「ドアの向こうには」
~~~カーミラ視点~~~
母はいないが、毎日家政婦さんが来てくれるので生活上困ったことはない。
父エメリッヒは音楽院の教師で安定した収入があり、お小遣いだって毎月多く貰っていて、そういう意味で不自由したことは一切ない。
だが、カーミラは不満だった。
「あーあー、あたしってばなんて不幸な子なの? ママが家を出て行って、理解力に乏しいパパとのふたり暮らし。そのパパも、顔を合わせるたびお小言ばかり。ホント、やってらんない」
散らかり放題の自室でカーミラは、いつものように嘆いていた。
「音楽院に行け、もう一度やってみろの繰り返し。いいじゃない、行かなくたって。勉強なんかしなくたって。あたしみたいな可愛い子は存在してるだけで余の中に貢献してるってことがまだ理解できないのかしら」
姿見を覗き込みながら、カーミラはつぶやいた。
「ほら綺麗っ、ほら可愛いっ。ねーっ? あたしは汗をかいて働く必要なんかないんだからっ。労働者階級になんかならないで、一生天使として暮らすんだからっ」
くるくるとテンパがかった金髪、エメラルドのように美しい緑色の瞳。
そばかすはちょっとあるけど、それも愛嬌があって可愛いらしい。
まさに天使のような容姿だなと、カーミラはひとり満足してうなずいた。
実際、天使みたいに扱われていたことがある。
母や父に可愛がられ、近所の人にもてはやされ。
天使のような歌声と天使のような容姿の両方を備えた少女として、チヤホヤされていたことがある。
産まれてからずっとそうだったし、音楽院に入学してからもしばらくの間はやはり同じように扱われていた。
それはずっと、自分が死ぬまで続くのだと思っていた。
しかし今考えてみると、それが自分の人生の絶頂期だったのだ。
大人になるにつれてみんなの声量が大きくなり、そこへ技術が伴い、カーミラは徐々に順位を落としていった。
天使の歌声を持つ、天使のような少女→歌の上手い可愛い子→歌も歌える可愛い子→見た目がいいだけの残念美少女。
凋落はあっという間だった。
それでも最初のうちは頑張ろうと思ったのだ。
なんとかして順位を上げようと、もう一度みんなにチヤホヤしてもらおうと、必死に努力したのだ。
しかし努力に反比例するようにして、歌は下手になっていった。
変に技術をこらそうとして失敗し、音にひずみが生じてしまう。
声を張り上げようとするが筋力が足りず、声がひっくり返ってしまう。
失敗することが当たり前となり、順位が下降することが当たり前となり、やがては人前で歌うことすら億劫になり、いつしかカーミラの気力は消えて失せた。
周りからの嘲るような目線が耐えられなくなり、音楽院に通うことが出来なくなった。
家に引きこもり、外に出ることすらなくなった。
『おまえはまだ若い。まだやり直しが効く』
『お父さんだって昔は苦労した』
『すべてを一度に決める必要はない。気長に、ゆっくり学びなさい』
父であるエメリッヒはそう言って慰めるが、そんなの全然、カーミラには届かなかった。
「若いとか関係ないんだよ。あたしの絶頂期はすでに過ぎたの。あとはもう、この可愛い見た目ぐらいしか残ってないの。あたしはこれを頼りに生きていくしかないの」
挫折を知らずに育ったからこそ、カーミラにはこらえ性がなかった。
勝てない勝負なんてやるだけ無駄と、おもちゃを捨てるみたいに簡単に声楽を諦めた。
「それより今はこれでしょ、これ。テレーゼ様っ」
壁一面に貼られているのはテレーゼの写真や新聞記事、音楽雑誌などの切り抜きだ。
カーミラがお小遣いをはたいたり、あるいはエメリッヒにねだって買ってもらったコレクション。それらが所狭しと貼られている。
王都より彗星の如く現れ数多の決闘者を下し、音楽決闘の東西最強位となった彼女は、カーミラにとってのアイドルだった。
「まだ十六歳なのにグラーツで五本の指に入るほどのピアノ弾きで……。外見に関しては天使も裸足で逃げ出すほどの完璧な美少女で……。しかも王子に受けた過酷な仕打ちというエモエモ要素のおまけ付き……じゅるりっ。おっとよだれが……。へへっ、えへへへへっ。推せる、推せるわあああ~っ」
手先の器用なカーミラは、テレーゼを模して作った自作のぬいぐるみをあちこちに飾っている。
ベッドの上には寝かせてあるのはなんと等身大サイズの力作であり、毎日抱くようにして眠っている。
現代日本でいうならばガチ恋勢といったところだろうか。
カーミラのテレーゼへの執着は極めて強い。
「ああああ~、一度でいいからテレーゼ様の生演奏が聴いてみたいなあ~。でも外に出るのは嫌だしなあ~。いっそのことパパの権力で連れて来てくれないかなあ~。音楽院の生徒なんだし~。なぁ~んて、パパぐらいの身分じゃ無理か。せめて学院長ぐらいにはならないとね。権力がね、おぼつかないというか。あ~あ、こんなにも想っているのに目にすることすらかなわない。あたしってばなんて不幸な子なのかしら~」
ベッドの上でゴロゴロ、ゴロゴロ。
等身大ぬいぐるみを抱き締めながら悶えていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえて来た。
「はあ~い、なあに~? パパなの~? ご飯ならきちんと食べたよ~。昨日みたいに残してないよ~」
さらりとウソをつきながら(実は半分捨てた)なおもゴロゴロしていたが、ノックの音は鳴りやまない。
「もう~なんなの? 開けろってこと? いいけど、一秒だけだからね。開けたらすぐ閉めるから。わかった?」
めんどくさいなあとガリガリ頭をかきながらドアに近寄り……。
ガチャ(鍵を開ける音)。
ガチャ(ドアを開ける音)。
「こんにちはカーミラ、初めまして。わたしはテレーゼって言うんだけど、あなたのお父さんの学校の生徒で──」
ガチャ(ドアを閉める音)。
ガチャ(鍵をかける音)。
「…………ん?」
一瞬なにが起こったのかわからず、カーミラはその場に立ち尽くした。
腕組みして、頭をひねった。
「あれ? 今のなんだろ? 好きすぎるあまりとうとう幻想が見えるように……? しかも相当に生々しい……まるでそこに実物がいるかのような……? 声まで聞こえて……しかも想像通りの綺麗なお声で……? え、これって望めばいつでも見れるの? 聞こえるの? それってヤバくない? 人恋しい時に望めばすぐ目の前にテレーゼ様のお姿が……ってそんなの鼻血ものじゃない? って違うそうじゃないっ」
カーミラはようやく現実逃避から戻って来ると、再びドアに手を伸ばした。
ガチャ(鍵を開ける音)。
ガチャ(ドアを開ける音)。
「あ、あの~。カーミラ? 少しでいいからお姉さんの話を聞いてほし──」
ガチャ(ドアを閉める音)。
ガチャ(鍵をかける音)。
カーミラはその場にしゃがみ込んで頭を抱えると……。
「本物だこれえええええええーっ!?」
隣近所まで響くような大声で、悲鳴を上げた。
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