第八話「陰日向に差す光」
二人が修道院内に入ると、神父やシスターなど多くの人々が二人のもとに駆け寄ってくる。中にはマルティナの手を握って握手する者もいた。
「あの大きな魔族を倒したのは貴女だったのね」
「君のお陰で助かったよ。ありがとう」
「ま、それほどでもあるけどね」
カルヴィナは「当然のことをしたまで」とでも言うように胸を張っていたがマルティナはどう接すればいいかわからなかった。感謝の気持ちを向けられるだけの価値が果たして自分にあるのかと考えがよぎった。
あの騎士や剣に認められたとはいえ、敵対した宗派の人間となると話は別だ。そんな負い目を感じずにはいられない。
「ほら、皆アンタに感謝してるんだから素直に受け取りな」
「え、ええ……でも、やっぱり私にその資格は……」
多数の魔族との戦闘を行っていた勇ましい彼女からは考えられない程にまごついている。そんな様子を見かねた院長は声をかけた。
「そこの貴女、少しお話をしましょうか」
「はい?私と……ですか?」
「ええ、そうです。ほら貴方達、騒ぐのは後にして『引っ越し』の準備をなさい。魔族に嗅ぎつけられてしまった以上、ここも危ないのですから」
「りょ、了解です!」
「はぁ、ここはとっても静かで気に入ってたんだけどなぁ……」
院長の鶴の一声で修道院内のスタッフは動きだす。カルヴィナは疲れた体にむち打ち、あれこれと駆け回りながら指示を飛ばしている。
「彼らは一体何を……」
「まぁまぁ、準備は彼らに任せて。お茶でも飲んでゆっくりしていきなさいな」
二人は二階の応接室に移動し、院長に勧められるがままにマルティナは席に着いた。質素ながらも木陰にいるような心地よさを醸し出す佇まいである。
「改めて、八ツ星修道院へようこそ、私が院長を務めるホリー・メソッドという者です」
「マルティナ・クールタンです。お招きいただきありがとうございます」
院長の手で淹れられた一杯の紅茶からは仄かにラベンダーの香りが漂っていた。勧められるがままにマルティナは花柄のカップに口をつけると、疲労に凝り固まった体がじんわりとほぐれるような温かみを感じた。
「いい香りですね。それに、この芳醇な風味。私がいた聖都では味わえないものです」
「そうでしょう、私がブレンドしたの。気に入ってくれてよかったわ」
マルティナの顔が綻んだのを見計らって、院長は話を切り出す。かつて敵対した宗派の人間がどのような風の吹き回しでこちらに来たのか。
「この機会に貴女のことを是非知りたいと思っていたの。すべてを神に捧げるのを善しとするプリムス教会の信徒から離反者がでるとは思わなかったから」
「私にはそれができませんでした。自分の正義、自分の信仰。異端や異種族と呼ばれた者達と戦っていくうちに何が正しいのかがわからなくなっていきました。姿かたちや信条は違えども、同じ『心』を持つ人間を傷つけるなんて許されるのか、と」
「それに加えてあの『エアルス白書』に書かれていた内容と、勇者召喚の儀で私が見たもの。そのすべてが今までの私を否定するには十分なものでした」
マルティナは他の聖女達や聖騎士団の様に、ただの「神の刃」として振舞うことが出来なかった。自分たちが崇敬するものはそういうものではないだろう、という違和感と一線を超えることへの恐れが常にあった。
だが、結局は彼等の行いに加担してしまった。それは心を縛る枷となり、常に彼女を悩ませていた。
「私の過去の行いもあって、他の種族が私を受け入れてくれるか?私が好意を向けられるだけの資格があるのか?正直不安でいっぱいです。あの騎士に、自分の罪と向き合うと宣言したばかりなのに。情けない話です」
「恐れを抱くことは、何も恥ずべきことではありません。目を向けるべきものから目を背けること、力に驕り己を省みない傲慢さこそが最も恥ずべきことです」
「院長……」
恐れを持たないのではなく、恐れを知りながらも前に進む。それがどれだけ難しいことかマルティナは痛感していた。自身に真っすぐに向けられるものに面と向かう事さえできないのだから。
「少し意地悪な質問をしますが、貴女が私たちを助けようとしたのは何者かに『私たちを助ければ得』だと言われたからですか?」
「それは違う!」
「でしょう?私たちは、貴女のその真心に応えただけのことです。負い目を感じる必要はないのですよ」
「……」
それでも、と思わず目をつむる。そんな彼女を見かねて、院長は手を優しく握って語り掛ける。
「貴女は今、その背に重い十字架を背負って暗闇を歩いているような状態です。人から向けられる感情、自分の行く先。どこをとっても不安や恐れが付きまとっていることでしょう」
「過去の罪は消えませんが、どんな人間にも他の生き方を知る権利はあります。過去から踏み出して違う生き方を望むというのであれば、私たちはそれを受け入れ支えます」
「焦らず、逃げださずに一歩一歩進んでいけば大丈夫。あなたのその懸命な姿勢に救いの手は必ず差し伸べられます。何よりあなたのその罪に向き合う実直さと他者を思いやる優しさが、あの剣に選ばれた理由の一つだと私は思うのです」
こちらを見つめる真っすぐな眼差しから、院長は本心から思いやっているのだとマルティナは感じていたが、それがかえって辛かった。目の前に救いの光は満ちていながらも背負った罪の十字架で動けず、足元の業火で火炙りにされているような居心地。
「罰されない罰」とはこういうものを言うのだろうか、いっそのことなじってくれればどんなに楽だったか、とも考えたが善意を無下にする訳にもいかない。葛藤の末にマルティナはぎこちない笑顔で言葉を絞り出した。
「院長の励ましのお言葉、誠に感謝致します」
その言葉を聞いた院長は微笑み、彼女の姿勢を肯定するように頷いた。
「院長!準備出来ました!」
「そうですか。では早速お願いしますね」
「了解!」
下の階でなにやらバタバタと足音が聞こえる。慌ただしい様子だが順調に作業は進んでいるようで、進捗を逐一報告する声が響き渡る。
「霊子エネルギー充填100パーセント!」
「座標確認、転送シーケンスに入ります」
「放浪機関作動!」
「ところでその、引っ越しというのは……?」
心の奥底で渦巻く気持ちを紛らわすかのようにマルティナは話題を変える。
「我々は魔族にもプリムス教会の者にも狙われる立場ですから。こういう時の為に修道院ごと移動する仕掛けがあるのですよ」
「そんな仕掛けがあったとは……」
「元々は結界で隠していたのだけど、遥か海の向こうの『帝国』がもたらした技術のおかげでこうして気軽に移動できるようになりました。気分転換にもなるし、困っている人達の下にすぐに駆け付けることが出来ますの」
装置近辺に張り巡らされたパイプを伝って霊力がゲージ内を満たすと、修道院全体が青白い光に包まれていく。シュンッと一瞬で何かが消える音がしたかと思うとすぐに光は収まり、一同は成功を確信した。
マルティナが院長と共に下に下りると地図と思しき半透明の四角い立体映像が浮かび上がっており、赤い矢印が点滅を繰り返してワープ先の土地を示している。
「院長。ワープ先はオグドアス派のエルシルト都市同盟に属する港町、シーランスの近くに指定させていただきましたよ」
「あそこなら公爵の庇護も得られるし色々な情報も得られるしいいと思うわ。もし良かったら、明日にでもカルヴィナと一緒に出かけてみては如何かしら」
「……そうですね。外の世界を知る、いい機会だと思います」
及び腰ながらもマルティナはそれに同意する。一歩ずつ外の世界を知っていくことで真実にたどり着けるかもしれない、彼らと共に生きるようになれるかもしれないと考えてのことであった。
それを聞いたカルヴィナはよくぞ言ったとばかりにマルティナの肩を抱き、こう告げるのだった。
「そうこなくっちゃ!それじゃあ我らの英雄が来たことだし、今夜は飲み明かすぞ!今夜は全部私のおごりじゃー!!」
「「「おおおー!!」」」
「修道院内ではお酒は禁止です!騒ぐのだったら町の酒場にでもなさい」
(なんかすごく緩いな、私が居たところとは大違いだ……)
カルヴィナの号令に湧きたつ面々とそれを戒める院長。様々な戒律に従って敬虔に生きるプリムス教徒とは違う、開放的な雰囲気に思わず戸惑うマルティナであったが不思議と悪い心地はしなかった。