「ウィルは物思いに耽る」
~~~ウィル視点~~~
グラーツ都立音楽院の創立は50年前。
年少部から高等部まで2000人の生徒を擁し、学内に自前のコンサートホールやオペラハウスを構える名門音学校だ。
入学するには極めて厳しい実技の入試を受けねばならず、そうでなければ多額の出資金を払わなければならない。
必然、学内にいるのは優秀な子供か金持ちの子供ということになるのだが……。
ウィルはそのどちらでもなかった。
入試こそピアノの実技で突破したが、その後思い切り伸び悩み、成績は学年でもかなり下の方。
どうにかしなければ落第だと落ち込んでいた矢先に、あの少女に出会ったのだ。
「はあ~……」
窓際の席に座ったウィルは、今日何度目になるかもわからないため息をついていた。
頭の中を占めているのは昨日の出来事だ。
店の危機に颯爽と現れ、救ってくれた少女の姿が目に焼き付いて離れない。
満月の夜に現れた妖精のような、ある種の非現実的な美しさ。
くるくるとよく回る、白魚のような手指──特にあの右手!
いつも自分が弾いているピアノが奏でているとは思えないほどに粒だった音が店内に溢れたのが忘れられない。
空気を、鼓膜を、ウィルの魂を震わせた震動が、まだそこにあるような気さえする。
楽曲も素晴らしかった。
手を伸ばしても届かない何ものかへの、切なく物悲しく、狂おしいような憧れ……。
あんなの初めてだった。
優等生のアンナや上級生、先生にだってあれほど弾ける人はいない。
下手をしたらプロにだって勝てる人はいないのでは。
そう思ってしまうほどの、圧倒的な演奏だった。
本物の演奏を客に聞かせることが出来たと、父もずいぶん喜んでいたし……。
「はあ~……テレーゼ・フォン・バルテルさん……もう一度お店に来てくれないかなあー……」
演奏終了後にパタリと倒れてしまったので、けっきょくお礼すら言えずじまい。
名前以外はまったく何も知らないので、探すことすら出来なかった。
「お医者さんに聞けば教えてくれるかなあ……うーん、ダメって言われるかなあー……」
帰りに聞きに行ってみようかなどと考えていると……。
「ちょっとウィル。あんたなにぼーっとしてんのよ。先生、さっきからずっとあんたのことにらんでるわよ」
ぼんやりしているウィルを見かねたのだろう、隣の席の女の子がペンのお尻で頬をツンツン突いて来た。
茶色の髪を後ろで編み込みにしたその女の子の名前はアンナ、テレーゼが運ばれた病院の医者の娘で……医者の娘?
「そうだアンナっ。ボク、キミに頼みがあるんだけどっ」
思わず大きな声を上げたウィルに、教壇から咳払いひとつ。
「ウィル、アンナ。仲睦まじそうでいいことだな。しかしなにかね、わたしの授業はそんなにつまらないかね?」
銀髪をはらり額に垂らした細面の男の名はエメリッヒ。
ピアノとバイオリンの教師だが、神経質な性格で、ねちっこく生徒を怒ることで有名な教師だ。
トレードマークである銀ブチメガネを光らせてウィルとアンナを等分ににらみつけると容赦なく告げた。
「ふたりとも、放課後職員室に顔を出すように」
「ご、ごめんなさい先生っ」
「先生わたしは違っ……」
アンナの必死の抵抗もむなしく、ふたりは放課後、職員室へと呼び出されることになった。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
「まったく、あんたのせいでひどい目に遭ったわ」
肩を並べて下校しながら(家が同じ方角なので一緒に帰ることが多い)、やれやれとばかりにため息をつくアンナ。
「ごめんね、いいアイデアを思い付いたーって思ったらつい……」
「まあいいけどね。あんたが今日一日おかしかったのは、そのアイデアとやらに関すること?」
「うん、それがさ……」
昨日起こった出来事をアンナに説明すると……。
「へええ~……それは大変だ。ピアノ弾きが逃げて、代わりにあんたが弾くことになったけど助けてくれた人がいて? 危なかったわねえ~。しかし新人の決闘者かなあ~、テレーゼなんて聞いたことないけど……聞いた感じだと、楽閥には所属してなさそう?」
楽閥というのは、言うならば音楽ギルドのようなものだ。
ここグラーツにおいて、作曲家や奏者のほとんどは4つある楽閥のどこかに所属している。
各種サービスを受けられたり、コネクションとして割の良い仕事が回って来たりするからだが、当然無所属の者もいて……。
「そうなんだ。だからそっち方面から探すのは難しそうで……だけどさ、ホントに偶然なんだけど、その人がアンナのとこの患者さんで……」
「はあ? うちの?」
目を丸くして驚くアンナ。
「うん、そうなんだ。それでさ、お願い出来ないかな。テレーゼさんの住所とか……」
アンナに頼み込んでテレーゼのプロフィールを教えてもらえるよう頼んだりしているうちに、『酔いどれドラゴン亭』が見えて来た。
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