「就活開始」
「ええと……ここを曲がって真っすぐ行って……あ、あった!」
労働局で貰ったメモ通りに進むと、三叉路の角っこに見覚えのある建物が建っている。
石組の簡素な造りで、テラス席があって、店の屋根にはジョッキを傾けるユーモラスなドラゴンの看板が掲げられている。
その名も『酔いどれドラゴン亭』。
「おおー、ここだここだ。昨日ぶりなのに、なんだか懐かしいわね~」
自分が護ったという自負があるからだろうか、なんだかものすごい愛着がわいてきた。
田舎の実家に遊びに来た感覚に近いというか。
「ごめんくださ~い。テオさんいますか~?」
親戚の娘になった気分で呼びかけると、よろめくような足取りで出て来たのは猫背の貧相な男。
「頼みますよテオさん、どうかもう一度……っ」
「うるせえ! 金に目のくらんだ裏切り者に弾かせるピアノはねえんだよ! 帰れ帰れ!」
でっぷり太った店主のテオさんが拳を振り上げると、貧相な男は「ひえ……」と首を竦めて逃げて行った。
テオさんはその後も顔を赤くして怒っていたが、わたしに気づくなり相好を崩した。
「おう、嬢ちゃんじゃねえか。なんだ元気そうだな。いきなり倒れちまったから、あん時は心配したんだぜ?」
「こんにちは、心配してくださってありがとうございますっ。でもほら、この通りで元気でやってますっ。ええーと……ちなみに今の方とは……なにかもめごとでも……?」
「ああ、あいつか……」
するとテオさんは、苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「あいつはゲイルっつってな。うちで雇ってたピアノ弾きだよ。昨日の決闘に出るように言っておいたんだが、アルノーの奴に尻尾振りやがって来なかったんだ。そのくせまだピアノ弾きを続けさせてくれなんて調子いいこと抜かしやがるもんだから追い出したとこよ」
「ああー……なるほどぉ」
あの人が弾いて勝てたかどうかはともかくとして、肝心な時に逃げるのはダメだよね。
うちの会社にもよくそういう新人さんが入ってくるけど、派遣担当の人がそのたび死にそうな顔してたっけなあー……(遠い目)。
「ともかく、中に入ってくんな。あんたには世話になっちまったからな、礼をしなきゃと思ってたんだ。ほら、そこのあんちゃんも、突っ立ってないでこっち来な」
いかにも人の良さそうな顔をしたテオさんは、わたしとクロードをテーブル席に座らせてくれた。
「腹ぁ空いてんだろ? ほら、うちの自慢の料理だ。食ってってくんな」
「料理? 食べさせてくれるのっ? わあ、嬉しいっ」
ちょうど小腹が空いていたところだったので、わたしはバンザ~イと両手を上げて喜んだ。
見た目はお嬢様、中身は36歳のおばちゃんとしては、色気よりも食い気なのだ。
「あっはっは、あんたって見た目の割には庶民っぽいな」
わたしのリアクションに気を良くしたのだろう、テオさんは次から次へと料理を出して来てくれた。
ふわふわ白パン、ホワイトチーズのいっぱいかかった野菜サラダ、豊かな琥珀色に輝くコンソメスープ、こんがり狐色の鶏肉のカツレツがどどんと2枚っ!
「美味ひいっ! 美味ひいでふっ! もう最高っ!」」
「ほっほー、いい食いっぷりだな。じゃあこっちもどうだい?」
一心不乱に料理を喰らい尽くしていくわたしの目の前に差し出されたのは、ずどんと大きな木のジョッキ。
中を満たすのはハイ待ってました、琥珀色のエール! やっぱカツレツにはこれでしょう!
「っかあーっ! 生きてて良かったあーっ!」
ぐびぐび呑み干しドンとばかりにジョッキをテーブルに置くと、プハアと大きな息が出た。
おばちゃんを通り越して完全なオヤジムーブだが、美味いものは美味いのでしかたない。
人間、本能には勝てないのだよ。
あ、ちなみにこっちの世界では飲酒に関する年齢制限とかはないのだ。
いかにも中世っぽい発想というか、お酒の方が水より栄養がとれるということで、仕事中に呑むケースだってある。
つまりわたしが呑んでも無問題。
あああーっ、昼酒最っ高っ!
「ね? 美味しいよねクロー……ド?」
同意を求めようとクロードの方を振り向くと、( ゜Д゜)こーんな顔でわたしを見ていた。
「しまった……やりすぎた……っ?」
さすがにテレーゼのイメージを崩しすぎたと反省したわたしは、口元に手を当ててオホホと笑ってフォローに努めた。
「ほ、ほら。わたしってばこれから庶民として生きていかなきゃならないわけじゃない。だったら食べるものも呑むものも庶民的なものになるわけで、場所だって庶民的な場所になるわけで。だったらほら、態度だってね? それ相応のものにして、周りのみんなと打ち解けやすい感じにしないとさ。ご近所さんと話してた時だってそうだったでしょ? これからのわたしは話しかけやすい、仲良くしやすいお姉ちゃんキャラでいこうと思うの」
冷静に考えると穴だらけの説明だったが、クロードはわたしを疑うことをしなかった。
深くうなずき、感心してくれた。
「さすがはお嬢様です。そこまで先のことを見越しておられたとは……」
感じ入ったように頭を垂れる。
そこには一切の忖度がない。
どこまでも混じりっけなしの、純粋な敬意がある。
「え、えへへへへ……そうなのよ。わたしなりにね、こうね、頑張っていこうと思ってるわけなのです」
なーんて。
実際にはそんなに深く考えてたわけじゃないので、わずかに罪悪感を感じるわたしだが。
「なんとご立派な……。ああ、この喜びを祖父に伝えることが出来たらどんなにか……」
感動のあまり、クロードは肩を震わせている。
「あー……ハインツさん感動家だもんね、泣いちゃうかもね」
先祖代々執事の家系であるクロードの祖父は、当然の如く執事だ。
テレーゼの父であるバルテル公爵の専属こそ息子であるグラムに譲ったが、今も執事長として隠然たる勢力を誇っている。
しかしそうか、考えてみるとあれだよねえ……。
「ごめんね。クロードが家に戻れないの、わたしのせいだもんね」
わたしが家を出た時点で、クロードは他の任務に就くべきだった。
わたし以外の誰か、それこそ妹のバーバラとかのお付きになっているべきだったのに、わざわざここまでつき合わせてしまった形だ。
今戻ったらどうなるんだろう、独断行動とかでめっちゃ叱られたりするのかな? 最悪懲戒とか? ううーむ、小ぶりな胸が痛むぜえ……。
「いえ、そのようなことはありません。わたしがこうしてお嬢様について来ているのは純然たるわたしの意志によるものです。それを恨みに思うなどということは絶対にありません」
いやホントにすごい使命感だな。
テレーゼにあれだけ虐げられておきながら、なんたるキラキラお目々。
「それに、お嬢様はいずれ主家に戻ることが出来ると思います」
感心しているわたしに、クロードは不思議なことを言ってきた。
「……それって、勘当を解かれるってこと?」
「はい。公爵様もきっと、今のお嬢様をご覧になれば考えが変わるはずです。アベル王子のお怒りが解けない内は王都にこそお戻りになれませんが、近郊にある別荘などになら住まうことは可能なはずです」
「……ふーん、そんなもんかなあ?」
グラーツの都でのふたり暮らしは大変だろうが、かといって公爵家に戻りたいかというとそんなこともなかったりする。
だってそんなのどう考えたって堅苦しいし、望みもしない政略結婚とかをさせられるかもしれないし。
それにここは音楽の都だし、わたしがしたいことばかりが詰まった大きな宝石箱みたいなところだし。
んーでも、クロードとしては戻りたいのかなあ。
だとしたら、そのうちクロードだけでも戻れるようにしてあげなきゃなのかなあ?
そん時はわたしが全力で土下座して、頼むからこのコだけは許してくだせえお父様ーって感じで? 主人としての義務的な感じで?
「ま、だとしてもずいぶん先のことになりそうだけど……」
と、そうだった。
その前にお仕事お仕事。
「ねえ、テオさん」
ちょうど新たなジョッキを持って来るところだったテオさんに、わたしは労働局で貰ったメモを掲げて見せた。
「わたし実は職探しをしておりまして。なのでここで働かせてもらってもいいですか?」
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