殺人的な上天気の日
「さて、シャワー浴びてオレは寝るぞ」
イスから立ち上がったオレに、藍理は無言だった。オレは、バスタオルを手にバスルームに入り、シャワーを浴びた。選んだシャワー水の香りはレモンの香りだ。鼻くうから全身、手足の指先にいたるまで、涼やかな香気がめぐりわたる。
バスルームを出て、ベッドルームに向かうとちゅう、
「おやすみ」
と藍理に声をかけた。藍理は、まだ視線を下にやったまま考え込んでいた。オレは、ベッドルームに入り、紺色のベッドに倒れ込んで眠った。
午後一時にアラームで起こされたオレは、部屋着のままキッチンに向かう。セットしておいたとおり、オート・クッキング内にベーコンレタスバーガーとエスプレッソができ上がっていた。オレはバーガーとコーヒーを手に、リビングに向かう。マルチメディア機を操作していた藍理が、あわてて画面を消す。
「べつに消さなくていいじゃないか」
テーブルにつき、バーガーをかじりながら言うと、藍理がにらみをきかす。
「プライバシーってものがあるでしょ」
「日記でもつけてたのか」
「ちがうよ」
機械類は、今やほとんど脳波で操作できる。だからへやの照明などもオレや藍理が頭でおもったとおりついたり消えたりする。マルチメディア機もだ。
「手紙」
「手紙?」
コーヒーカップを中途はんぱな位置で止めてオレは訊き返す。
「……十年前の自分に宛てた手紙書いてたんだ」
「へえ……」
十年前というと、彼女は八歳か。そんな幼いころの自分へ宛ててなにを?
「なんて書いたんだ」
オレはエスプレッソを一口飲み込む。苦さに、眠気の残留がうすれる。
「ひみつに決まってんじゃん」
シベリアの鋭い一陣の風のように言う。
「未来の自分に書いたらどうだよ」
コーヒーの温度設定をもうすこし低くすればよかったとおもいながら提案する。
「未来になんて興味ないもん」
すこしくぐもった声で藍理はつぶやく。そうか、と言ってオレはコーヒーを飲み干す。
「今日もいい天気みたいだね」
藍理が目をやっているブラインドのすき間から華々しい日光が差し込んでいる。
「殺人的にいい天気みたいだな。どっか行くか?」
藍理がにやっと笑った顔をこちらに向ける。
「殺人的な天気だもんね。いつもの公園に行こうよ」
それで、オレたちはオレたちの気に入りの、TOKYO海浜公園にタクシーで出かけることにした。
藍理を外に連れ出すときは、日よけのついた藤製のかごに彼女を入れて肩にかつぐ。すれちがうひとびとは頭だけの彼女を見てぎょっとするが、こういう境遇の人間を多少はメディアで見聞しているのだろう、奇異な目を向けはするものの、一瞬のことだ。藍理は逆に、獣のような目つきでかれらのことを値踏みしていた。
「あのおばさん、おびえ切った目してたね。アタシを見ただけで自分に災いが起きないかってびくついてんじゃないの。せいぜい十字でも切ってるといいよ」
「ホラ、タクシー来たぞ」
藍理が毒づくごとに、心配になる。悪意はめぐりめぐって発した者に帰ってくるものだからだ。夕焼けのようなオレンジ色のタクシーがオレたちの前に停まる。運転手も藍理を見て一瞬顔をこわばらせたが、すぐに営業スマイルを見せた。