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英国女王の国葬=皇室の重み=

1939年、第二次世界大戦が始まり、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞するラジオ放送を行った。ジョージ6世の長女エリザベスも、少年少女を鼓舞するラジオ放送を行った。第二次世界大戦でイギリスは勝利し、その後、25歳で即位したエリザベス二世は、「勝利の女神」の如く絶大な人気を維持した。

 2022年9月、英国エリザベス女王の国葬がウェストミンスター寺院で執り行われ、イギリス王朝の歴史が気になったので調べてみると、神奈川大学石井美樹子名誉教授の記事が目に入った。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 1066年、ノルマン人がイギリスを征服し、ノルマン朝を樹立した。三代目のヘンリー一世には公認の庶子20人がいたが、正当な後継者は王女マティルダただ一人だった。王位を横取りした従弟スチーヴンに戦いを挑んだマティルダは善戦し、和平協定で息子のヘンリーをスチーヴンの後継者に指名させることに成功した。

 ヘンリーはヘンリー二世として即位し、プランタジネット朝を開いた。プランタジネット朝八代目のリチャード二世は、信心深く洗練された人物だったが、フランスとの百年戦争を戦える勇敢な指導者が求められた。この「世論」に後押しされて現れたのが、王の従弟のヘンリー・ボリングブロック。1399年、王位を簒奪し、ヘンリー四世として即位。リチャード二世を捕えて餓死させて、ランカスター朝を開いた。

 1453年、イギリスが欧大陸から追い出されて英仏百年戦争は終結したが、対仏和平派ランカスター家と主戦派ヨーク家(プランタジネット家傍流)の間で内戦が始まり、ヨーク家の勝利でリチャード三世が即位した。

 1485年、エドマンド・チューダー(ランカスター王ヘンリー五世の未亡人で王太后となったキャサリンと秘書官オウエン・チューダーの子)の息子がリチャード三世に戦いを挑み勝利してヘンリー七世となり、チューダー朝を開いた。

 1603年、亡くなったエリザベス一世の遺言でスコットランド王のジェームズ一世が即位し、スチュアート朝を開いた。

 1649年、スチュアート朝のチャールズ一世が、清教徒革命派との戦いに敗れて処刑され、イギリスは共和国となった。

 1660年、スコットランド軍がロンドンに進軍して共和国を解体し、オランダ等に亡命していたチャールズ二世を呼び戻して、スチュアート朝を再興した。

 1714年、スチュアート朝に世継ぎ無く家系が断絶したとき、ドイツに居たジェームズ一世の子孫がイギリスに呼び寄せられ、ジョージ一世として即位して、ハノーヴァー朝を開いた。ジョージ一世は、英語を話せず、「君臨すれども統治せず」といわれる状態が続いた。

 1901年、ヴィクトリア女王が亡くなり、長男がエドワード七世として即位して、サクセン・コバーグ・ゴータ朝を開いた。

 1917年、第一次世界大戦の敵国ドイツへの反感から、王朝名をウィンザーに改名した

 1936年、ジョージ5世が亡くなり、長男がエドワード八世として即位したが、ドイツ国スパイと噂される人妻と恋仲になり、首相から退位を迫られて、弟に譲位した。弟はジョージ六世として即位した。

 1939年、第二次世界大戦が始まり、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞するラジオ放送を行った。ジョージ6世の長女エリザベスも、少年少女を鼓舞するラジオ放送を行った。第二次世界大戦でイギリスは勝利し、その後、25歳で即位したエリザベス二世は、「勝利の女神」の如く絶大な人気を維持した。

 日本の皇室についての記述を調べると、代ゼミ宇山卓栄講師の記事が目に入った。

 欧州や中国のような血生臭い王朝交代劇は、日本の近代史では見られない。

 最後の将軍徳川慶喜が体面を保ちつつ政権から退くことができたのは、将軍よりも格上の天皇に、それまで預かっていた政権を返上するという大政奉還の建て前を通すことができたから。薩摩・長州という辺境家臣への屈服は、三百年弱続いた江戸幕府にとって到底受け容れることができず、死力を尽くして戦う凄惨な内戦に発展しただろう。

 藩主の実権を天皇に返還させる廃藩置県も、身分の低い足軽上がりの革命者(西郷隆盛や大久保利通など)の命令だったら、従う者は居なかっただろう。しかし、各藩主は、勅命を実力で排除しようとせず、潔く身を引いて武士道を全うした。

 外国では、このような価値観・行動様式と異なる、暴力で総てを決める思考方法が主流である。

 また、太平洋戦争時の敗戦受容れも、天皇の玉音放送が抵抗を止めさせて、終戦後への移行を円滑にした面がある。だからこそ、敗戦革命志向者らは、宮城事件を起こしたのだ。

挿絵(By みてみん)

https://ncode.syosetu.com/n0129gu/11/

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