「連弾開始!」
ウィルを勇気づけるのに時間を使い過ぎたせいで、会場に戻った頃には演奏開始時間の直前となっていた。
「お嬢様、こちらへっ」
「もう何やってるの! 急いで急いで!」
クロードに先導してもらい、アンナに後ろから急かされながら、とにもかくにもわたしとウィルはステージに駆け上がった。
「ハア……っ、ハア……っ、な、ななななんとか間に合ったかな…………とっ?」
息を切らしながら眺めてみると、会場内は思い切りザワついている。
わたしたちデュオの姿をじろじろと、いかにも不愉快そうに眉をひそめて見ている。
「あー……そういえば、時間に余裕を持って着席し、聴衆と小粋なトークをしてから演奏に入るのがマナーだったっけ? それがこれじゃあ、こーいう反応にもなるわよねえ~」
時間ギリギリに全力疾走で入って来たわたしたちのことを、マナー知らずの最低なふたり組と思っているのだろう。
あるいはハーティア辺りが悪い噂でも吹き込んだか?
いずれにしろ、会場内の紳士も淑女も総スカンという感じ。
主催者であるドミトワーヌ夫人だけはなぜかウキウキと楽しそうな顔をしているが……。
「あっはっは、いいじゃないいいじゃない。始める前からどよんと完全アウェイなこの空気、最高じゃない」
「……せ、先生? 急にどうしたんですか?」
急に笑い出したわたしを怪しく思ったのだろう、ウィルがちょいちょいと袖を引いて来た。
「おっとごめんね、急に笑い出したから変に思った? 逆境に堪えかねて頭がおかしくなったと思った? 違うの。あのね、わたし、逆に楽しくなってきたの」
「楽しい……?」
「だって見てよ。みんなのあの不審そうな目。『このふたり、マナーなってなさすぎじゃない?』、『そんなんでちゃんと弾けるの? 大丈夫?』みたいな目。あの目をさ、まん丸に見開かせてやったら最高に気持ちよさそうじゃない?」
「まん丸に……見開かせて……?」
「そう。他ならぬわたしたちの演奏で驚かせるんだよ。どん底まで沈み込んでる評価を天井ぶち破るぐらいの勢いで爆上げさせてやるんだよ。ほら、人間ってなんだかんだギャップに弱い生き物だからさ、まったく期待してなかったふたり組がものすごい名演をしたら、そりゃあもう盛り上がるわけよ。そういう意味でも最高の状況だとわたしは思うわけ。高く跳ぶためにはしゃがみ込むタメが必要みたいな……ってあれ? 思わない? ……ん? あれ? ウィル? どうしたのそんなうつむいちゃって……。あ、もしかしてお腹痛い? 大丈夫? お医者さん行く?」
「ふっ……ふふ……ふふふふふ……っ」
顔をうつむかせていたウィルが、急に笑い出した。
今の会話のどこがそんなにおかしかったのだろう、目に涙を浮かべて笑っている。
「あっはっは、すごいなあっ。ホントに先生はすごいやっ。この状況をチャンスと捉えるだなんて。前向きな人だ前向きな人だとは思ってたけど、これはホントに……ふふふふふっ」
わたしの振る舞いがツボにはまったらしく、ウィルはお腹を押さえて笑い続けた。
笑って、笑って、笑って、そして──
「いいですね。やりましょう先生。ボクらのことをバカにしてるお客さんたちの目を、驚きと感動で見開かせてあげましょう」
「お、いいねえウィル。その意気その意気っ」
さっきまであれほど落ち込み怯えていたウィルの口から出た、覇気のある発言。
愛弟子の心の成長に、わたしは心底嬉しくなった。
「さあやってやろうぜ、ウィル。ピアノ弾きふたりでさ、このいかにも期待してませんって顔してるお客さんたちの度肝を抜いてやるんだ」
「ええ、やりましょうやりましょう」
拳を打ち合わせ、微笑み合うと、わたしたちはピアノの前に座った。
そっと静かに、異口同音で曲名をつぶやいた。
「「モーリス・ラヴェル作『亡き王女のためのパヴァーヌ』」」
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