「ハ―ティアの作戦」
「いいえぇ~、こちらこそありがとうございますぅ~。ちょうどいい当て馬になっていただけて、ホントに感謝しておりますわあぁ~」
思ってもみなかったハーティアのセリフに、わたしは思わず硬直した。
「あらあら、どうしたんですのそんな風に硬くなって。もしかして、まだ気づいておりませんでしたの?」
「当て馬……ごめんちょっと、本気でわかんないんだけど……」
「あらあらやっぱり。ホントに噂通りにピアノしか弾けないおバカさんなんですねえぇ~」
戸惑うわたしの近くまで来ると、ハーティアは煽るようにして見上げて来た。
「今日のパンフレット、よくよく細部まで目を通しましたぁ~? ピアノ弾きの方たちの名前と、その選曲をぉ~」
「え? いや全然……ていうか、ピアノしか弾けないおバカさん……え? え?」
「はあああ~? 見てないぃ~? ホントにノロマ、ホントにおバカ。こんな方が二台四手とはいえ四校代表戦に出場することになるだなんて、わが校のレベルも落ちたものですわ。お兄様がいらした二年前の栄光はどこへやら、ですわ」
オーマイガッ、とばかりに額に手を当てるハーティア。
「よくわかっていないようですから教えて差し上げますけど、これはただのサロンではありませんの。ドミトワーヌ夫人のひいきとする、あるひとりの殿方を音楽業界にプッシュするためのプログラムですのよ。その名はジルベール・クラン・フリードリヒ。二年前、そして三年前の四校対抗戦のピアノソロで連続優勝。卒業してプロとなってからも躍進を続ける今注目のピアノ弾きであり、わたくしのお兄様ですの。今日出場する他のピアノ弾きは、すべてお兄様の引き立て役にすぎませんの」
得意満面で自らの作戦を語るハーティア。
「その総仕上げがあなたというわけなんですのよ。四手連弾というと皆様お遊びか余興のようにしか思われないでしょうが、力のあるピアノ弾きが行えばしっかりと芸術として成立する演奏形態です。それをお兄様と、学年二位の実力を誇る愛妹であるこのわたくしが共に奏でることで皆様の価値観を変えてさしあげるのです。そしてその直後に回って来るのがあなたと、学年十位以内にも入っていない未熟な未熟なウィルさんとの急造デュオ。これでわかりました? 当て馬の意味が。初めてサロンに招かれて盛り上がっていたところ、申し訳ありませんけどおぉぉぉ~っ?」
「ああそう……そういうこと」
スンッ……とばかりのわたしの無感情ぶりに動揺したのだろう、ハーティアが逆に慌て出した。
「ちょ……ちょっとなんですの!? なんであなたはそんなに落ち着いていられますの!? わたくしは今! あなたが主役を引き立てるための駒に過ぎないと言ったんですのよ!? わざと順番を一番後ろにして、先ほどの名演に比べてこの拙い演奏はなんだお遊戯かと、笑われるためだけに用意したと言ったんですのよ!? 少しぐらいは動揺してもいいんじゃありませんかっ!?」
「んん~……たしかにそうなのかもだけどねえ~……」
そんなことを言われても、聞いたこともないピアノ弾きに脅威を感じるほど想像力豊かじゃないしな。
「えっとね、仕組みはわかったのよ。あなたがわたしに声をかけた理由も、四手連弾を演目に選んだ理由も。だけどさ、そもそも当て馬が必要な時点でおかしいんじゃない? だって、ホントに実力があるならそれはすぐに音楽業界に知れ渡るはずだもの。もしかしてさ、あなたのお兄さんって四校対抗戦で結果を残して華々しくデビューはしたはいいものの、けっこう伸び悩んでるんじゃない? だから是が非でもこのサロンで名を売りたかった。そのためには手段を選んでいられず、妹の力まで借りるハメになった。なんだかそう考えると可哀想な感じよね。ねえ、なんだったらわたし、ちょっと手ぇ抜いてあげようか?」
「あ……あなたっ、言うに事欠いてなんてことを……っ! わたくしのお兄様に対してなんたる侮辱っ! 許しません! 許しませんわよ!」
敬愛するお兄様を貶められたのが悔しかったのだろう、ハーティアは顔を真っ赤にしてダンダンと床を踏みつけた。
「そ……そうだウィルさんっ! ウィルさんならわかるでしょう!? この窮地! 危機! 今夜の出来次第ではこの方の評価に大きな傷がつくんですのよ!? あなたの敬愛する先生が笑いものにされるんですのよ!?」
「先生の評価に……傷が……っ? みんなの笑いものに……っ?」
ウィルの表情がさっと青ざめた。
弱気の虫が騒ぎ出したのか、膝まで震わせ始めた。
「ボクのせいで……先生が……っ?」
フィィィーッシュ!
とばかりに唇を舐めたハーティアは、ここぞとウィルを責め立てた。
ちょっとの連携ミスで四手連弾は崩れること。
一度崩れてしまったら、ウィルの技術では立て直せないだろうこと。
それを知っているからこそ、盛んにリスクを強調していく。
「ボク……ボクのせいで……っ?」
頭を抱えて震えるウィルを見て、ハーティアの中の何かのスイッチが入ったらしい。
「ふふ……うふふふふ……っ。いいですよぉ~ウィルさあぁぁぁ~ん。わたくし、あなたのそういう真面目なところが大好きなんですうぅぅぅ~……」
目を細め顔を赤らめ息を荒くすると、メスガキじみた表情でねっとりとウィルを責め続ける。
「「やめなさい!!」」
ウィルの性癖を歪ませてはならぬと、わたしとアンナがセリフを被らせた。
「わたしのことはともかく、人の弟子を必要以上に挑発しないでくれる!? ほら、こんなに動揺してるじゃない可哀想に!」
「あ、あ、あ、あなたって人は……っ! 元々危ない奴だとは思ってたけどまさかここまでするなんて! ほらウィルから離れて! 離れなさいよ変態!」
ぶんぶんと平手を振るうアンナの手から逃れると、ハーティアはぺろりと舌を出した。
「あらあら、そんなに過剰な反応をしないでくださるうぅ~? それにわたくし、それほどおかしな話はしておりませんのよおぉ~? そちらが負ければ今まで培ってきた名声らしきものが塵と消えるのは確かですしいぃ~。金曜会とかいう怪しげな集まりも瓦解してえぇ~、取り巻きさんたちがいなくなるのも明らかじゃないですかあぁ~。すべて事実じゃありませんかあぁ~」
わたしの周りにいるのは仲間であり友達であり、決して取り巻きなどではないのだが、そう言ってもハーティアは認めないだろう。
だからといって武力行使するのも大人げないしなあ……、う~ん……。
「まあいいわ。ハーティア、あなたの無礼は許してあげる。わたしをハメようとしたことも。ただ、わたしの可愛い弟子をバカにしたことだけは許さないから。ジルベールって言ったっけ? 見てなさい。あなたとあなたの愛するお兄様、ふたりとも木っ端みじんに打ち砕いてやるから」
わたしは真っ向から挑戦状を叩きつけると、震えるウィルの肩を抱いた。
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