「『亡き王女のためのパヴァーヌ①』」
「「モーリス・ラヴェル作『亡き王女のためのパヴァーヌ』」」
異口同音につぶやいた直後、まずは高音部を担当するウィルが先に始めた。ゆっくりと、歩くように。
低音部を担当するわたしはわずかに遅れながら、ウィルの歩みについて行く。
アセ・ドゥー・メ・デュヌ・ソノリテ・ラルジュ──甘く柔らかく、しかしゆったりとした響きで。
細かいことで有名なラヴェルの指示通りに、冒頭の六小節を奏でていく。
曲調はどこまでも緩やかだ。
翳るような和音が響板を震わせ、会場内にそっと低く、薄い霧のように広がりゆく。
──まあ…………。
──……なに、この曲は?
わたしたちのことを小馬鹿にしたような目で見ていた貴婦人たちが、まずは口元に手を当てた。
口々に驚きをつぶやき、互いに顔を見合わせている。
──ずいぶんと平坦なリズムの……いや、これはもしかして意図的なものなのか?
──繊細で緻密な構成……いったいどこの作曲家が……?
理屈っぽい紳士たちが、どこか慌てた様子で曲を解析し始める。
「……ふふふふふ」
驚きと戸惑いが満ちゆく光景に、わたしは口元を綻ばせた。
19世紀頃末頃、長調と短調の枠組みに限界を感じていた多くの作曲家たちは、それぞれ新たな試みに取り組んでいた。
ラヴェルもまた、同じように悩んでいた。
曲作りにもがき、あがき、やがて辿りついたのが古い教会旋法の作法だ。
調の枠組みから離れ、趣きに重きを置く。
この着想が大当たり。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』は数々の名作を生み出したラヴェルの作品の中でも最高傑作と呼ばれるようになった。
今こうして弾いていても、本当にすごい曲だと思う。
あえて平坦化したリズムにより生じる独特な浮遊感、反復するような和声の進行、人の感傷を呼び起こす物悲しげな主旋律。
それらが人を惹きつける。
心をぎゅっと掴まれた聴衆が次に叩き込まれるのは、追憶の渦の中だ。
トレ・ロワンタン──とても遠くから。
高音を走らせる一方で、低音を遅らせ時に静止させる。
音に距離感をもたせることで生じた祈りにも似たフレーズの中に、人はそれぞれの過去を見る。
──どこか懐かしいような……。いつか見たことのある光景を思い起こさせるというか。
──……なぜでしょう、胸が痛みます。
──感傷だな。失われた過去を思い出させるような……。
──誰か、ハンカチをくれないか。
聴衆はすでに、ジルベール・ハーティア組の演奏を忘れている。
今まさに眼前で紡ぎ出されている傑作の行方を聞き逃すまいと、心の内より生じた感傷の落ち着き先を見逃すまいと、ただただ聴き入っている。
──なんでよ。なんでこんな曲……っ。こんなのよりわたしとお兄様の演奏の方が上なのに……っ
会場の端から、ハーティアがこちらを見ているのがわかった。
思ってもみなかったみんなの反応に怒り、顔を真っ赤にして震えているのがよく見えた。
「……ねえ、ハーティア」
正直な反応を示すハーティアに向かって、わたしはくすり、小さく笑んだ。
「あなたの言ったことは正直いちいちムカつくし、やったこともすべて許せないことばかり。はっきり言って嫌いよ。わたし、あなたのことが大嫌い。……でもね? ひとつだけ、これだけは完全に同意って部分があったんだ。わかり合える部分があったんだ。それはね? 四手連弾がお遊びや余興の類じゃないって言ったこと。力あるピアノ弾きが行えば、しっかりと芸術になる演奏形態だって言ったこと」
その通りだと、わたしも思う。
ひとつのピアノをふたりで分けることで曲の難易度を下げるだけじゃない。
四手連弾にはその先がある。
ふたりのピアノ弾きの感性が交わることで、黄金のマリアージュが産まれることがある。
時に個人の感性を超え、思惑を超え、奇跡を起こすことがある。
わたしがかつて、ママと共に味わったように──
そうだ。考えてみればあの時もこの曲だったっけ──
「……ウィル」
感傷の淵から、わたしは隣のウィルに呼びかけた。
「トレ・グラーヴ──非常に重く、だ。あなたの見せ場だよ」
にこやかに笑いかけた。
さあ頑張れ男の子と、煽って見せた。
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