第二話「信仰の瓦解」
輝くステンドグラスに日光が差し込み、広々とした礼拝所を照らしていた。地面には複雑に文字が描かれた方陣が敷かれ、中心に巨大な女神像が立っている。儀式を行う四人の聖女を中心に多くの人々が祈りを捧げており、光の女神の祝福を受けた勇者の降臨を一心に願っていた。
眩い光が視界いっぱいに広がり、大聖堂を天から降り注ぐ光が包み込む。その光と共に降り立つ三つの影を目にした時、人々は救世主の到来を知り歓喜の表情を浮かべた。
「おお!我らの祈りが通じたぞ!」
「勇者さまがご降臨為された!この精悍なお姿、まさしく神の使いにふさわしい」
「ああ女神様、祈りを聞き届けて下さり感謝いたします……!」
人々の目には絵物語に出てくる白馬の王子様のように容姿の整った男性に見えていることだろう。聖女も彼等の姿を見て、自分達が彼らに選ばれるのだと期待で目を輝かせていた。しかし……
(なんだ、これは……これが『勇者』の姿か……?私のほうがおかしいのか?)
マルティナの目に映っていたのは小汚い太った男や、疲れきった眼をした青年、髪がぼさぼさでひげが目立つ年配の男性だった。激しい頭痛がしたかと思うと視界が歪み、頭の中に映像が流れ込む―――
『ちょっと、いつまでゲームをやっているの?大体あなた、就職活動やってるの!?』
『うるせえよババア!大体、今はどこもブラックばっかだし働いたって意味ないだろ!』
『ブラックだろうが何だろうが、働いて自立してこそ一人前なの。養ってもらってる分際で偉そうなことを言わないでちょうだい!』
『そんなことを言われたってさぁ……』
あれこれと言い合っていたが、彼の母親と思しき人はあきれ果て階段を下って行った。するとうるさいのがいなくなったとでもいうように小太りの男は安堵した表情でベッドに転がり、布団にくるまって何やらもぞもぞとしていた。小さな四角いものを手に取ったかと思うと少女の姿が映り、それを見て薄ら笑いを浮かべている。
(なんだこいつは……肉親に対してなぜこんなことが言えるんだ?四角いものに映っている女性を見ているだけで満足なのか?)
マルティナが戸惑っているとまた別の映像が流れ込んでくる。
「はぁ……いつも上司には小言を言われるし、電車にすし詰めにされて出社するのも辛いしもう嫌だ。いっそ自殺でもして人生やりなおしたい。頑張っているのに報われない人生なんておかしいし、俺は何も悪くないのに叱られるし」
「異世界転生とかしたいなぁ。漫画やアニメみたいに女神さまが現れてかわいそうな俺を救ってくれるに違いない」
(言っている意味がわからない。なんだそのふざけた理由は。そんな様で魔族に、魔王に立ち向かえるというのか?)
翌日、彼は多くの白黒の服装をした男女と共に並んで立っていた。連なった鉄塊が衆目の前を通り過ぎようとしていたその時、彼は駆け出して身を投げ出すと迫り来るモノの下敷きとなった。
「きゃああっ!?線路に人が!!」
「飛び降り自殺か?ったく、冗談じゃねえ。これから仕事があるのに電車を止めやがって……!」
マルティナは絶句した。辛い境遇にあったのかもしれないが、こんな身勝手な理由で命を投げ捨てるのか。それも他人に迷惑をかける形で。あまりの見苦しさに思わず手で顔を覆うとまた別の映像が脳裏に流れ込んでくる。
「はぁ……この四十年、普通に学校に通って会社で働いて、休日はゲームするだけの人生、か」
「マンガにイラスト、小説……若いころは創作活動を色々とやってみたけど、結局何一つ結果を残せなかったし長続きしなかったなぁ。唯一続けられているのがネトゲなわけだが」
独り言をつぶやきながら、男はなにやらボタンのついた板を持って画面に映った人を操作している。部屋にはビンや缶が複数本転がり、食器も片づけられずに置きっぱなし。その散らかり様は彼の人生のこれまでを表しているようであった。
「ゲームの主人公みたいに特別な力があれば、俺だってきっと違った人生を送れただろうなぁ……生きていてよかったと思える証が欲しい。ま、今になってそれは高望みってものかもしれないな」
(これで勇者としてやっていけるのだろうか。それにしても女神様が勇者を選ぶ基準というのは、まさかそういうことなのか?)
「……ティナ、マルティナ!!」
「はっ!?」
気が付くと皆がマルティナを見ていた。彼女の醜態を見た勇者達は怪訝な表情を浮かべ、他の聖女をはじめとする教会の者達が冷ややかな視線を送る。
「す、すみません。勇者様の召喚に力を使ったのと、彼らがあまりにも神々しくてついめまいが」
「もういい……部屋に戻っていなさい。勇者様もお主のような者を選ぶはずがないだろうからな」
「未熟故、申し訳ありませぬ。ではこれで……」
自分が抱いた感情を悟られまいと、未熟であることを押し出して誤魔化した。申し訳なさそうな表情をしつつマルティナはふらついた体でその場を後にする。その後ろ姿を一人の男が神妙な表情で見つめていた―――
自分の部屋にたどり着くと、マルティナは便器に胃の中身をありったけぶちまけた。目がかすみ、その場に力なく崩れ落ちる。
愚者が勇者として周りに全てを肯定されて赤ん坊をあやすかのように持ち上げられるグロテスクさと、あのまま自分も何も知らずにいたらどうなっていたかという恐怖、特別な存在や境遇に憧れる感情に共感してしまった羞恥に耐えられなかったのだ。
幾ばくか気分が楽になると、彼女は急いで脱出の準備をする。聖女に支給されるローブを脱ぎ捨て、信仰の証たるロザリオも放り捨てた。簡素な私服に着替えてから長剣を佩き、盾を背中にかけた。カバンを肩にかけると秘密の場所に隠してあった例の本を入れて脱出を図る。
(皆の意識が勇者に向いている今が好機。教会の地下道から裏通りに出れば聖都を脱出できるだろう……)
地下道は薄暗く、湿気と悪臭に満ちていたが彼女はそれに怯まず前に進み続けた。信じていたものが打ち砕かれた衝撃と惨めさ、戦争で手にかけた者達に対する悔悟の念が胸を焼く。その苦痛に比べれば些細なものである。
(私は今までずっと教会に騙されていた……彼らは本当に人々の平和のために教えを信じさせていたのか?教えに従わぬ者を野蛮だと異端だと蔑むが、本当は自分たちよりも賢く優れた者達を貶めたかっただけではないのか?亜人達を異形だの魔族の仲間などというが、奴らこそ最も悍ましい怪物なのではないか!?)
(義務から逃れることしか考えていなかった怠惰な者に勇者など務まるものか!あのような者に全てを捧げる苦痛を誰が喜んで受け入れるか!心清く勇気ある者の生まれ変わりと信じていた自分は一体何だったんだ!?)
(行かなければ。聖都を出て彼らに償わなければ……私は卑怯者のままで終わってしまう。そんな人生は御免だ!!)
地下道を出て、裏通りへと出た彼女は門の外へと目指す。整った白亜の街並みが特徴的な表通りでは勇者達の凱旋が行われており、家々の隙間から人々の笑顔と歓声をあげる様子が目に入った。その中には両親の姿もあり、その耐えがたさから目を背けてひた走る。
裏門を出ようとするマルティナを見やる門番二人に瞬時に駆け寄り、気絶させて聖都を出たその時。
「がはっ……」
彼女の胸を一筋の閃光が貫いた。全身の力が一気に抜けてどうっとその場に倒れこむ。
(神とはここまで無慈悲だったのか……自分の愚かさが心底恨めしい……)
絶望の中で視界が暗転する。駆け寄る複数の影を目にしたところで、彼女は意識を失った。