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16. オレアンドの血に従え

 邪竜は私を、魔獣たちの群れの只中へと運んだ。魔狼(ワーグ)たちは私と邪竜から距離を取り、ぐるぐると歩き回って威嚇を始める。邪竜が私の傍で咆哮し、彼らを脅した。


ーーオレアンドの血に従え。


 そう叫ぶ私は、怒りに支配されていた。いや、頭がぐらぐらするような怒りに支配されている身体を、醒めたような気持ちで観察していたのが私だったのだろうか。魔狼(ワーグ)たちの悔しげな唸り声と、狼狽えた蜘蛛たちのたてるしゅうしゅうという音が私を取り囲んでいたけれど、恐怖は一切感じなかった。


ーーオレアンドの血に従え!


 城砦からは、私が自爆したように見えたという。魔狼(ワーグ)たちの毛皮や肉、大蜘蛛たちの薄汚い脚が飛び散り、もうもうと真っ黒な煙が上がった。


 実際のところ、そこで自分の身に何が起きたのかは私自身にもわからない。客観的に説明するなら身体の中で煮え滾って渦巻いていた怒りで私という存在が炸裂し、周りのもの、邪竜も魔狼(ワーグ)も大蜘蛛たちも、彼らの身のうちに渦巻く恨みや怒りのエネルギーも、全て巻き込みながら収縮して再構築したのではないかと考えている。主観的にはすごい力でバァンと弾けて色々吸収してギュッと圧縮されたという感じ。


 私は何もかもを吹き飛ばした中心に立っていた。さっきの爆発を目の当たりにしてなお、力の差すらも理解しない愚かな魔狼(ワーグ)たちを吹き飛ばすには、軽く指先を振るだけで良かった。怒りのエネルギーは思い通りに放たれて、その矛先の向いた相手を正確に破壊する。魔狼(ワーグ)たちをあらかた殺し終えると、私は背中の三対の翼を広げ、空へ舞い上がった。地獄の口の在処は、研ぎ澄まされた感覚が教えてくれる。力強く羽ばたけば、地上で魔物も人も怯えて右往左往するのがわかって愉快だった。


 森の上を飛び、地獄の口の上へ急下降しながら力任せに怒りのエネルギーを放つ。


 ーーお前たちがいなければ。……私さえいなければ。何もかもうまくいったのに。


 私が怒りをぶつけると地獄の口は次々と奥深くで崩れて埋まり、出て来ようとしていた魔獣たちを生き埋めにした。一つ、二つ、三つ、四つ、……八つであっていただろうか。


 三対の翼に、国境などなんの意味があろう。空高く舞い上がった私は哄笑した。


 ティーリオはロカイ側の許可を待とうとしていたのに、ロカイ側は判断を先送りにしていた。地獄の口の爆破許可など、国境警備隊が即時に判断できるはずだ。ロカイ側がやったっていい。ロカイ側の対応の遅さは、わざとだとしか思えない。国境を超えたロカイ側は不毛の地だし、魔獣たちはなぜかラヴァンドル側へしか侵攻しないが、魔王の所在が関係しているのかどうかはわからない。愚かな魔獣たちにはそれほどの思考すらもないからだ。


 私はロカイの砂漠に降り立ち、七つの地獄の口を順に、徹底的に潰した。一つずつ、跡形もなく真っ平らな元の砂漠に戻るまで。逃げ惑う魔獣たちを最後の一匹まで、肉塊になるまで叩き潰して、ようやく気が済んだ。


 クラル城砦の城門近くまで飛んで戻る頃には、全身を満たしていた怒りの波が、引いてゆきつつあるのがわかった。


 疲労に気付いた瞬間、ティーリオの傍で眠る夜のことを思い出した。きっともう二度と、あの暖かい場所には、帰れない。悲しみが翼を重くして、みるみる地面が近くなる。


 着地はあまりうまくいかなかったけれど、擦りむいたかもしれないくらいで済んだだろう。それよりも、悲しかった。


 目を閉じると、真っ暗で、ひとりぼっちだった。それは、もはや懐かしくすらあった。かつて慣れ親しんだ無気力な気持ちが、じわじわと迫ってきていた。怒りを使い果たして空っぽになった私に残っているのは、肌に馴染んだ空虚な絶望だけだった。






 役立たずで人の邪魔にしかならない、社会のごみみたいな私に、どこの世界にだって、居場所なんてあるはずがない。


 子供の頃からずっと、努力してきた。人よりできないことが多かったから。努力して、努力して、失敗して、這い上がって、今度こそはうまくいくと思ったのに、裏切られて追い落とされて、半人前扱いされ、いないもの扱いされ、どんなに仕事をこなしても、一人前の人間だとは認められなかった。


 時間を切り売りして働いて、残った時間は眠ることしかできなかった。もう、生きているとも思えなかった。


 それが、私という人間だった。






「シェールビア様」


 肩を揺すって起こしてくれたのは、若い男の子の声だった。誰だっけ。


「シェールビア様、魘されてますよ、起きてください」


 目を開けると、ぼんやりした視界に人参色の赤い髪が揺れていた。瞬きを二度ほどしてようやく、緑の目が私を見ているのに焦点が合う。


「……フロックス」

「そうです、クラル城砦の従騎士のフロックスです」

「……ここは」

「クラル城砦の地下牢です。あなたを連れてくるのに、ここしか許可が下りなくて」

「ティール様は」

「まだ意識が戻られませんが、生きていらっしゃいます」

「……良かった」


 私は目を閉じた。


「サルヴァ村は」

「無傷です。クラル城砦も。負傷者はそこそこ出ましたが、まだ誰も死んでません。それより、何か食べられそうですか」


 目を開けるのも億劫だった。


「おなかすいてないわ」

「三日も眠ってらしたのに?」

「ティール様は三日も意識がないの?」


 目を開けると、フロックスはしまった、という顔をしている。

「騎士団の魔法士が治癒魔法をかけていますが、効いているのかどうかも」


 フロックスはばつが悪そうに、そう言った。


「フロックス」

「はい」

「どうして私を殺してくれなかったの」

「どうして殺さなきゃいけないんですか」


 フロックスの声がカチンと硬質に響いた。私は笑ってしまった。


「どうして笑うんです。笑いごとじゃないですよ、どうして城砦を救ってくれた人を殺さなきゃいけないんですか。だから、ここへ連れて来るのにも反対だったのに」

「優しいのね」

「普通です」


 ようやく、ぼんやりしていた意識がはっきりしてきた。


「今の私は化け物だわ」


 六枚の翼は今は畳んで隠しているが、毛布の下、スカートの中には大蜘蛛の胴と八本の脚がある。頑張れば翼を隠すみたいに六本の足を隠して、残り二本で人間の脚に擬態することくらいはできるかもしれない。でもたぶんもう、完全な人間の形には戻れない。


「でも、その化け物がクラル城砦を救ったんです」


 僕はずっと見張り台から見ていたのに、とフロックスは言った。


「フロックス」


 私は年若い従騎士を手招いて、ベッドの傍に膝をついたフロックスの、あちこち跳ね回るやんちゃな赤毛を撫でた。


「泣かないで」


 きっと私を城砦の中へ連れてきてくれたのは、フロックスだろう。騎士たちだって魔獣と混ざった私の姿を見たら怖がるだろうに。騎士団長だって、この姿の私を城砦の中へ入れる許可は出し辛かっただろう。おそらく地下牢だって、最大に妥協した結果だ。


「ねえ。食べるもの、もらってきてくれる?」


 私が笑うと、フロックスは手の甲でごしごし顔を拭いて頷いた。


「ついでに団長を呼んできます。シェールビア様の目が覚めたら呼んでくれって、言われてるので」


 もう少し休んでて下さい、とフロックスはなんとか微笑んで見せてくれた。


 私は頷いて横になり、もう一度目を閉じた。

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