「『グラン・パ・ド・ドゥ』」
ハーティアが去ってすぐに、その日のサロンは始まった。
弾く順番は、他の奏者がすべて演奏した後にジルベールのソロ二曲、続いてハーティアとの四手連弾、最後がわたしとウィルの四手連弾ということになっていた。
ドミトワーヌ夫人と仲の良い母親にハーティアが頼んだ結果ということらしいが……。
「いやあー、さっきも思ったけどさあ。普通、兄貴のためにここまでする?」
「言ったでしょ。目的のためには手段を選ばない奴なんだって」
先ほどのやり取りが脳裏に蘇っているのだろう、アンナは親指の爪をガジガジと齧って悔しがっている。
「さっきは煽りでああ言ったけどさ、きちんと結果を残してるってことは普通にピアノが上手くて、普通にやっていれば上にいける人なんでしょ? だったら何もわたしや、あまつさえウィルまで巻き込まなくてもさあ……」
「ジルベールが伸び悩んでいるのはたしかよ。卒業後に二、三個のコンテストでファイナリストになったぐらいで、最近じゃ名前も聞かないし。それにね、ウィルを巻き込むことそれ自体も目的なのよ。あいつ、昔っからウィルのことを狙ってるんだから」
アンナはかぶりを振ると、忌々しげに吐き捨てた。
「ああ~……そういうことか」
そういえばハーティア、ウィルの苦しむ顔見てものすごく興奮してたっけ。
とてもじゃないけど十歳とは思えないような表情で。
たしかにあんな天使みたいなショタっ子が悶え苦しんでいたら盛り上がっちゃうのはわかるけど……。
「好きな男の子をいじめて遊びたいとか、性癖歪みすぎでしょ。それだけ執着出来るのはある意味すごいことだけど……なんて、感心してる場合じゃないか」
気を取り直したわたしは、会場となったダンスホールの入り口から中を窺った。
中には円形の丸テーブルと椅子のセットが随所にあり、たくさんの紳士淑女が座っている。
豪華な料理とお酒とおしゃべり、そして華麗な演奏への期待を肴に、みんなわいわいと楽しそうにサロンを過ごしている。
演奏するステージはホールの一番奥。
周囲より一段高いところに一台のグランドピアノが置かれている。
「……お、来たか」
他の奏者が演奏を終え、いよいよジやって来ましたジルベール・クラン・フリードリヒ二十歳。
肩のラインで切り揃えられた綺麗な銀髪、王子様然とした端正な顔立ち、おまけに長身モデル体型。
こりゃあさぞや女性にモテることだろうと思っていたら案の定、燕尾服の裾を翻したジルベールがグランドピアノの前の椅子に座った瞬間、貴婦人たちがきゃあと黄色い声を上げた。
一方、紳士たちはやっかみもあってだろう、一様につまらなそうな表情を浮かべている。
「……まあ男ウケは悪そうだけど、問題は演奏かな。それ自体が良ければ見た目の良し悪しなんてすべて吹っ飛ぶし」
それがこの都のいいとこだしね、などとつぶやいているうちに、演奏が始まった。
最初の曲は、イワン・トロモノフスキー作『華麗なるシロワ湖の鳥たち』。
モチーフはチャイコフスキーの『白鳥の湖』。その中でも最も有名な『情景』だ。
耳に馴染みのある割にはけっこうな難曲だが、ジルベールは練習曲に取り組んででもいるかのように涼しい顔で弾きこなす。
左手にメロディーが移行する難しい後半部も余裕しゃくしゃく、これでもかとばかりに技術を見せつけていく。
技術だけではない、情感も豊かだ。
遙かなる銀嶺の麓にて満々たる水を湛える夜の湖、その湖上にて清楚な白鳥オデットと、王子を誘惑する妖艶な黒鳥オディールが恋を踊る。
その様が実際に見えるかのようだ。
会場のあちこちから陶然たるため息が上がり、ホール中央の席にいるドミトワーヌ夫人も、いかにも満足といったご様子でワイングラスを傾けている。
「……うん、なるほど上手いわ」
わたしは素直に感心した。
たしかな技術と拍感、曲への理解。
見た目の派手さとは裏腹に相当な練習を積んで来たのだろう、誠実な人柄が窺えるような名演だ。
「見た目だけでなく実力も伴ってる。ハーティアが崇拝するのもわかるわね」
以前の演奏を知らないので伸び悩んでいるかどうかまではわからないが、良い奏者だ。
このまま努力を続けていれば、いつか絶対結果を残すだろう。
だからこそわざわざこんな策を弄する必要はないと思うのだが……たぶんハーティアの先走りなんだろうな。
お兄様を輝かせたいがため、焦り過ぎたのだろう。
ジルベールはさらに『ワルツ』を弾き、ハーティアとの連弾では同じくチャイコフスキーの『くるみ割り人形』より『グラン・パ・ド・ドゥ』を選択した。もちろん原曲よりアレンジされてはいるのだが、いずれも素晴らしい曲だった。
王子と踊る少女クララを描いた『グラン・パ・ド・ドゥ』は特に最高で、うっとりと頬を染めたハーティアの表情には、クララの思慕と夢見るような喜びがそのまま再現されていた。
最後の演奏を終え二人が立ち上がった瞬間、スタンディングオベーションが起こった。
貴婦人たちはもちろん、イケメン嫌いな紳士たちも思わず拍手喝采。
「だ、ダメだ……勝てないっ。先生だけなら勝てても、ボクがいるせいで不利がついちゃうっ。ボクのせいで、先生の成績に傷がつく……っ」
ウィルの顔色は、真っ青を通り越して真っ白になっている。
「ボ、ボクが四手連弾させてくださいなんて言ったから……っ。ボクみたいな下手くそが夢なんか見たから先生が……っ」
「ああもういちいち動揺しないっ。あなたそれでも男なのっ?」
業を煮やしたアンナがバシンとウィルの二の腕を叩くが、それでもウィルの怯えは止まらない。
「先生……ボクの代わりに誰か他の人と弾くのってダメですか? リリゼットさんなら練習聴いてくれてたし、実力もすごいし。急造にはなっちゃうけどボクより全然可能性が……っ」
「……ウィル、ちょっとこっちに来なさい」
ついには相方の座を他の人に譲ろうとし出したウィルの手を引くと、わたしはいったん屋敷の外へ出た。
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