「ドアの貼り紙」
エメリッヒ先生の家はグラーツ東部の、富裕層が多く住まう地域に立つ一軒家だった。
二階建てで日当たり良好で庭も広い、東京都内で構えるなら七千万円は下らないだろう立派な家だ。
音楽教師の給料プラス、プロの音楽家としても活動を続けているからこそ購入できたという話だが……。
ううむ……やはりグラーツにおける音楽家ってのは夢のある職業なんだなあ。
いつかはわたしもピアノ弾きのお給料で、どどーんと大豪邸が建てられるのかしら。
専用の音楽室を作って、専門の料理人を雇って、メイドさんなんかもいたりして。あとあとっ、でっかくてモフモフしたセントバーナードはマストでっ。
などと妄想をたくましくしていると……。
「こっちだ、テレーゼ君」
エメリッヒ先生がわたしたちを手招きし、リビングへと案内してくれた。
ちなみに『わたしたち』の内訳は、わたしとクロード、なぜかついて来たリリゼットとリリゼットの護衛のコーゲツさんとツキカゲさんのアジアンチックな大男小男コンビ。
合わせて五人という大所帯だが、それでも余裕があるぐらいにリビングは広かった。
大きな暖炉にソファセット、観葉植物とヴァイオリンと(エメリッヒ先生はヴァイオリンも弾ける)、なんとグランドピアノまで置いてある。
「この時間は、娘さんはいつも家に?」
「いる。というより、いつもいる。わたしの記憶がたしかなら、この半年間、庭より遠くへ出たことがないはずだ」
うんまあ、引きこもりならそうだよね。
わたしのイメージでも、床ドンとかして親に食事を持って来させるイメージだし。
「でも、ちょっと意外ですね。エメリッヒ先生なら愚図る子供のひとりやふたり、一喝できそうな雰囲気ありますけど……」
わたしの疑問にエメリッヒ先生は、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「情けないことに、実の娘には出来ないものでね……」
ううーん、そんなものなのか。
まあでもたしかに、大事に大事に育てた娘にいきなりキレられたら悲しいもんなあー。
奥さんに離婚され、なおかつ娘にまで嫌われたらと考えると二の足を踏んでしまう気持ちはわかる。
いい歳こいてママに反抗した娘であるわたしだからこそ、よくわかる(吐血)。
「ここが娘の部屋だ。娘は君のファンで、演奏を聴いてみたいといつも言っていた。だから君が来れば喜ぶだろうし、上手くいけば部屋から出て来てくれるかもしれない」
部屋から出る、ただそれだけのことがさも難事業であるかのようにエメリッヒ先生は言う。
今までよっぽど苦労して来たんだなあと思ってホロリとしている間に、わたしはカーミラの部屋にたどり着いていた。
『話しかける時は必ずノックしてね! レディには心の準備ってものがあるんだから!』
『お小言は聞きません! ベタ褒め以外許さないから!』
『ニンジン禁止! 入れたら親子の縁切るからね!』
「……うおう」
カーミラが書いたのだろう、ドアにベタベタと貼られた貼り紙の数々に同情を禁じ得ないわたしだ。
いやあ~、子供を持つって大変だなあ~……。
「驚いたか?」
どことなく恥ずかしそうに、自責の念をこめてエメリッヒ先生。
「え、ええまあ……エメリッヒ先生も苦労してるなあと……。でもなんとなく、ホッとした部分もあったりして……」
「ホッとする? これを見てか?」
そんな感想が出てくるとは思わなかったのだろう、ポカンとするエメリッヒ先生。
「わたしのいた世界……じゃなくて、王都でもたまにこういう子供っているんですよ。んで、貼り紙とかもよくする。でもそういうのってけっこう命令口調というか、上から来るのが多いんですよね。親に対して『おまえ』とか、『この野郎』みたいな。読んでる人の気持ちを考えない罵詈雑言なんかが書かれていることもあって……。でもこれって、そうじゃないじゃないですか。エメリッヒ先生を認めてるというか、どこか甘えてる感が強くて可愛らしいというか。わたしが当事者じゃないからそう思うのかもしれないけど……」
「……つまりはまだ、更生の余地があると?」
「ええ」
エメリッヒ先生に答えると、わたしは貼り紙通り、礼儀正しくノックした。
コンコン、コンコン。
「こんにちはカーミラ、初めまして。わたしはテレーゼって言うんだけど……」
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