18. 浄化と治癒の力を持つ悪女
その時君は、浄化と治癒の魔法を使ったんだ、とラウリオは言った。
「魔法なんて使えないわよ。オレアンドの血筋のこと、知ってるでしょう」
やっぱり覚えてないんだね、とラウリオは言った。
「ここを起点に、一瞬クラル城砦の全てが真っ白な光に包まれたんだ。僕は階段を登ってる途中で、何が起きたのかわからなかった。慌ててここにたどり着いたら、医者がもう目覚めないかもしれないって言ったティーリオが起きていて、君が窓の傍にいた」
ラウリオの手は、私の手をしっかりと握っていた。
「フロックスが君を射落として、死にかけてたはずのティールが血相を変えて駆け出して、僕はそれを追いかけて……地面に落ちた君の体を抱いてティールが泣くから、宥めてベッドに戻そうとしたら喧嘩になるし、遅れて走ってきたフロックスは泣きながらごめんなさいごめんなさいって叫んでたし、なんだか、そりゃもうすごかったよ」
想像して余りある。正直、気を失っていてよかったとさえ思った。
「気付いたら僕らの周りに人だかりができてて、呼ばれて振り返ったら、クラル城砦の軍医長が立ってた」
ラウリオは愉快そうに笑った。
「思い起こすとめちゃくちゃ面白いんだけど、ほんとに笑いごとじゃなかったよ。ティールはまだ泣きながら吼えてたし、フロックスもパニックを起こしてた。集まってきた騎士たちもそれぞれ好き勝手なことを喋りまくってたから、軍医長の声が聞こえなくてイラッときて、思わず、黙れ、って、ちょっとだけ王族の力をね、声に乗せちゃった」
そんな、テヘ☆みたいな顔をして言うことではない。ラヴァンドルの王族は神聖竜から受け継いだ支配魔力を持っていて、その力は有無を言わせず相手を従わせるものだ。軽々しく使っていいものであるはずがない。
「まあとにかくそれで静かになったから、なんですかって軍医長に聞き直したら、負傷者が突然全員全快したんですが、さっき何が起きたんですかって、途方に暮れた顔をしてるわけ」
あの時の、全員が思考停止した沈黙ったらなかった!とラウリオは思い出し笑いをしている。
「魔法士たちの魔法だって、一瞬で傷を治すなんてできないよ。ましてや魔獣の毒の傷なんて、何年もかけて治療しても完全に癒えることはほとんどないのに。それに、クラル城砦を全部包み込むくらい大規模な魔法だった。あんな魔法を使える者、ここにはいないよ。だから、使ったのは君だとしか思えない。君は覚えていないみたいだけど」
強力な浄化と治癒の力といえば、思い出せるものは一つしかない。でも、そんなことがあるだろうか。ただでさえ魔王を介してもいないのに半魔獣のような姿になってしまって、私自身が浄化されなければならないような姿をしているのだが。
「そういえばラウリオ様、私のこの姿、気味悪くないんですか?」
「今さらラウリオ様なんてやめてよ、慣れてくれたと思ったのに」
ラウリオはわざとらしく拗ねた顔をしてみせたので、六枚の翼を広げて威嚇して見せた。
「うわ、すごい。随分小さく畳めるんだね」
威嚇されてくれなかったらしい。
「でも、あんまり広げない方がいいよ。傷口がズレちゃうといけないから」
そう言って、手近に伸びた翼を軽く、優しく撫でてくれた。矢に貫かれ、破れた翼は縫合されている。邪竜の翼は薄い皮膜のようなもので、光に透かすと細い血管が通っているのが見える。
「そうそう、軍医長がこれで多分大丈夫だけど、こんなもの縫ったことないから、何か不具合があったら教えてくれって言ってたよ」
僕はこの翼羨ましいけどな、とラウリオは笑った。
「あ、そうだ。フロックスにも声をかけてやって。一応君の無事は伝えておいたけど、かなり落ち込んじゃってたから」
でも今は、とラウリオは椅子から立ち上がった。
「君の大事な人のお帰りだ」
ドアを開けたティーリオは、ベッドに起き上がっている私を見ると、カッと目を見開いたまま、立ち止まってしまった。私は慌てて翼をしまった。
「ティール、義姉さんが困ってるよ」
ラウリオはおかしそうに笑った。
「じゃ、義姉さん、また後でね」
ラウリオが小声で耳打ちしながらティーリオを部屋の中へ押し込んでドアを閉めたので、私たちは二人きりになってしまった。私は間が持てずにばっちり合ってしまった目を逸らしたけれど、目のやり場がなくて下を向くしかなかった。
ティーリオが近付いてきて、ベッドの傍にやってきた。ラウリオが椅子をそのままにしていったので、どこに座るか迷ったらしい。数秒の後、ベッドの私の傍に、ようやく腰を下ろした。
「ビア」
ティーリオの低い声が掠れていた。
「ビア、……抱きしめても、いいか」
私は頷いた。気味悪くないですか、とか、怪我は大丈夫ですか、とか、聞いておいた方がいいようなことが頭を掠めたけれど、ティーリオの体温と匂いが傍にあって、大好きなティーリオの声でそんなふうに言われてしまうと、抱きしめられたいという欲求に勝てなかった。
ティーリオの腕がそっと私の腰に回されて、引き寄せられた。その大きな暖かい体に閉じ込めるように、ティーリオの両腕は私をしっかりと抱きしめた。
「すまない」
ぽつりと、ティーリオが言った。
「ラウルはちゃんと言葉で言えと教えてくれたが、言葉が何も出てこない」
私は少しだけ笑った。
「私もですから、大丈夫。色んなことがありすぎて」
そう言うと、私を包む大きな体から力が抜けるのがわかった。
「ティール様」
「ティールと呼んでほしい。……気になるなら、二人きりの時だけでも構わない」
「ティール」
言ってしまってから、少しだけ後悔した。その使い分けは、ちょっとエロティックではなかろうか。
「ビア。俺の愛しい妻」
耳元で低い声が囁いて、私は思わず身震いした。その言葉を聞くのは、初めてではなかった。クラル城砦で私が邪竜に狙われた後から、ティーリオは何度も、私にそう囁いた。甘いセリフの得意なキャラクターでも、冗談めかして言えるキャラクターでもないのに、何度も何度も。
私はティーリオの顔を見上げた。耳元どころか、首筋まで真っ赤にして。それでもこんな風に愛を伝えようとしてくれる人に、私は真っ直ぐ向き合って来なかったのだ。この愛は私のためのものではないと思ったから。
けれどきっと、これは元の貴族令嬢のためのものでも、もうない。
「あいしてます」
囁きを返せば、潤んだ目が恐る恐るこちらを見つめた。
「ビア」
「でも、こんな化け物でいいんですか?」
私は笑って、わざと蜘蛛の脚先でティーリオの太腿をつついた。怖がったり青ざめたりしたらやめてあげるつもりだったのに、ティーリオは余計にもじもじと赤くなったので、仕掛けた私の方がたじろいだ。
「えっ」
特殊性癖の設定もなかったと思うのだが。
「俺の目が覚めた時、お前はそこの窓の傍にいただろう。俺には、神々しい……女神のように見えた。ロカイ帝国の神話には、破壊と再生を司る女神がいるという。その女神のことを、思い出していた」
「女神ではありませんよ」
私は笑ったけれど、うまく笑えなかった。
『太陽と月の王国物語』のヒロインは、誰の好感度も上げず、誰とも恋をせずに物語を進めると、世界を救うためにたった一人で魔王と対峙し、自分の浄化の力と魔王の力をぶつけ合って無効化することで、魔王の存在とともに、自分の存在すら消し去ってしまう。そして魔王という存在も初めからなく、魔王を封じる公爵家も存在せず、世界を救う聖なる乙女もいない、平和な世界が残るのだ。
一応、攻略サイト等ではそれがトゥルーエンドということになっているが、私はそれに納得がいかなかった。誰かと幸せになりたいと願えば他の誰かを不幸にしてしまうからと、皆の幸せのために自分を犠牲にできるヒロインが、気に入らなかった。
誰の好感度も上げないということは恋人の特殊スキルも協力スキルも使えないため、RPGとしての難易度が高くなる。だからそのルートを攻略するのに二週間もかかったのに、ゲームでくらいとびきり幸せになりたいと思わせてくれたっていいじゃないかと思ったら腹が立って、三日もゲームを起動しなかった。三日経つ頃には残った他のルートが気になりだして、結局またプレイしたのだが。
女神なんかになりたくない。私は、私だって、幸せになりたかったのだ、本当は、ずっと。
「ビア?」
「ごめんなさい。女神なんかになって、ティールから離れなきゃいけなくなるのは嫌だなと思ったから」
「それは、俺も嫌だな」
ティーリオは笑って、すまない、と言った。
「世界が滅びるとしても、お前を失いたくない」
欲しい言葉をくれるティーリオにつられて私も笑ったけれど、もしも世界が滅びるその時が来て、ティーリオを守るためなら、私は私を失ってもいいと思うのだろうな、と思った。




