第四話「運命の時」
エアルス創世の詩の一節には、世界樹より作られた二振りの剣が語られている。
光と創造の神セレシアスに造られた光の聖剣セフィラス、闇と破壊の神ウルベルグに造られた闇剣クリファス。
そして、二振りの剣を手にした巨神ミルトラスは天と地を裂き、大地を切り分けて拓き、多くの自然物と生命をもたらしたとされている。
それがまさに目の前に在るという事実に、マルティナは驚きを隠せない。
「セフィラスだけでなくクリファスまで……お言葉ですが、私は二刀流で剣を扱ったことは一度もありません。それに、今の私にはこの剣は重過ぎます」
剣の重量のことを言っているのではない。世界の礎そのものといっても過言ではないそれらには、自分にはとてもじゃないが釣り合わず遠く及ばないということを重々理解していたからだ。
黒騎士はそんな彼女の考えを汲みつつも、あえて受け取ることを勧めてくる。
「其方が歩むはこの二振りの剣よりも重く険しい受難の道。先も述べたが、其方の相手は神に等しき力を恣に振るう者と、その力を持ってすら完全に打ち破れぬ闇の力を持つ者ぞ」
「騎士が剣を託すという行為がどういう意味を持っているか。それがわからぬ其方ではあるまい」
「出会ったばかりにも関わらず、そこまで私のことを買ってくださると?」
困惑するマルティナを余所に、黒騎士はフッ……と静かに笑う。昏き兜の奥底から我が子を見るかのように暖かい視線を送りつつ言葉を続ける。
「彼等との戦いは其方にとっては恥ずべき過去であろうが……儂はその戦いを通して其方という戦士を見極めておった。駆逐すべき異物ではなく、信念を賭けて戦う敵として認めてぶつかり合った其方は、その剣にふさわしき立派な戦士だ」
その言葉を聞いたマルティナの脳裏に、かつての戦場が……あの戦士の言葉が浮かんで来る。
一年前のことだった。聖都より遥か東方の砂漠地帯ではプリムス教徒と砂塵戦士団との戦いが行われており、マルティナはその戦いに参加していた。剣に纏わりつく命を奪う感触に嫌悪感を抱きつつも己の責務を全うせんとし、次々と襲い来る戦士たちを長剣で薙ぎ払って進軍する。
唯一神たる女神の祝福も、死をも恐れず立ち向かう戦士たちに敬意をこめてマルティナは叫んだ。
「私は『聖女』マルティナ!わが剣を恐れぬのであれば来るがいい、異教の勇士たちよ!その武勇を私は称えよう!」
「ぐっ……どうすればいいんだ!あんな化物!」
「剣を一閃させただけで五人も真っ二つなんてあり得ない……っ!」
「ならば、私が出よう。これ以上の同胞の犠牲はいらん」
圧倒的な力と技の冴えにたじろぐ戦士たちと入れ替わるように、一人の男が姿を現した。金色に輝くシシャークと、軽鎧を身に着けて現れた精悍な男を見た戦士たちは歓声をあげる。
「アラディン将軍!」
「ほほう……『熱砂の剣豪』と呼ばれし勇将、アラディン殿が相手とは光栄の至り」
「我らが信奉するは戦いと輪廻の神ヴァルソード。神に捧げる一対一の決闘、『神前決闘』で合戦の勝敗を決めようではないか!」
「心得たり!いざ参る!」
マルティナはアラディンの勇ましい声に感化され、一騎打ちの呼びかけに応えた。己の武を誇示するための行動か、はたまた唯一神の信仰こそが正義と唱えるためか。それは彼女自身にもわからなかった。
マルティナは俊敏な動きで一気に敵将に詰め寄ったが、鉄製の鎧や城壁を容易く両断する剛剣をアラディンは真正面から受け止める。激しい金属音と衝撃波は戦場に満つる狂気を吹き飛ばす。
「おおおおおおおっ!」
「はあああああっ!」
烈火を帯びた赤き曲刀と白銀の光を帯びた長剣。激しい金属音と飛び散る火花、互いに絡みつく蛇のような二色の軌跡が戦場を彩る。互いの磨き抜かれた武技に感嘆と歓喜を覚えつつ、二人は剣を交えた。
(なんという鮮やかで鋭い剣捌き……奴の強さ、騎士団長にも迫るだろう)
(聖女の肩書とは裏腹に、練り上げられた肉体と地を裂くほどの剛剣……受け止めるのも一苦労だ)
((神よ、このような強敵と出会えたことに感謝を!!))
一瞬の隙が命運を分ける立ち合いに、誰もかれもが目を奪われていた。柔と剛の戦いはかれこれ半刻程過ぎても終わる気配はなく、一同は固唾を飲んで見守っている。
だが、アラディンが戦法を変えてからは雲行きが怪しくなってきた。マルティナの剣を正面から受け止めるのではなく、剣先やしなやかな動きで躱しつつ必殺の一撃を狙う戦術を取るようになっていく。
それを察知したマルティナは距離を取り、自慢の剛力による飛ぶ斬撃や衝撃波で攻撃するようになる。それさえも凌がれて距離を詰められると、盾を取り出して受け流す。一進一退の攻防を続けるも、次第にマルティナの手足に切り傷が目立ち始めた。
「何をやっている!異教徒の戦士に後れを取るなど!」
「凄え!将軍なら、あいつを倒せるかも!」
(なぜだ、なぜ私の剣は届かない……!)
「そこだっ!降魔炎神剣!!」
刹那、全てを灰燼と化す灼熱の刃がマルティナの眼前に迫り来る。かろうじて受け止めたかと思いきやあまりの高熱で剣は融け、銀の沼がたちどころに広がり始める。マルティナは剣だったものから手を放して飛び退くも、それを予期していた敵の手にかかり肩から腰まで切り裂かれた。
「しまっ……!」
「これで……終わりだ!」
長剣だったものと盾が砂の上に落ちると同時に、大きくのけぞった身体に一筋の剣閃が奔る。勇将アラディンの最後の力を振り絞った一撃は彼女の身体を正確に捉え、鋼の肉体に十字を刻むかの如く縦に切り裂いた。
聖女として選ばれたのに何の成果も出せずに果てるのか。傷から噴きだす赤き血を目の当たりにしながら、彼女は意識を失った———
———気が付くと、マルティナは敵陣のテント内にいた。自分の身体は鎖でつながれ手足を縛られていることに気づく。鎖の音で意識を取り戻したのを察知したのか、先ほど剣を交えた相手が声をかけた。
「気が付いたか」
「我が治癒術で切り傷も塞いでおいた。貴公は我が軍の捕虜として私が預かっている故、悪く思うな」
「なぜ、なぜ戦いで死なせてくれなかったんだ……!」
戦いに負けた己の不甲斐なさと敵に情けをかけられた羞恥に耐えられず、マルティナは歯を食いしばる。殉教者として死ぬことも出来ず、傷の治療まで施された。仲間もそんな無様を晒した自分をなじるだろう。
やがて、全てがどうでもよくなったマルティナの目から急速に光が失せた。
「もういい……私の体を好きにしたいのならそうすればいい」
「生憎私にはそのような趣味はない」
「では、拷問か?市中を引きずり回すか?いずれにしろ私は神聖術も満足に使えぬ聖女……」
期待などされていない。そう自嘲する好敵手の姿を見ていられなかったのか、将軍は突如剣を一閃させる。縛られた鎖はたちまち解かれ、マルティナは自由の身となった。
「行け」
「なっ……何故だ!私は貴様の同胞を……」
「貴公の剣の冴えは見事なものであったが、些か迷いがあった。勝敗を分けたのはそのわずかな差にすぎん。それにだ、魂まで教えに染まったプリムス教徒ならば『敵を称える』などと言わぬし我らが作法に則った戦いには応じんよ」
マルティナは言葉が出なかった。無慈悲にも異教徒を殺して来た自分に対して慈悲の手を差し伸べただけでなく、自分の抱えた悩みを理解しそれを汲んだ行動に出たことに対して、言葉が出なかった。
「一体、どうして……」
「真の戦士ならば、剣を交えた時に相手の心と信念を悟るもの。貴公のその剣は他者を護る為に磨いた剣であり、敵を滅ぼす剣ではない」
「プリムス教の聖女は神聖術を使えてこそ一人前……きっと組織内でもお前の立場は冷遇されていただろう。だが、貴公は仮にも選ばれた者として少しでも人々の役に立とうという一心で磨き上げた」
「大体、その程度の鎖なら自慢の怪力でどうにかできたはずだ。自分の処遇を聞く暇があったなら簡単に私の命を奪えただろうに。にもかかわらず、縛られたままでいたのはなぜだ?」
「それは……」
自分でもわからなかった。目の前の敵を倒すことや己が生きることよりも、信仰する唯一神のことよりも敵の手で死ぬことが真っ先に頭に浮かんできたのはなぜか。
「命を賭けて戦いに挑んだ者に敬意を払う、戦士の心があるからだ。それは熱き血潮が通う人間にこそ宿るもの。正義と信仰の下に敵を駆除するだけの操り人形にそれはない」
アラディンはそう語るとマルティナのそばに歩み寄り、彼女の瞳をじっと見つめた。ひたすらに神を信奉して敵を滅する者達とは違う、輝きが宿った眼を確認するとこう告げる。
「貴公を助けたのは、その心をあの戦場で失うにはあまりにも惜しいと感じたからだ。そしていつか、貴公の剣にかける信念を見出す者が必ず現れる。だから今は己の腕を磨き自分の信じた道を往け。その心の内に宿った光を見失わないように」
「……かたじけない、貴公の慈悲に感謝する」
「ああ。貴公にヴァルソードの加護があらんことを」
巡り会った好敵手に見送られ、マルティナは砂漠を後にした。どうにか聖都までたどり着くことには成功したが、聖女が敵に情けをかけられておめおめと帰ってきたという知らせは聖都内で既に広まっていた。
仲間内からは陰口を叩かれ、騎士団からもありったけの罵倒と誹りを受けた。中には帰還を喜ぶ者もいたがほんの一握りであった。その時のマルティナにできたことと言えば、己の非を黙って受け入れ剣の腕を人一倍磨くことだけだった。
そして今、名だたる戦士が預言した「運命の時」は訪れた。
「黒騎士殿……謹んでその二振り、お受けいたします」
「うむ」
マルティナは刺さっていた光剣を抜き、手渡された闇剣を手にした。その瞬間、主を認めたかのようにそれぞれ黄金と紫の光を放ち、残光を残して手元から消えてしまった。
「き、消えた!?」
「心配は無用、一度念じれば彼方より其方の手元に剣が顕れる。神代の武器故に何かの間違いで失われては事だからな」
「重ね重ねのお気遣い、ありがとうございます」
「ここを出て西にあるオグドアス教の修道院『八ツ星修道院』を目指すがよい。彼の地で其方の同志となる者と巡り会えよう」
「さらばだ、戦士よ。その双剣で黄昏の時代を拓いて魅せよ」
旅立つ彼女への助言と言祝ぎと共に、黒騎士は闇に溶け込んで消えた。
「黒騎士殿、その期待に応え戦い抜くことをこの剣に誓いましょう。そして……いつか貴方も超えてみせます」
圧倒的重量の剣を軽々と振るい、斬られたことに気づかせず聖痕のみを消し去った神業。その領域にまで剣を極めればこの世界をも変えられるかもしれない。その期待と決意を胸に旅立った。