書かれていなかったが、『帰って来なくてもいい』と繰り返し、何度も書かれていた。


「帰ってきてほしくないみたいだね」


 それを読んだラウリオが言った。


「いい娘じゃなかったですからね」


「第一王子妃は返上しなかったから親孝行だよ」


 ラウリオは私の手を取って、わざとらしく音を立てて結婚指輪にキスをした。


「ティールにはめてもらったんでしょう。君の指に戻った時の指輪の歌、君にも聞こえればよかったのに」


「私だって、私にも聞こえたらいいのにって時々思うわ」


 ラウリオは笑った。


「話は戻るけど、君のお父様が君に帰ってきてほしくない理由、他に心当たりある?」


「ゴシップ誌や社交界のうるさ方は飛びつくでしょうね」


「そういうのじゃなくて」


「オレアンドの魔石に近付けたくないのだと思うけれど」


「それはさすがに避けよう。僕らもこの状態の君を、公爵邸に行かせはしないよ」


 ラウリオは苦笑した。


 私たちは明朝密かに、王都へ向かうことになっている。二人が『ジジイ』と呼ぶ誰かに、会いに行くためだ。けれど今の私の姿では、王都どころかサルヴァ村も歩けない。


 クラル城砦の兵士たちは、敷かれた箝口令を不満に思ってくれたらしい。多くの騎士たちが既に城内で私の姿を見ていたし、一人で魔獣たちを殺戮するのも、あの光で多くの負傷者を救ったのも、フロックスに射落とされるのも、かなり多くの者が目撃していたからだ。さすがにはじめは恐る恐るだったが、今では私が城内にいても親しく挨拶されるし、誰もが親切に接してくれるようになった。


 その信頼に慣れてしまったから、王都へ行くにも気が重いのは確かだ。もちろん姿を隠して移動するが、多かれ少なかれ恐怖や嫌悪を向けられる機会はあるだろう。いくら国の危機を救ったとは言ってもほとんど誰も知らないし、仮にそれを知っていたって、今の私の姿は魔獣の寄せ集めだ。


「義姉さん」


 私の心配を見透かしたように、ラウリオが微笑んだ。


「ティールを信じて」


 私は頷いた。

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