第一話「それは不信から始まった」
女神によって天より出ずる勇者と、地上の光たる聖女。二人が交わりし時にもたらされる奇跡によって、闇は払われる。いつか平和が訪れることを信じて光と闇の戦いの歴史が紡がれてきた世界『エアルス』の物語。
魔王とその軍勢は幾度となく蘇るが、その度に女神を唯一神と仰ぐ「聖プリムス教会」は女神への祈りと信仰を求めた。信心が足りないから災厄は終わらない。人々の心に魔が存在し、この世界に人の紛い物がいるから終わらないのだと。
万物の母にして創造主たる女神に祈りなさい。紛い物に心を開いてはならず、ただ一心に神に祈りを捧げよ。さすればいつかは救われる……と。救いを求める人々は一心に真の平和を願って祈り続け、異端と亜人を蔑むことで安堵を得ていた……
これは、そんな先の見えない黄昏と暗黒の時代を終わらせた者の英雄譚である。
「はぁ……あなた。まだ初級段階の神聖術しか使えないの?」
「神を信じる気持ちが足りないからです。同じ聖女として恥ずかしいですわ」
「私の女神を信じる心に偽りはない。しかし……」
聖都にあるプリムス教会総本山、セントプリマ大聖堂。その一室で、四人の聖女が話をしていた。そのうちの一際目立つ女性は他の三人に囲まれて苦悩の表情を浮かべていた。
彼女の名はマルティナ・クールタン。後ろ髪を三つ編みにした金髪と、サファイアのように青く輝く瞳、一般男性よりも高い身長と筋肉質な体が特徴的であった。
教会に見いだされた聖女の一人として三年間修業を行っていたが、未だに初級術しか扱えずにいたことで他の聖女候補や教会関係者をはじめとする聖都に住まう者達からは蔑まれていた。
「いいですか。教会の教えは絶対であり、信じてさえいれば皆救われるのです。神に全てを捧げる心構えをいい加減身につけなさい」
「図体ばかり大きくても女神様に捧げる心は小さいんじゃあねぇ……木偶の坊ってまさにあなたのことよね。聖女失格だわ」
「脳みそが筋肉で出来ているから高尚な教えが理解できないのかもしれませんわ。そんなことで勇者さまに選ばれると思って?」
他の聖女は既に上級の神聖術を扱える段階に至っていた。それはどんな傷も一瞬で完治させ、悪しき魔物の軍勢を裁きの光で消し去るほどの力。神の代行者にふさわしい器だと教会内でも評されており、大きな口を叩くだけの実力は備わっていた。
「そのくらいにしておきたまえ。今日が何の日か忘れたわけではあるまい」
低く厳かな声が響き渡り、白銀の鎧を身に纏う壮年の男性が姿を現した。鷹のように鋭い目はかしましい聖女たちをたしなめるように圧を放っており、視線に気づいた彼女たちはすぐさまその場で跪く。
「こ、これは!パウロ聖騎士団長閣下!」
「女神は常に我らを見守っておられる。浮足立つのもわかるが、今日はこの世界の平和がかかった日であることを忘れるな」
「そうですわ!今日は天より勇者様がご降臨なされる記念すべき日!」
「左様、今度こそ魔王の軍勢の最後だ。其方らも勇者召喚のために祈りを捧げに行くがよい」
「「「「神の御名において、必ず召喚の儀を成功させてみせましょう」」」」
(……最後……か。果たして本当にそうなのか?)
マルティナは聖女達と共に勇者召喚の儀を行う祭祀場へと赴く。救世主の降臨という記念すべき日に彼女らをはじめとする多くの人々は浮足立っていたが、マルティナは不安気な表情を隠そうと真剣そうな顔を取り繕っていた。
はじめはマルティナも教会の教えを純粋に信じ、勇者と彼らを支える聖女に憧れていた。それゆえに教会より派遣された者に光の力を見出され、聖女として選ばれた時は誰よりも喜んだ。
しかし、その絶頂も長くは続かなかった。人一倍修行に励むもなかなか修行の成果は出ず、他の者と水をあけられるばかり。
少しでも人々に貢献できるようにと体を鍛えて剣術を学び、聖騎士隊の隊長をも上回るほどには成長したが「神聖術を満足に扱えない者は聖女足りえない」と人々から認められずにいたことで自信を失いつつあった。
魔王の眷属であり蛮族とみなされている亜人や異端との抗争に参加したことで、それは加速した。実際に目にした彼等は人間とさほど変わらない。むしろ自分たちよりも開明的かつ文化的な生活をしており、人と同じく他者を思いやる心を持っていた。
それにもかかわらず、他の聖女や聖騎士団はゴミを見るかのような目で睨みつけながら敵を片付けていった。女神の祝福という理不尽を引っ提げて。
(彼らはただ教えに従っているだけなのかもしれない、目の前の彼等を知らないだけなのかもしれない。だが……見た目や生き方、考え方が少し違うというだけでここまで冷酷になれるものなのか?)
(なぜ戦いに参加していない女子供まで討とうとする……誇り高い騎士の在り方はどこに行った?それとも私の信心が足りていないだけだというのか?誰か、だれかおしえてくれ……!!)
マルティナは戦場の悲惨さと同志の非人道的なふるまいに戸惑いと吐き気を覚え、幾年月を経てもその時のトラウマをぬぐえずにいる。
そして半年前、彼女はある書物を手にする。いつの間にか自分の部屋の机に置かれていたその書物の名は『エアルス白書』。七色の光を湛えたオパールが埋め込まれ、凝った金細工の意匠が施されている分厚い本であった。
その内容は彼女に多大な衝撃を与えた。
神に導かれて地上に降り立った最初の勇者が、世界を滅ぼす魔王を倒して秩序をもたらした「聖暦」以前の世界。八柱の神がこの世界と様々なものや命を創造したこと、今では亜人と蔑まれている者達とも共存し「魔法」と呼ばれる術や様々な技術が発達していた時代の出来事が事細かに記されていた。
「やはりこの教会はなにかがおかしい……」
教会への不信はますます膨れ上がり、あれこれと考えるがこの書物の内容が正しいかどうか判断する術もない。実際の勇者を目の当たりにして女神の御業が本物かどうかを確かめてからでも遅くはない、と考えた彼女は冷遇の日々に耐え忍び自分を磨き上げていた。
そしてついに、その時が訪れたのだった。