「袋男③」
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~~~ザムド視点~~~
翌日から、ザムドはバルの常連となった。
職業柄、特定の店に寄り着くことはしないように決めていたのだが、その決め事をひっくり返すぐらいに気に入ったのだ。
料理の美味さもあるが、何より大きかったのはテレーゼという少女の存在だ。
森の妖精エルフのように幻想的な美しさを湛えながら、しかし大口を開けて笑い、大股で歩き、よく食べよく呑む。
一瞬ごとにころころと表情を変え、話題も尽きることがなく、見ていても聞いていても飽きることがない。
何よりもすごいのは、ひとたび演奏家となった時の変貌ぶりだろう。
音楽院の生徒でありながら職業ピアノ弾きでもある彼女は、ピアノの前に座った瞬間人が変わる。
天上の音楽のように美麗な音を紡ぎ出し、満場の客を虜にする。
彼女が演奏する時間は、客席はいつも満席。立ち見客はもちろん表にまで臨時の席が設けられるほどだ。
「あ、ザムドさんだ! 今日も来てくれたのね、ありがとう!」
曲の合間の水分補給にとエールをあおったテレーゼは、ザムドの姿を認めるなりぶんぶん勢いよく手を振って来た。
「ああ、今日もお邪魔させてもらってるよ」
ザムドが手を振り返すと、テレーゼはそれに倍する勢いで振り返した。
「気合い入れて弾いてくから、最後まで聞いていってね~♪」
ご機嫌で言い放ったテレーゼは、再びピアノへと向き直る。
気合い入れて弾くの言葉通り、次に始まったのは聴いたこともないような超難曲だ。
テレーゼの両手が鍵盤の上を超高速で踊るたび、客席から驚きの声が上がる。
──……いやあ、今日もすごいな、テレーゼちゃん。指何本あるんだよってぐらいの超速弾きだ。
──ああ、東西両地区最強の看板に偽りなしだな。
──聞いたか? この前ドミトワーヌ夫人のサロンでも弾いたってよ。四手連弾だったけど、恐ろしいほどの演奏だったらしいぜ?
──ああ~、とうとうサロンデビューかよ。ますます売れっ子になっちまうなあ~。
──……そのうちここでも弾いてくれなくなったりする?
──ありえるなあ。ああ~、俺たちの天使が手の届かぬところにいぃ~……。
──あそこの大男、最近テレーゼちゃんと仲いいんだよなあ……。うらやましい……。
客たちも、テレーゼの良さを十分に理解しているようだ。
演奏を褒め、たたずまいに感嘆し、至上の時を過ごしている。
「ふ~ん、たいしたもんだねえ」
ザムドはぼそりとつぶやいた。
演奏の良し悪しについてはさっぱりわからないが、彼女がすごいことをしているのはよくわかる。
これほど多くの客を惹きつけ、虜にしている。
しかもこれでまだ十六歳というのだから。
「この先いったいどんな大人になっていくのかねえ。ホントに想像できないや」
ザムドは感心しながら眺め続けた。
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バルに通い続けるうちに、テレーゼを見つめる無数の目があることにザムドは気づいた。
──まずは恋愛としての目線。
男女関係に疎いザムドですらもわかるほどに、それはわかりやすいものだった。
バルの主人の息子でピアノの弟子のウィル。
音楽出版社社長の息子で同級生のハンネス。
執事のクロードについてはまだ怪しいところだが、心惹かれているのは間違いないように見える。
──それとは別に、テレーゼの動向を監視している者もいる。
執事服を着た男が三人。
クロードほどではないが戦闘に長けた者たちのようで、これが日替わりでテレーゼの動きを見張っている。
サロンの夜に猫背の小男が口にしていたバーバラという者の部下だろうか、現段階ではあくまで推測だが、それほど的外れではないような気がする。
──そしてもうひとり、こいつはどうもテレーゼのことを敵視しているようで、事あるごとにピアノ勝負を持ちかけては負けている。
「はいはい、今日も今日とてわたしの大勝利ーっ。エメリッヒ先生お疲れ様でしたーっ」
「……くそっ、また負けたっ」
「はいはい、仕事の邪魔になるから敗者はどいた、どいた。あ、食事はきちんとしていってね。それがこのバルでの音楽決闘のルールだから守ってね~」
「そんなこと言われなくてもわかってるっ、注文すればいいんだろう注文すればっ」
銀髪をはらり額に垂らした細面の男──エメリッヒは悔しげに叫びステージから降りると、空いた席にどっかと腰掛けた。
客席は一杯に埋まっているので当然相席、しかも今日はザムドの対面だった。
「……なあ、あんたってさあ、音楽院の先生なんだろ?」
「はあ? なんだ貴様、なぜそれを知っている?」
突然話しかけたザムドを不愉快そうににらみつけてくるエメリッヒ。
ザムドの風貌も相まってだろう、思い切り怪しまれているようだ。
だが、ザムドは気にしなかった。
実際怪しいのは事実だし、たまたま相席となっただけの関係だ。
だからザムドは一切気を使うことなく、率直に聞いた。
「他の客が噂してるんだよ。音楽院の先生が教え子に負け続けで恥ずかしくないのかねって」
「くっ……そんな噂が……っ?」
エメリッヒは羞恥で顔を真っ赤にした。
そしてすぐに悔しげに、ギリと奥歯を噛みしめた。
「……ふん、まあそうだろうな。普通に考えれば、これほど愚かしいこともないだろう」
「へえ、認めるんだ?」
怒ってケンカでも吹っ掛けて来るか、席を立つかぐらいはするかと思ったが……。
「しかたあるまい。事実は事実だ、曲げられん」
エメリッヒは顔をしかめながらも素直に認めた。
「なあ、あんたってどうしてそこまでしてテレーゼちゃんに勝負を挑むの? 連日負け続けで、勝てそうな気配すらないのになんでやめないの?」
煽りではなく、純粋に疑問だった。
生まれてこの方ずっと命のやり取りをしてきたザムドにとって、勝てぬ戦いに挑むのは愚か者のすることであり、それを続けるとなれば、もはや狂人の仕業としか思えない。
「なぜ? そんなの決まってる」
ちょうど届いたエールをジョッキ半分ほどぐいとあおると、エメリッヒはあっさりと言った。
「音楽家としての、ピアノ弾きとしての、それが誇りだからだ」
「誇りねえ……」
エメリッヒはザムドの指を見ると、ふんと鼻を鳴らした。
「指を見ればわかる。君は肉体労働者で、音楽家ではあるまい? だからわからんのだ」
「ふうん……そんなもんかね」
バカにするような口調で言われたが、腹は立たなかった。
エメリッヒの生きる音楽家の世界と自分の生きる暗部とでは、価値観があまりに違い過ぎる。
「やっぱり俺には、音楽ってのはわからんね」
ザムドは肩を竦めると、再びテレーゼに目をやった。
あんなにも楽しげに弾いている彼女にどうして大の大人が勝負を挑むのか、優劣を付けようとするのかさっぱりわからず、だからこそ興味深く思って、ずっとずっと眺め続けた。




