「袋男」
~~~???視点~~~
四校対抗戦の代表者決定戦。その会場となった音楽ホールAの地下である。
雑多な資材が所狭しと並べられた薄暗い廊下を、ベンノが走っている。
「ハア……ッ、ハア……ッ、ハア……ッ」
贅沢な生活により肥え太った体を揺らして右へよたよた、左へよたよた、大量の汗をかきながら走っている。
目から涙、鼻から鼻水、口元からはよだれが垂れ落ちている。
当然だが、速くはない。
???が歩く速度よりわずかに速いか、それぐらい。
「ヒッ……ヒューッ、ヒュウウウ……ッ」
悲鳴だか荒い息だかわからない音を発しながら走って、走って……とうとうベンノは足をもつれさせた。
壁沿いに並べられていた椅子に突っこみ、転んでしまった。
「ああ……っ、ああ、あああ……っ」
さらに悪いことに、そこは行き止まりであった。
逃れようにも左右に部屋はなく、後ろには???が立ちはだかっている。
「あああああ……」
ベンノが振り返ると、恐怖に曇った瞳に???の姿が映った。
???は190近い大男である。
ただ背が高いだけではない、その肉体は鋭く研ぎ澄まされている。
裏社会に生きる者特有の、暴力を厭わぬ陰惨な気配を漂わせている。
歳は30半ばから40といったところか。
顔立ちは彫りが深く精悍。几帳面な性格通り、黒髪もあごヒゲも綺麗に整えられている。
服装はショートコート、ズボン、ブーツと見事なまでに黒一色。肩から下げているずだ袋は異常に大きく、大人ひとりぐらいならすっぽり入ってしまいそうなサイズだ。
「ふ、ふ、袋男ザムド……っ!」
悪い子供を袋に入れて連れ去ってしまう悪魔『袋男』の民間伝承からつけられたあだ名を思い出したのだろう、ベンノは魂の消え入りそうな声を上げた。
~~~ザムド視点~~~
「なあ、ベンノさん。俺さ、ちょっとわかんないことがあるんだ」
ザムドはその場にしゃがみ込むと、外見にそぐわぬ優しい声でベンノに訊ねた。
「どうしてあんた、審査の人らにお金掴ませなかったの。そしたら今日みたいな間違いは起こらなかったわけじゃない」
「それは……」
「なあ、どうして?」
重ねて訊ねると、ベンノは渋々といったように口を開いた。
「秘密を知る者は少なければ少ないほどいい。だからわたしは極力……」
「そんなこと言ってさあ。じつはお金、惜しかったんじゃない? 双子と三人で山分けのほうが断然お得だから、他に人を入れたくなかったんじゃない?」
「ち、違う……それは……っ」
「でもその結果、あんたご自慢の双子は負けちゃった。賭け主さんたちは大損で、ぷんぷんだってさ」
ベンノ、そして双子は裏社会と繋がっていた。
音楽決闘の裏で富裕層向けの違法な超高レートギャンブルを取り仕切るマフイア組織トリニダード、その手下として働いていたのだ。
手口はこうだ。
双子がわざと負けそうなふりをして最後に勝つということを繰り返して意図的にオッズを操作する。
単純だが効果的なその仕組みが、組織に多額の利益をもたらして来た。今までは。
今回は新規の富裕層を取り込むため、接待ギャンブルを行うはずだった。
双子に賭ければ確実に勝利が転がり込み、利益が出ますよと触れ込んでいたのだが、相手が悪かった。他数組は相手にもならなかったが、テレーゼ・ハンネス組が強すぎた。
賭けに負けた富裕層は怒り心頭、面子を潰されたトリニダードはザムドを派遣することとなった。
「こ、今回は本当に運が悪かっただけなんですっ。つ、次! 次もう一度チャンスをもらえれば、今度こそ双子がきっと……! そうだ、次はおっしゃる通りで審査員も買収しておきますから! 金を渡して! 個人個人の弱味も握って……そうすれば!」
「ないよ」
「へ……? え?」
あっさりとしたザムドのひと言に、ベンノは凍り付いた。
「ないって言ったんだよ、次とか。今回で終わりなの、あんた、おしまいなんだよ」
「や、でも、その……」
「頼みの双子が負けちゃって、もうあの女の子たちに勝てるような人いないんでしょ? だったらもう終わりじゃん。ボスも言ってたよ。双子は若いしまだ使い道があるかもしれんが、あいつはダメだ用済みだって。わかった? じゃ、さよなら」
ザムドは無造作に両手を伸ばすと、ベンノの肥満体を掴んで引き寄せた。
後ろから首を締め上げるような体勢をとると、そのままゴキリと頸椎をへし折った。
わずか一瞬のことで、悲鳴すら上がらなかった。
「はい、いっちょ上がりっと」
息絶えたベンノの体を折り畳んでずだ袋に納めると、ザムドは立ち上がった。
審査結果が発表されたのだろう、上階では大歓声が上がっているが……。
「……んーしかし、わっかんないなあー」
この大騒ぎに乗じて音楽院の敷地外にようと歩き出したザムドは、不思議そうにつぶやいた。
「なんでみんな、音楽なんかにそんな夢中になるんだろ? 聴いてもお腹は膨れないし、手元に何も残らないのに……ああ、でも。最後のあのふたり。女の子のほうはちょっと面白かったかな?」
あんなにきらびやかなお嬢様然とした容姿なのに、まったく偉ぶることも驕ることもない。
ピアノを弾いている姿も実に純粋で、実に楽しそうった。
音楽の良し悪しについてはまったくわからないが、ずっと眺めていたくなるような気持ちにさせられた。
「テレーゼちゃん……だっけ。うん、あのコのことは覚えておこう」
そうつぶやくと、ザムドは口元を緩めた。
死体の入ったずだ袋を背負いながら、軽い足取りで歩いて行く。
今日の晩飯は何を食おう、などと気楽なことを考えながら。
悪しき者には罰が下る。
だがその後には、さらなる悪が……?
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