13. 行方不明の子供
ティーリオは本当に、私の住む小さなコテージで暮らすことにしたらしい。
騎士団から給料も出るし、ずっとここで暮らせる、と大真面目な顔で言われた時には冗談だと気付けなくて、本気で返答に困ったのを大笑いされてしまった。ティーリオが大笑いするシーンなんてゲームにもあった覚えがなくて、録画も録音もできないのが本当に残念だと思った。
私もティーリオも、ずっとこのままではいられないだろうということは痛いほどわかっていた。だから二人とも、ずっとこのままいられるかもしれないという夢を見ていたかったし、今だけでもお互いのためにそれを叶えたかったのだと思う。
朝起きると、ティーリオがコテージの庭で剣の稽古をしているのを窓からしばらく眺め、朝食にパンケーキを焼いたりしてから、二人でサルヴァ村を散策したり、小さな商店へ買い物に行ったり、広場の行商を冷やかしたり、お昼には木陰でサンドイッチを食べたり、そのままお昼寝をしたり、川辺で水切り遊びをしたり、野の花を摘んだりして夕方まで子供みたいに遊んだ。
夜には慣れない調理用ストーブに四苦八苦しながら二人で夕食を作り、一日の終わりには当然のように、クラル城砦でしていたように寝室の小さなベッドで、手を繋いで二人で眠った。
三日間のティーリオの休暇が終わると、いってらっしゃいと送り出しておかえりなさいと迎える日々が始まった。ティーリオがクラル城砦へ仕事に行っている間にアスタがやってきて、お喋りをしたり私の家事を手伝ったりしてくれたし、挨拶をかわしたりできる知り合いも、だんだん村の中に増えていった。
おとぎ話のような、おままごとのような日々が、このままずっとずっと続いていくのではないかとすら、思い始めていた。
私はティーリオに、甘えきっていた。
その日の午後、村での買い物帰りにアスタの家へむかっていると、玄関先で珍しくアスタの兄が声を荒げているのが聞こえた。近付いていくと、アスタとアスタの兄、それから村で見かけたことのある羊飼いの少年がいて、少年は泣いていた。
「ビア様」
アスタが先にこちらに気付いて駆け寄ってきて、アスタの兄はきまり悪そうな顔で私に頭を下げてくれた。
「何かあったの?」
「羊飼いの子が一人、昨日から行方不明なんです」
「昨日から?」
アスタは頷いた。
「あの子の姉で、金髪のおさげのふっくらした子。ビア様も会ったことがあると思います」
その子なら覚えている。一度、ティーリオと川辺でお昼を食べていたら、お姫様にと野の花の愛らしい花冠をくれたことがあったのだ。
でも、私も昨日今日ではあの子を見かけていない。
「オレは手の空いてそうな奴と探しに行ってくる。騎士団にも頼んでくるよ」
アスタの兄はアスタにそう言うと、くるりと少年の方を振り返った。
「お前は羊を集めて帰りな。他の羊飼いにも伝えてこい。アスタ、お前はビア様の家で待ってろ」
少年は頷いて駆け出し、アスタの兄も馬小屋の方へ行ってしまった。
「私たちも行きましょう。何事もないといいのですけど」
アスタと連れ立ってコテージに戻り、キッチンでお茶を淹れたものの、二人とも落ち着かなかった。
聞けばここしばらく、村では羊の行方不明騒ぎが続いていたらしい。魔獣の仕業かもしれないと村中で警戒していたが、羊の死体も出てこなければ魔獣の気配もなく、何の進展もないところで子供が行方不明になったのだという。
「あの子、お姉さんと喧嘩していたらしくて。今までにも喧嘩して羊小屋に籠城したことがあったから、また羊小屋にいるんだと思いこんで、今朝もお姉さんがいないのに気付いたけど、そのうちどこからか出てくると思ってたんですって」
お昼を過ぎても姉が出てこないのでそれから探し回って、それでも見つからないので焦って慌てて、今さっきアスタの兄を頼ってやってきたのだという。
不安な時というのは、時間が経つのがやけに遅く感じるものだ。私もアスタも何も手につかないまま、じりじりと時間を過ごした。
西の空が赤く焼け始める頃、アスタは家畜たちの世話をしてくると言って帰ってしまった。アスタの兄が騎士団に頼むと言っていたから、きっとティーリオたちも捜索に加わっているだろう。
落ち着かなくて、随分早い時間から夕食の準備に取り掛かかってしまったせいで、もう何もできることがなかった。
遠くから馬の蹄の音が聞こえて、居眠りしかけていた私は飛び起きた。玄関のドアから飛び出すと、やはりそこにいたのは甲冑姿のティーリオだった。
「ビア」
ティーリオは馬から降りるなり、私を抱きしめた。
「聞いているだろう、子供が行方不明になっている。騎士団の魔法士が国境近くで、比較的新しい魔獣の痕跡を見つけたが、関係があるかどうかもまだわからん。それから国境近くや森の中、幾つもの場所で地鳴りの報告があった。どこもかしこも様子がおかしいんだ。ずっとお前が心配だった」
ティーリオは私を抱きしめたまま、矢継ぎ早にそう言った。
「王都からラウルたちが向かってくれているし、ロカイへも急ぎの知らせを送った。お前といてやりたいが、人手が足りん」
ぎゅう、と抱きしめる腕が苦しいほどで、それだけで嬉しかった。
「私は大丈夫です。家から出ませんから」
どうぞご無事で、と呟くと、決心したようにティーリオの腕が解かれた。
「行ってくる」
額に柔らかな感触が触れて、離れた。
私は銀色の甲冑が闇の中に消えるまで見送り、家の中へ戻って鍵を閉めた。
食事を取る気にも、眠る気にもなれなかった。アスタがいてくれたら心強いのにと思ったけれど、いつもはお兄さんと二人がかりの家畜の世話を一人でするのだから、きっと忙しいのだろう。
確かに羊飼いの子が行方不明なのだと聞いてからずっと落ち着かない気分ではいたけれど、それとは違う気持ちの悪さが胸の奥に渦巻いていた。
なんとなく階段を昇り、屋根裏部屋の窓から外を覗くと、村の方でたくさんの松明がゆらゆらしているのが見える。さっきティーリオが帰ってきたときには曇っていたのだろうか、急に月が明るく感じた。
月に照らされて風になびく牧草が、波のようだった。何か悪いことが始まろうとしている夜にしては、やけに静かで美しくて、余計に不安だった。
村の方からコテージの前を通る道路を、誰かが歩いて来るのに気付いた。アスタのお兄さんだろうかと思ったが、それにしては歩みが遅い。ゆっくりゆっくりと近づいて来るそれの違和感に気付いた。
月はもう随分高く昇っているのに、影が長い。牧草地に落ちるその影が不自然にざわめいているように見えて、私ははっとして窓の陰に身を隠したけれど、遅かった。
顔を上げたそれと、ほんの一瞬目が合った。
まだ遠いはずなのにぎらぎらと輝く真紅の一対は、私自身の眼と同じ色をしている。
『お姫様、みつけた』
頭の中に楽しげな少女の声が響いて、もう窓の外を見てはいないのに、遠くのあの紅い眼がにたりと笑みを作ったのがわかる。
『お姫様、オレアンドのお姫様、魔王様のお嫁様』
少女の声が頭の中で歌っている。全身の血が引いて、一歩も動けない。
『待っててね、お迎えに行くからね』
腰が抜けて膝が笑っている。情けない、こんな時に!私は尻を床についたまま、後退って窓から離れた。さっき鍵はかけたけれど、あれに対してそんなもの、意味があるかどうかもわからない。
ドン、ドン、ドン、とドアが叩かれた。
「お姫様、お姫様、お迎えにあがりましたよぅ」
あの子の声が、窓のすぐ下で聞こえた。
「どこですかぁ、お姫様ぁ」
その声はくすくすと楽しげに笑っているのに、私は怖くて動けない。ただの子供の声のはずなのに、そうではない。
「みぃつけた」
窓の外に、屋根裏部屋の窓の外に黒い影が、紅い眼の一対が浮かんでいた。




