第三話「向き合う決意」
「突然どうしたのです?パウロ」
「猊下、突然の訪問をお許しください。勇者達の降臨というめでたき日に何かあってはならぬと思いまして御身のもとにはせ参じました」
マルティナが聖都からの脱走を図っていた時を同じくして、パウロはプリムス教会の教皇のもとで聖堂での出来事を報告すべく教皇庁へと赴いていた。
「……恐れながら、マルティナは教会の教えに不信を抱いている様子。『聖罰』を発動させる許可を戴きたい」
「近年は異端の勢力が増しつつあります。魔王という名の災厄に立ち向かうため、そして『例の計画』の為には民草の心を一つにしなければなりませぬ」
高座に座る教皇は彼女の損失を惜しむかのようにあごに手を当て、目を閉じて考えて込む。しばらくすると、決心はついたとばかりに錫杖で地面を突き、騎士団長にこう告げた。
「四人の中でも潜在能力が高かった彼女を失うのは惜しいですが、離反者には例外なく裁きを下さねばなりません」
「よろしい、使用を許可します。後程彼女の遺体から力を回収することにしましょう」
「聞き入れて下さるとは感謝の極み。では、私はこれで……」
パウロが教皇庁を後にしてテラスから外の景色を眺めると、見覚えのある影が聖都の外へと向かっている様子が見えた。手の聖痕に力を籠めて念じると、その者の詳細が薄く四角い画面と共に浮かんできた。その者はまさしく先の話題に挙げられた女性であった。
聖都の門を出ようとしたタイミングで『聖罰』を発動させると、離反者はその場に力尽きて倒れた。その後、彼は聖痕を通じて配下に語り掛ける。
『裏門付近の兵に告ぐ。その者を聖堂まで運ぶように』
『はっ、直ちに』
「……其方は聖女となるには賢しすぎた、そして優しすぎたのだ……許せよ。これも世界の秩序のためだ」
彼女の末路にひとかけらの同情を示しつつ、パウロはその場を後にした。
「うっ……ここはどこだ……?」
マルティナは気が付くと見知らぬ場所にいた。ひび割れた柱や床が目立ち、石細工の神像が砕けて崩れ落ちている。かつての神殿と思しき廃墟は埃にまみれて薄暗く、魔物の住処と見紛うほどであったが、古の時代の残り香と神聖さをかすかに感じさせる。
「気が付いたか」
「貴方は……!?」
「我のことは黒騎士とでも呼ぶがよい。其方の身に起こったことを説明する前に、やるべきことがある」
マルティナの目の前には一人の騎士が立っていた。黒騎士と名乗る者はその名の通りに鎧も外套も夜闇のように黒く、フードから覗く目は赤く光っている。まさに死神を彷彿とさせる出で立ちであった。
マルティナが一振りの剣を携えているのを見た瞬間、彼は目にもとまらぬ早業で袈裟斬りを繰り出してきた。
「ッ!何を!?」
「案ずるな、其方に課せられたくびきを断ち斬ったまで。見よ」
(た、確かに斬られたはずなのに何ともない。一体どうして……)
訝しむ彼女が自身の胸元を見やるとそこにあるはずのものが無かった。聖女として迎えられる際に教会より祝福を授かった証である「聖痕」が先の一撃で失われたのだった。
そして目の前に女性の形をした白い霊が浮かんだかと思うと、耳をつんざく絶叫と共に表情が歪んで消え失せた。背筋が凍る不気味さにマルティナは思わず腰を抜かしてしまった。
「こ、これは一体……」
「これが祝福の正体だ。その霊体は唯一神を信じる者に強大な力を与え、離反者には教会の裁きである『聖罰』を発動させて死に至らしめる役割を持っていた。最も、あの教会の信者の殆どが教えを信じ切っているだろうがな」
マルティナはハッとした。異世界からの転生者たる勇者とそれをサポートする聖女は神の使いであり、聖痕とともに強大な女神の祝福とスキルを授かるのだと教えられていた理由を悟ったのだ。
女神の加護を受けて得た圧倒的な力を衆生に見せつけることで教会の権威を高めることが出来るだけでなく、神の意に反した行動や問題行動をとれば術を発動させて容易く処分することが出来るのだ。
教えに背いたものや悪しき者に神の裁きが下ったのだと喧伝すれば、誰も異を唱えなくなる。まさに一石二鳥というわけだが、ここで新たな疑問がマルティナに生じた。
「では、なぜ私はまだ生きているというのですか」
「其方に宿る光が命を護っていたからだ。今一度、胸元を見るがいい」
ふと気が付くと、マルティナの胸元が光り輝き新たな紋章が浮かび上がった。太陽の光を思わせる円と放射状の線、一対の羽根が中央の円を包み込む慈愛を示すかのような意匠が特徴的であった。
「これは……異端とされているものの中にこの印を見たことがあるような」
「それは仇成す者を焼き尽くす唯一神の光にあらず、古くよりこの地に根付く力にして退魔と守護の輝きなり。教会の教えに染まらず理性を保っていたのもその力ゆえよ」
「そうだったのですか……何はともあれ、助けていただきありがとうございます」
マルティナは命の恩人に一礼をし、黒騎士は手を挙げてそれに応えた。彼女が顔を上げたことを確認すると言葉を続ける。
「しかし、ここはどこなのですか?私の見知らぬ土地ではありますが……」
「我らがいるのは聖都より遥か東のネルデルス王国の僻地にして、八大神が一柱の風と流転を司る神エルレアスを祀っていた神殿だ。旅立ちを祝福し、情報の伝達や流通、技術の発展を促進させる加護を与えたという」
「プリムス教徒の襲撃により今はもう廃墟と化し、王国の人間の大半がプリムス教徒となった。辺境に住まう『風の民』という種族や八大神を信ずるオグドアス教の者は未だこの神を信仰していると聞いているが……」
風の民とは高山に住む翼をもつ種族であり、その機動力を生かして情報収集や伝達を生業としていた。自在に風を起こす能力を持つ者や、中には天使と見紛うほどの美しさを持つ者もいたという。
マルティナは崩れ落ちて風化した神像を見て、歯がゆさに唇をかんで目を閉じる。翼を捥がれて地に堕ちた神。何も知らなかったとはいえ、彼らの誇りを自分たちが奪ってしまったことに負い目を感じていた。
「儂からもそなたに一つ問おう。其方が聖都を抜け出したのは絶望からの逃避か、はたまた己が運命に抗うためか?」
マルティナは黒騎士の目をじっと見つめ、自分が常々感じていたものと新たな決意をつらつらと言葉にしていく。
「私は……今まで教会の教えをずっと信じてきました。どんなにうまくいかなくても、凄惨な目に遭っても、納得がいかないものであっても。自分の信仰が足りていない、あるいは魔王のせいだろうと自分に言い聞かせて、向き合うべき問題から目を背け続けて来ました」
「私は、知らなければならないことを知りたい。仮に闇の心が魔王を呼び起こすのだとしたら、まずはその闇の元となる部分を取り除かなければ本当の救いは得られない。そう思ったのです」
「そして、教会の迫害に加担して傷つけてしまった者達に償いを……!!」
彼女の口から出たものは、運命に立ち向かう決意と悔悟の念。しかし彼女が今立ち向かおうとしている相手はまさしく世界の機構に他ならず、その覚悟が真のものか問うべく黒騎士はさらに質問を重ねた。
「其方が立ち向かう相手は唯一神の祝福を授かりし者とその力を持ってしても蘇る闇の者。どんなに強大な力が立ちはだかっても、どんな理不尽にも立ち向かうと誓えるか?」
「覚悟の上!度重なる戦いとその弊害で疲弊した人々の心を救うためならば、この身がどれだけ傷つこうと、朽ちようとかまいませぬ!」
「……世界の『痛み』を一身に背負うか。神の輝きを一欠片宿しているとはいえ、人の身でなんと大それたことを」
「其方の決意と大望、しかと聞き入れた。ならばこの剣を受け取るがよい」
彼女の懸命な言葉に応えるかのように黒騎士が手をかざすと、銀河を思わせる亜空間から一振りの剣が現れた。それはまるで日光そのものを剣の形に留めたかのごとく燦燦と黄金の輝きを放ち、廃墟を光で満たした。
地面に突き刺さるとあまりの重さと衝撃で地響きが発生し、大量の埃が宙を舞う。思わずせき込むマルティナだったが、目の前に舞い降りた伝説を見て思わず息をのんだ。
「それはまさか……!!」
「その剣は『光剣セフィラス』、して我が手にある剣が『闇剣クリファス』。かつてこの地に存在した巨神が携えしこれら『開闢の双剣』を其方に託そう」
その二つの閃きは、新たな伝説の幕開けであった-