第五話「旅立ちと出会い」
廃墟の外は一面の荒野であった。そこら中に石灰をぶちまけたかのように白く、大地はひび割れていた。ぺんぺん草も生えない有様で、生命の気配が感じられない。こんな荒れ地に修道会などあるのだろうかと普通の人間なら思うだろう。
しかし、マルティナは恩人の言葉を信じてひたすら西を目指した。やがて緑が生い茂る大地や、木や川といった自然物が目に入ってくると一つの物影が見えてくる。
「もしやあれが八ツ星修道会……?」
足を運ぼうとしたその時。背後から視線を感じた彼女はとっさに剣を背から抜き、標的の喉元に突きつけた。
「何者だ!?」
相手はマルティナが振り向くと同時に何やら筒状のものをマルティナの顔に突き付けていた。ウェーブがかった金髪と緑色の瞳、首輪とカチューシャが特徴的な女性であり、教会のシスターを思わせる服装をしている。
「いい反応だ。あんた、そんじょそこらの剣士じゃあないね」
命がかかった状況にも関わらず、目の前の不審者は余裕の笑みを浮かべて見せた。よくみると肩は丸だしで、裾から太腿が見えるようになっている。その煽情的ないで立ちと振る舞いは教会のシスターというより盗賊や遊女を思わせる。不審に思ったマルティナは重ねて問うた。
「何者だと聞いている。返答次第ではその首を落とすぞ」
「落ち着きなって。そんな光物突きつけられちゃあ、おちおち話も出来ないやしない」
「貴様が私の顔に突きつけている筒をどかしたらな。それはなんだ、脅しのつもりか?」
「なに?あんた銃をみたことないの……って、それも仕方ないか。いいよ、言うとおりにしてあげる」
女性が銃を降ろして腰のホルスターに収めるのを見届けると、マルティナは喉元から剣を放した。たばこから口を放して煙をフーっと吐き出すと、おもむろに自己紹介をしてきた。
「アタシの名はカルヴィナ・J・ルブラン。八ツ星修道院のシスターさ。ちょうど一仕事終えて帰ってくるところだったんだが、ここらじゃ見慣れないやつがいると思ってね。ちょっとちょっかい出したくなったのさ」
「シスターともあろうものが火遊びか?笑えんな」
「流石は元聖女様、ユーモアが通じなくて嫌になるね。そんな生真面目なやつだからこそ、やってられなくなって抜け出したんだろうけど」
マルティナは思わず目を見開き、後ろにあとずさりした。遠く離れた地にいるにも関わらず、既にこちらの状況を把握している者がいようとは予想だにしていなかったのだ。そんな彼女の様子に呆れたカルヴィナは言い聞かせるように言葉を続けた。
「あちら側ではアンタが聖都からいなくなったことは広まってるよ。謎の黒い影がアンタを抱えて消えたってな。あんたが進んでた方向は東だしあれはプリムス教会だけど?そんな状況でノコノコ行ったらどうなってたか」
「ううっ……」
「アタシらの修道会はあっちの洞穴を通ったその先にあるからついてきな。あの騎士に拾われた命を無駄にしたくなかったら」
マルティナはどうすべきかしばらく悩んでいたが、カルヴィナが踵を返すと慌てて後をついていく。こちらの事情を察知して自分の足を止めた相手なら、幾何かは信頼できるとの判断からだ。
平原から秘密の修道院へとつながる洞窟に入った後、追手が来ないことを確認したマルティナは突然現れたシスターに対して疑問を呈した。
「ところで、なぜ私のことを知っていた?それにあの騎士殿のことも」
「ああ、黒騎士とは何かと縁があってね。商売仲間からあいつのことを紹介されて以来、何かあった時は連絡取れるようにしているのさ」
「商売……?先程も仕事がどうと言っていたが、まさか金のために仕事をしているというのか?シスターが金稼ぎとは感心しないな」
日々の恵みに感謝し、清貧を旨とするプリムス教会に属していたマルティナからすれば、彼女の在り方はさぞ奇怪に映ったことだろう。カルヴィナは足を止めて振り向くと世の中を知らない子供に言い聞かせるかのように説明する。
「清廉なる聖女様からしたら金を稼ぐって汚いことに思えるかもしれないけどさ、金は万国共通の『信頼の証』だよ。きちんとした契約が交わされて、正当な報酬が支払われるから互いに信頼関係が結ばれるって話。等価交換ってやつさね」
「あの教会は無償で作物や食料を分ける『施し』を行うって聞いたけど、何か裏があるんじゃないかってアタシ思うのよね」
「そういうものなのだろうか……?」
「タダほど怖いもんはないよ。それで得をした気になって、金を払ってでも得るべきものの『価値』がわからなくなるからね」
「金を使うことも得ることも卑しいと考えるようになったり、施しを当てにして自分で動くことをやめたら人として『終わり』だよ」
プリムス教会は教会に仇為す者どもの討伐だけでなく、貧困にあえぐ社会的弱者を救済する活動を行っている。脅威から人々を守り、施しを与えることで衆生に自分たちの「ありがたみ」を感じさせて味方につけるのだ。
また、その「施しの精神」が大事だと教えていくことで信徒たちは弱者を救う活動に勤しむようになり、さらに信徒を増やしていく。こうして現在に至るまで彼らは力を付けていった。
「何はともあれ、こうして聖都での事件を聞きつけた私は修道院に戻るついでにアンタを保護するために来たってワケ。聖都から出たばかりで色々と知らないことはあるだろうけどさ、これからいろいろと知っていけばいいよ」
「ああ……そうだな」
「それじゃあ、そろそろ行こうか。もう少しで着くから私にちゃんとついてきな」
しばらく歩くと二人は洞窟を抜け、辺りはすっかり暗くなっていた。遠くに明かりの灯った小さな修道院が見えて来てようやく一息付けると思った瞬間、二人の背筋になにやら悪寒が走る。
「この気配は魔物……いや、魔族か!」
「クソッ、もう少しって時に」
「はっはっは、そうはさせんぞ人間共」
「魔族の明日を照らす、我ら『トーチブラザーズ』!ここに推参!」
突如声が響くと、火柱と共に二人の背後に闖入者が名を名乗りながら現れた。その名の通り、頭頂部の冠と左右の腕は松明のようにそれぞれ赤と青の炎で燃え盛っている。
闇に忍び人語を喋り、衆生を喰らう者……すなわち魔族である。語感から魔物と同類だと思われるだろうが、地上の自然界に存在せず魔界に属しており魔王の命令の下に行動する点で大いに異なる。すなわち、地上に生ける者達の明確な敵である。
「人の家に土足で上がり込むなんていい度胸じゃない、腐れ魔族。こんなところでバーベキューでもやろうっての?」
「貴様らが隠している『例のモノ』を渡せ、そうすれば貴様らの命と不遜な物言いを見逃してやらんこともない」
(例のモノ……?)
「やだね。お前らが人間を食い散らかすから、人々は安心して夜も眠れないんだ。そんな奴らに屈したらシスターとして終わりだろうが」
カルヴィナは魔族の申し出をにべもなく断った。真剣な眼差しから魔族を許さぬ義憤を感じ取ったマルティナも、修道院の人々を守るために立ち上がる。
「そうだ。魔族から人々の明日を守るため……」
「何より、魔物と違って倒すと闇に消えてなくなるから素材も手に入らない!すなわち金にならない!存在がクッソ迷惑!!」
奔放で俗物的な彼女にも人を救うシスターとしての矜持がある、と思わせてからのこの台詞。マルティナはその余計な一言で盛大にひっくり返り、単なる邪魔者とみなされた魔族たちは額に青筋を浮かべた。
「き、貴様……」
「兄者の温情を無視するとは、やはり人間は愚か!燃やすしかないようだな!」
「さあマルティナ!こんな奴らさっさとやっちまうよ!そのための剣、でしょ!?」
「なあカルヴィナ。貴様本当にシスターか?金だ、金だと言っていて恥ずかしくないか?」
「自分に正直でいるってのは大事だよ、マルティナ」
「ここまでくると清々しいな……まあいい」
呆れながらもマルティナは立ち上がり戦闘体勢を整える。左手に盾を、右手には長剣を構えると、カルヴィナは腰から二丁の銃を取り出して敵に突きつける。
「愚かな人間共めが!者ども、かかれっ!!」
兄と呼ばれた方が号令と共に手をかざすと、空間に穴が開き、そこから配下と思しき下級悪魔と大柄の人喰鬼の軍団が現れた。数十体程の魔族は、ようやく御馳走にありつけるとばかりに怪しげな笑みを浮かべて迫って来る。
「人々の安寧を脅かす魔族を片付けるぞ、カルヴィナ」
「あいよ、援護は任せな」
二人は言葉を交わすと敵陣の中へ颯爽と飛び込む。一見無謀にも思えるその行動は、新たな伝説の幕開けであった。