「テレーゼ淑女化計画」
先生に続いて教室の入り口から入ってきた生徒の姿を見て、わたしは一瞬硬直した。
本気で開いた口がふさがらなかった。
いやあだって、だってさあ。
そりゃ驚きもするよ。
だってそこにいたのはさ、音楽院の制服に身を包んだのはさ、なんとあのバーバラだったんだもん。
「ええー、それでは転入生をご紹介いたします。リディア王国首都よりいらっしゃったバーバラ・フォン・バルテルさん。お名前からもおわかりの通り、かの四大貴族バルテル公爵のご息女で……」
「あ、あ、あ、ああああんたっ、何しに来たのよ!?」
先生の紹介の途中で失礼だとは思いながらも、わたしはたまらず立ち上がった。
声を震わせながらバーバラに指差し、問いかけた。
「この間みたいなことがあった上でなんで……ホントにいったいどうゆーつもりよ!? まだわたしに文句があるの!? どんだけねちっこいのよ!? このゲームの制作陣と言い、本気で頭がおかしいんじゃないの!?」
思わずこの場にいる誰にも伝わらない表現をしてしまうほどに、わたしは動揺していた。
「まあまあ、落ち着いてくださいな元お姉様」
顔を真っ赤にして興奮するわたしとは対照的に、口元に手を当てオホホとばかりにお嬢様笑いを浮かべる余裕のバーバラ。
「成人前の子供が理想の淑女を目指すために学び舎に通う。それは当たり前のことではなくて?」
「に……にしたってここは音楽院よ!? 普通のお嬢様学校じゃないのよ!? あなたが通えるようなところじゃないの!」
「あら、異な事をおおせですね。元お姉様、わたくしこう見えて、音楽のたしなみもありますのよ?」
「はあああーっ!? いったいいつそんな設定が……!?」
疑問を叫びつつも、実際にはバーバラのキャラ情報に関してはそれほど詳しくないわたしだ。
テレーゼの妹で、姉には似ない人格者、ぐらいの認識しかなかった。
だが実際には姉にすさまじい憎悪を燃やしていて、一度こてんぱんにしてやったのにも関わらずリベンジしようとやって来るぐらいタフなエネミー。
音楽の素養ははたして最初からあったものなのか、あるいはゲーム的な後付け要素か?
いずれにしても超×100めんどくさいことこの上ない。
「もうーっ、やだやだ! なんなのこのゲーム!」
「落ち着きなさいテレーゼ」
半狂乱で頭を抱えるわたしの肩を、リリゼットがガシリと掴んだ。
「だってリリゼットおぉぉー!」
「みんな混乱してるからっ。ほら、リタ先生なんか泣きそうな顔になってるからっ」
リリゼットの言う通り。
元お姉様というパワーワードとわたし自身の過去に対する噂が混ざり合って、教室は大混乱に陥っている。
気の弱いリタ先生にいたっては「わ、わ、どうしたらいいの? こ、これがもしかしてエメリッヒ先生の言ってた学級崩壊っ?」とか言ってパニック寸前。
「とにかくいったん座りなさい。ここで話し合ってもラチがあかないから」
「で、でも……だって……っ」
「い・い・か・らっ」
「ううううう~……っ」
リリゼットに半ば無理やり座らせられた格好のわたしは、悔しさのあまりぎゅうと唇を噛んだ。
今すぐ掴みかかりたいのを我慢して……我慢して……ふと周りを見ると、アイシャとミントが不安そうに体を寄せ合い、ハンネスはわけがわからないといった様子で硬直している。
ああそっか、この3人は例のバルでの一件を知らないんだった。
ここでさらにわたしが暴れたら、3人の不審も買っちゃう?
「いい? テレーゼ。今こっちから行ったら向こうの思うつぼだからね。ただ同じクラスになって挨拶しただけなのにケンカを吹っ掛けられた、なんて野蛮な女なんだ、ぐらいのことは吹聴して来るに違いないだんから」
「ううううう~……っ。わかるけど、わかるけどお~……っ」
ものすごい正論に、わたしは唸った。唸るしかなかった。
実際その通りだ。
みんなのおかげでここまで評判を良く保ってこれたのに、友達やコネだってそこそこ出来はじめて来たのに、たかがバーバラ如きとのいざこざでふいにしてしまうのはもったいなさすぎる。
んー、だけどなあ-。
恨みを抱いているにしたって、なんだってこいつはわざわざわたしと同じクラスに転入して来たんだ?
わたしと音楽で戦うつもりなのか? そこまでの腕を持っているというのか?
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
わたしの懸念などどこ吹く風とばかりに、バーバラは学生生活をおくり始めた。
登校する、授業を受ける、食事をとる、授業を受ける、下校する。
そんな、ごくごく当たり前の学生生活をおくり始めた。
わたしとのいざこざを知っているみんなは最初は腫れ物に触れるような扱いをしていたが、それはすぐに解消された。
バーバラは、誰が見ても立派な淑女だった。
立ち居振る舞いはおしとやかで、所作は丁寧で。
人の話をよく聞き、誰に対しても分け隔てなく柔らかい口調で話しかける。
見た目も輝かんばかりに美しく、公爵令嬢らしい気品までも兼ね備える。
素晴らしい女性だとすぐに学校中の話題になり、気がつけばバーバラはいつも複数人の取り巻きを連れて歩くようになっていた。
取材がらみで出来た友達である新聞部のエリスとキースの情報によると、ピアノの腕はいまいちだけど、そういう隙のあるところが逆にいいという評価らしい。
お嫁さんにしたい女性ナンバーワンなのだとか。
ピアノ方面で敵にならないことがわかったのはいいけれど、あれだけのことをしでかしてくれたクレイジーサイコパスな妹が真っ当に評価されるのはなんだか納得がいかないわたしだ。
「どう考えたってもっと苦労すべきじゃない? わたしだってこっちに来た当初はそりゃあ大変だったんだから、せめてその半分ぐらいの苦労は味わうべきで……あ、そうだ。いっそこっちからあいつの悪い噂を流すってのは?」
ある日のお昼。
大食堂の隅で昼食後のパフェを食べながら素晴らしい思い付きを口にすると……。
「あなたが悪役になってどうするのよ」
「あ痛あーっ」
リリゼットにチョップされたわたしは、涙目になって額を押さえた。
痛い。実に痛いけど、たしかにその通りだ。
ミイラ取りがミイラじゃないけれど、悪役令嬢退治をしようとして自分が悪役令嬢になるのはよくない。
それこそ破滅フラグってものだろう。
「ううー……でもさあー……。このままってのはさあー……。どこかしらで仕返ししないと、胸がモヤモヤしてさあー……」
「……そっか。もしかしたら、それが向こうの狙いなのかもしれない」
じっと話を聞いていたアンナが、鋭い意見を口にした。
「え、どうゆーこと? どうゆー狙いなの?」
「だって、考えてもみなさいよ。あなたが入学して以来何ヶ月もかけてやってきたことを、あの人はほんの1、2週間でやり遂げたのよ? 全校生徒の憧れのマトになって、男子からも女子からも慕われて。それってあなたにとっては大変なストレスでしょ?」
「うんまあ」
思わず悪役令嬢化してしまいそうになるほどに……ってああ、そうか。
「改めてわたしをそういう人間にしたかったんだ? 自ら悪の道に踏み込んだところを、今度こそ完璧に糾弾するつもりだったんだ?」
「そういうこと」
アンナは神妙な顔でうなずいた。
「あなたの性格を考慮した上で、どうやら本気で打ちのめしにして来てるみたいね」
「うわ、怖」
王都での悪評如きではグラーツの人々の心を揺り動かすことは出来ないと知ったバーバラは、次なる手を繰り出して来たのだ。
その巧妙さに、狡猾さに、わたしは震えた。
「ということでテレーゼ。しばらくは下校中の買い食い禁止ね。大酒飲んだり、授業中に居眠りしたりとかもダメ。ドタバタ騒いだり大口開けて笑ったりも淑女としてはマイナスだから無しで……あとはええと……」
「え? え? え? 本気で言ってる? アンナ、わたし、それホントに全部守らなきゃダメ? けっこう本気で辛いんだけど? 勢い修行僧みたいな気分なんだけど?」
「え、だってこの前みたいな目に遭いたくないんでしょ? だったらこれぐらいはしなきゃ」
こんなことの何が苦しいのかと、不思議そうに首を傾げるアンナ。
「そりゃそうだけどお~……」
アンナはお医者さんの娘さんだから元々がおしとやかに出来ている。
だけどわたしはそうじゃないんだよお~。
ピアノを弾く以外のことは何も出来ないダメな子なんだよお~。
「とりあえず放課後までに、禁止事項をまとめてくるから。きちんと守るのよ?」
わたしの苦悩をよそに、アンナはテキパキと事を進めていく。
こうして、バーバラに対抗するための『テレーゼ淑女化計画』は始まったのだった……。
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