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左右論争はエンドレス

 僕は思った「メンバー以外には無価値な物を高額で買ったり法外な寄付をするのは、脳深奥で凝り固まった『信念』が帰属意識の高まりを切望させてるからなのか」と。

 切ない…

 従弟と一緒に講演会を聞きに行った。


 演題は「インテリの喧嘩には終わりがない」。内容の要点は次の通りだった。


 大学という組織の一員になったばかりの頃に思い出したのは、「教授会は動物園のようなものだ」という言葉です。

 あるビジネススクールの教授は、「ライオン、トラといった猛獣から、タヌキ、キツネのような狡猾な輩、腐肉を漁るハイエナやハゲタカまで、多様な動物がひしめきあい、知性という仮面を被って、論争という喧嘩を繰り広げている」と言いました。

 インテリは、エビデンスや理屈を並べたて、理論整然と喧嘩をします。喧嘩の根源は、感情的な、しかも根深いところでの対立に起因していることが多いのです。傍から見るとそれがよくわかるのですが、本人達はあくまでも理性的な知的論争をしていると錯覚しているように見えます。そこでは、終わりなき理屈の応酬が繰り返されます。

 同じような対立(インテリの喧嘩)は日本の政治・社会にも散見されます。憲法改正、原発、公共事業の是非等々。世界に目を転ずれば、もっときな臭いのです。IS問題、EU危機、中国・ロシアの覇権主義的行動と西欧諸国等々。

 「政治と宗教」は、根深いところでの対立が現出しやすい場だから、米国社会では、礼儀を重んじる場でこの二つに触れてはいけないとされてきました。

 この「対立」について、アメリカ・バージニア大学心理学部のジョナサン・ハイト教授が考察し、発表しました。

1)対立とはどういう現象なのか

 意思決定において直観が理性に優先されることは、プロスペクト理論の名でよく知られています。

 ハイトは、プロスペクト理論を一歩進めて、直観が働く時は、脳の奥深いところにある辺縁系(古い脳)が動き、一方で理性的な思考を巡らしている時には、脳の表層部分である新皮質(新しい脳)が活発化しているという脳科学の知見を提示します。

 つまり、直観と理性の関係は、人間の古い脳が新しい脳に優先することに他ならない。

 ハイトの言葉を借りれば、「心は乗り手(理性=新しい脳)と象(直観=古い脳)に分かれ、乗り手(理性)の仕事は、象(直観)の弁護人でしかない」というわけです。

 人間は、どんなインテリであっても、直観に基づいて意思決定を行い、理性は、後付けの言い訳づくりを担当するのが基本構造だというのです。理性は論争の武器ですが、理性によって論争を抑制することはできません。

 「だからインテリの喧嘩は終わらない。理性の引き出しがたくさんある(武器が豊富な)知識人ほど、喧嘩は長引く。これが、世界を覆い尽くす根深い対立の基本構造だ」とハイトは言います。

2)なぜ、対立は生まれるのか

 そもそも人間は、なぜ対立するのでしょうか。さらには個人の対立が集団同士の対立へと発展していくことがあるのはなぜなのでしょうか。

 根深い対立の典型例として左右勢力間の政治的対立を例にとって、ハイトは解説します。

 人間は生来的に、正義、道徳といった「社会的な善」へのこだわりを有しています。ハイトはこれを「道徳基盤」と呼びます。政治や宗教など根深いところでの対立の多くは、その人が拠って立つ価値観、世界観の違いによって生じることは誰もが知るところです。価値観、世界観を方向付けるのが「道徳基盤」です。

 ハイトは、道徳基盤を六つ「ケア・公正・忠誠・権威・神聖・自由」に類型化し、「米国の右派(保守)は6つの道徳すべての調和を重視するが、左派(リベラル)は3つ(ケア・公正・自由)の道徳しか重視しない」と言います。

 米国のトランプ現象、欧州での極右政党台頭、英国のEU離脱、日本の安倍政権長期化など、世界的右傾化の傾向を、ハイトは、次のように説明します。


 右派はすべての受け皿になれる。右派は直観に訴えれば、6つの道徳基盤のいずれかに響く。ゆえに右派の政治家は、直観的な論争を志向する。

 左派は3つの道徳基盤の受け皿にしかなれず、依拠する道徳基盤が少ないので、直観的論争を避けて理性的論争を志向する。

 すでにひと通りの「自由」が実現し、ある程度の「ケア」や「公正」な社会制度が整った西欧の先進国で、リベラル勢力が自由の価値、不正の問題を、人々の直観に訴えても、多くの人々の心には響きにくい。結果的に左派は、難民問題や格差社会の是正を理性的に訴えることになる。

 一方で、右派は難民問題や移民の増大がもたらす社会構造のきしみや摩擦を直観的に訴えかけることが出来る。社会秩序の崩壊、伝統の危機をストレートに直観に訴える。

 眼前のリスクに過剰反応するという人間の意思決定メカニズムを考えれば、どちらが論争に強いかは自明。


 だと…

3)なぜ対立はエスカレーションしてしまうのか

 政治や宗教の問題は根深いところの対立に起因します。その対立は過激化し、排他的になる傾向があります。敵対する他者を口汚く罵る一方、仲間同士の強い結束や同化を促す。対立は、人々の盲目的な集団志向を加速化させていくように思えます。

 この理由を、「ミツバチ的行動因子を人間が持っているから」だとハイトは説明します。

 ミツバチとは、何かの拍子にスイッチが入った時に発現する集団的・利他的な行為の比喩表現です。働き蜂が、巣の建設と維持、女王蜂の育成にその一生を捧げ、時に自己の身を投げ打って、侵略者(スズメバチ)と戦うように、人間にも集団的・利他的な側面があるというのです。

 人間は、ある条件が整うと、ミツバチスイッチが入って利他的な集団に変貌し、協調や役割分担や帰属を行うことで、集団間の競争においては、我が身を投げ打って戦うことがあり、犠牲をいとわず協調する集団が、利己的な個人からなるバラバラな集団を打ち負かし生き残ってきたと説きます。

 ハイトは、ミツバチスイッチが入る条件を「集団的沸騰」と呼びます。卑近な例をあげれば、学園祭的な興奮、体育会的な集団生活、カリスマによるスピーチに酔いしれる時、オリンピックの応援などはそれにあたります。集団的な儀式によって引き起こされる熱狂や陶酔によって、私達のミツバチスイッチがオンになります。「スイッチが入ると、人間は、一時的ながらも自己を消失し、集合的な関心が支配する神聖的な領域に入る」は、私も経験したことがあります。

 個体としては脆弱な人類が、地球上の生物の頂点に立つことができた理由のひとつは、ミツバチスイッチのおかげでもあります。他者と協調し、役割分担し、時に自己犠牲をいとわずに集団に帰属してきた先人がいたからこそ、人類の今日があります。人間の知性は、他者との連携や技術・文化の発展を可能にしました。ミツバチスイッチがなければ、今日の人類の発展は無かったと言えましょう。

 しかし、集団志向は、帰属者達に、同調を求め、自由を束縛し、結束強化の為に他集団に対する憎悪を増長させて、極端な場合には、戦争や集団殺戮を引き起こすこともあるという弱点を持っています。

4)希望

 ハイトは、古代中国の陰陽論にも触れています。

 陰陽論は、「外部から対立しているように見えるものが、実際には相互に依存し、補完的な二つの事象を指す。万物は陰と陽の二つの側面を持ち、両者があってこそ成り立つ」という考え方です。

 人間にも社会にも、二面性があります。陰陽論に立てば、対立相手は、叩き潰すべき対象ではなく、自分を相対化し、光を当ててくれる存在だという見方もできるでしょう。

 生き残る為の要因が多様なら、人類の道徳基盤も多様になります。

 砂漠の民が信じた一神教も、熱帯雨林で暮らす人々が奉じた多神教も、それぞれの地域に住む人々が生き抜く為に必要があって生まれた宗教です。両方があって世界があります。

 リベラルも保守も道徳基盤に依拠しています。

 国家をひとつの色に染めるのではなく、かといって、てんでばらばらでもない。地域、企業、同窓、協会等々の小さな共同体的集団への凝集性を認め、適度な集団間競争を促しながら、幸せで生産的な社会を形成していくことはできないのでしょうか。

 現在の世界の危機、そして日本の危機は、小さな共同体的集団が衰退することで、剥き出しの個人が自分の力だけで生きる意味を見出さなければならなくなっていることにあります。

 小さな共同体的集団の喪失は、深いところで他者とつながりたいという人間の本能の拠り所がなくなることにつながります。そんな状況のもとでは、雄弁で勇ましいリーダーの甘言に乗せられやすくなります。日本社会に蔓延する強いリーダー待望論にも同じ図式があてはまるのではないのでしょうか。

 いま、私達が持たねばならない希望は、「あきらめないという勇気」です。

 幸せに至る道は、平坦でわかりやすい一本道ではないけれど、けっしてショートカットすることが出来ない道なのですから。


 質問の時間になった。


 受講者A:「人間は、直観に基づいて意思決定を行い、理性は、後付けの言い訳づくりを担当するのが基本構造」というお話でしたが、その「直感」はどうやって作られるのでしょうか?


 講師:ミツバチ的行動因子を人間が持っているからだと考えます。

  「戦後左翼たちの誕生と衰亡」という本の中で、戦後左翼の一人が「…はじめて会った左翼の中に生きた批判精神を見た…」と話しています。

挿絵(By みてみん)

  オーストリアの動物行動学者Konrad Zacharias Lorenzが発表した「雛が孵化して最初に見たものを親と認識し追いかけていく刷り込み」と同じような状況で思想が形成されたと告白したのです。そして、帰属しているコミュニティで、思想の正しさを裏付ける情報を確認し合って安心する行動を繰り返しているうちに、脳内の深奥に凝り固まった信念ができてしまうのでしょう。

  このような信念固定化過程のパターンは、左翼に限らず、右翼や陰謀論者などにも当てはまると言われています。


 従弟:「政治と宗教は、根深いところでの対立が現出しやすい場」というお話でしたが、「宗教」についてはどうなんでしょうか?


 講師:信念固定化過程のパターンは、「宗教」に関していうと、特に先鋭です。例えば、今話題の統一教会についていうと、批判者、信者の双方ともに、どんなに明白な証拠を突きつけられようと、考えを変えることはないでしょう。


 僕:マスコミや一部野党の支持者らが、他宗教と何処が違うのか説明もせずに、ひたすら、統一教会だけを叩く狙いは、「統一教会と安倍さんの繋がりは深い」という真逆の印象操作をしながら、安倍さんを叩くことにあるのでしょうか?

挿絵(By みてみん)


 講師:そういう面は有るかもしれません。


 受講者B:政治と宗教以外の分野でも、信念固定化過程のパターンは見られるのでしょうか?


 講師:「仲間」が意識されるところでは、何処でも、信念固定化過程のパターンは見られます。職場、学校、労働組合、スポーツ・芸能ファンクラブ、趣味の会、福祉ボランティアサークル、地域活動、創作活動、革命運動、犯罪組織など至る所で…


 受講者C:仲間内で、「勧誘」は重視されるのでしょうか?


 講師:グループの盛衰にとって、「勧誘」は非常に重要な要素です。メンバーや賛同者を増やせば、社会に対するグループの影響力は大きくなります。だからこそ、行き過ぎた勧誘がトラブルを引き起こすことにもなるのです。


 司会者:時間がきましたので、ご質問を締め切らせていただきます。講師の先生に感謝の拍手をお贈りしたいと思いますので、皆様、よろしくお願い致します。


(拍手)


 僕は思った「メンバー以外には無価値な物を高額で買ったり法外な寄付をするのは、脳深奥で凝り固まった『信念』が帰属意識の高まりを切望させてるからなのか」と。

 切ない…

僕は、次のように呟いた。

https://twitter.com/thucydi_des/status/1598159828676792320


左翼論法の典型を見つけた

挿絵(By みてみん)


自明横車:「自明」でないものを「自明」だと決めつけ

牽強付会:遠い因果関係すら無いのに強引に結び付ける

二重規範:敵の黄信号通過は罪、左翼の赤信号無視はOK

罪業転嫁:自ら為した悪行の汚名を無実の愛国者に被せ

論理掏替:挙証責任転嫁やカカシ論法駆使で論争を逃避

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