「ボクが『光』に……」
~~~ウィル視点~~~
ジルベール・ハーティア組との対決が終わり、豪勢な食事で満腹になった午後十時。
サロン自体は深夜まで続くのだが、なにせ一行は子供たちばかりだ(一部例外を除く)。ドミトワーヌ夫人への挨拶を済ませると、早々に帰路につくことにした。
六頭立て八人乗りの馬車の中では──
アイシャとミントはサロンの興奮冷めやらぬままお喋りに夢中で、その隣に座っているハンネスは弾ける女子力に押されてか所在無げにしている。
珍しく泣いたりしたせいだろうか、アンナはウィルの肩にもたれかかる形でくうくうと寝息を立てている。
テレーゼは特段騒ぐこともなく、眠ってもいなかった。
黙ってウィルの隣に座り、車窓の景色を眺めていた。
「……」
秋のお祭りの準備で様々な飾りが取り付けられている街並みを、何も言わずに眺めるテレーゼ。
一見いつもと変わらぬ様子だが……。
(あれ、違う? 先生、何も見てない?)
しかしウィルは気が付いた。
最近ずっと隣にいたから。
四手連弾は全神経を集中して相棒の呼吸を読むものだからこそ、その違いに気が付けた。
テレーゼの目は何も追っていない。
ガラス玉のように街の景色を反射しているだけで、そこにはなんの感情も宿っていない。
(……先生?)
ウィルは一瞬、ぶるりと震えた。
そこにいるのがいつものテレーゼではなくて、見ず知らずの他人で、声をかけたら怪訝な顔をされてしまう。そんな想像をしてしまい、恐ろしくなったのだ。
(……そういえば、ボクは先生のこれまでを何も知らない)
正確には、悪い噂だけは聞いたことがある。
平民の女性をいじめた結果としてリディア王国の王子との婚約を破棄され、王都を追放され公爵家を勘当されたことも。
もちろんそんなのはただの噂だ。
一部は事実だったとしても、元気で明るくお人好しな普段の振るまいを見ていれば、彼女がいかに素晴らしい女性であるかはすぐわかる。
でも──でもだ。
では彼女は、王都でどうやって過ごしていたのだろう?
あれだけのピアノ技術を習得し得た環境、母に褒めてもらうことが『光』だった子供時代。
物語性に満ちた多くの作曲、よほどのベテランであっても語ることが出来ないだろう数多の経験……。
(いったいこの人は、いつからそういう舞台に立っていたんだろう……?)
歳をとることのない森の妖精エルフを目の前にしているような気分になって恐ろしくなったウィルは、ゴクリと唾を呑んだ。
「……あれ、どしたのウィル? わたしがどうかした?」
ふと気が付くと、テレーゼはウィルを見ていた。
月光を浴びたエルフが森に紛れ込んだ人間を物珍し気に眺めるように、目を細めて。
「え、えと……その……っ」
ウィルは一瞬、言葉に詰まった。
今思っていたことをそのまま口にするわけにはいかない。
かといって、黙っていれば怪しまれるだけだ。
「あの、別に、特に理由は……っ」
「ふふ、変なウィル」
しどろもどろになるウィルを、テレーゼは笑った。
口に手を当て、くすくすと。
(うわあ……なんて綺麗なんだろう……)
ウィルは見惚れた。
普段から綺麗な人だとは思っていたが、今夜は特に綺麗だ。
ふわり柔らかな金髪が、月光を浴び輝いている。
緩くカールしたまつ毛が微笑むたびにわずかに揺れる。
肌は白く雪のようで、瞳は青く深い宝石のよう。
体は細くたおやかで、それこそ森の精霊エルフが人間世界に迷い込んで来たと言われても信じてしまうほど。
(しかもなんだろう、今夜は特別……寂しそうだ)
先ほどの想像が尾を引いているせいもあるのかもしれないが、今のテレーゼはそう見える。
誰にも言えぬ悩みを抱えているような、深い憂いに沈んでいるような。
放っておけば、このままどこかに消えていなくなってしまいそうな。
そんなことを考えた、次の瞬間──
「……先生っ」
ウィルは思わず、テレーゼのドレスの裾を掴んでいた。
「ん? どしたのウィル?」
「あ、いえその……っ。ええと……っ、あれあれあれっ?」
ウィルは慌てた。
何か計画を立ててしたことではない、本当に発作的な行動だったのだ。
「えとえと、その……っ」
ウィルは慌てた。
今度こそ何か言わなければ。
このまま黙っていれば、本気でおかしな奴だと思われる。
(先生に怪しまれる……それだけは嫌だ……っ)
こんがらがった頭の中で、ウィルが出した答えはしかし……。
「ボ、ボクが先生の『光』になりますからっ」
……というものだった。
「え? ウィルが、わたしの『光』に?」
「そ、そうですそうですっ」
(うわああああーっ!? なに言ってんだなに言ってんだなに言ってんだボクは!?)
内心で悲鳴を上げながらも、今さら言葉を引っ込めるわけにいはいかない。
(ええとこの先どうしよう!? いやでも先生がボクに言ってくれたことをこう上手いこと組み替えるといい感じのセリフになるに違いなくて……!?)
ウィルは目をぐるぐる回しながら必死に言葉を紡いでいく。
「せ、先生は自分の最初の『光』は自分にとってのお母さんだって言ってたじゃないですか! ボクにとってもそれはやっぱりそうで! そして今さっき思ったのは、先生もまたボクにとっての『光』だったんですよ! それがすごく嬉しくて、ボクがここにいていいんだー、ピアノを弾いていいんだーって気もちにさせてくれて! 認められた気がして安心して! だからその! ボクもまた先生にとっての『光』になれたらいいなって! そうすればきっと先生も寂しい気持ちにならなくて済むというか! 色々思い悩まずに済むというか! あああああああ何言ってんだろうボクは!? ででもでもでも!」
ここまで来たらヤケだとばかりにウィルは声を張り上げると、テレーゼの手を両手で包んだ。
「ともかく! 先生が辛いなと思った時はいつでも言ってください! ボクじゃ力になれないかもしれないけど! 呼ばれたら即座に飛んで行って、傍にいてお話を聞いて、遊び道具になるぐらいは出来ますから!」
「遊び道具? ぷっ……何それ、おっかしいの」
あまりと言えばあまりにひどい慰めの言葉とウィルの必死の形相を、テレーゼはくすくすと笑った。
「でもありがとね。ウィルはわたしを慰めてくれたんだよね。何か思い悩んでると思って。でも大丈夫だから。わたしはこんなに元気だし、四手連弾でも勝ってご機嫌だし。ほら、こうしてウィルみたいな先生思いの生徒もいるしね」
嬉しそうに微笑むと、テレーゼはウィルを抱きしめた。
小さな頭を抱えるような、正面からの柔らかなハグ。
「…………っ!!!?」
その瞬間──ウィルの背中に電流が走った。
ピシャアアアン、特大の稲妻が走り抜けた。
(なんだなんだなんだ今の!? ハグだったら今までも何度もしてきたのに、今日のはなんか違う!? 違わない!? え、え!? これってボクがおかしいの!?)
胸の動悸が際限なく早くなり、唾があとからあとから湧いてきて、顔がどうしようもないほどに赤く火照る。
今まで感じたことのないほどの凄まじい、身体的動揺。
ウィルはわけがわからなくなり、まともに言葉を発することが出来なくなった。
「あの、あの、あの、あのあのあのっ!?」
「ありがとう、ウィル。あなたはわたしの『光』だよ」
テレーゼにぼそりと耳元で囁かれた瞬間──
(うわああああああああーっ!?)
ウィルは内心で絶叫した。
同時に隣で寝ていたはずのアンナが目覚め。
「もう……何よウィル。うるさいわねえ……。人が気持ちよく寝てたのにぃ……」
眠い目を擦りながら苦情を訴えて来たので……。
「ひゃああああああああーっ!?」
ウィルはもう一度、今度はマックスボリュームで絶叫した。
その光景を、多くの者が見ていた。
アイシャとミントは目を爛々と輝かせながら。
ハンネスは驚きと、そしてわずかな羨望を含んだ目で。
クロードだけは「?」と小首を傾げていたが、しかし多くの者は察した。
ウィルの中で、たしかに何かが変わったのを。
テレーゼとの距離感に、違いが出たのを。
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