「『二台のピアノのためのソナタ①』」
双子の番が終わり、袖からステージに上がったわたしたち。
中身はともかく超絶美少女のテレーゼと、守護ってあげたい系男子と化したハンネスという組み合わせの異色さもあってか、方々から黄色い歓声が上がる。
その反応につられてだろう、朝から始まった長いコンテストに疲れていた聴衆たちがパチリと目を覚ましたようにこちらを見た。
外見を売りにする気は毛頭ないが、これは正直ありがたかった。
満腹になっている人に最高級松坂牛のステーキを出しても食べてもらえないように、音楽で満足している人に最上の音楽を聴かせてもまったく聴いてくれないということが往々にしてあるからだ。
まあもっともそれはわたしみたいな凡才の話で、それこそ村浜沙織ほどの天才ならばどんな状態からだって聴衆に歓喜の涙を流させることが出来るのだろうが……。
「……ま、凡才は凡才なりにやるしかないってことよね」
頬を叩いて気合を入れると、わたしはステージに向かって左側のピアノの前に座った。
すると、観客席の一部から意外そうな声が上がった。
──え、どうして? あそこってプリモの席でしょ?
──プリモとセコンドって、たしか上手い人のほうが……あの人って東西両地区の最強位なんでしょ?
──いやでも、これって二台四手だから……。
かねてからわたしの実力を知ってる人たちがざわめき始めた。
疑問はひとつ、わたしとハンネスの担当ピアノ。
なんにだって例外はあるし曲にもよるが、二台四手においてのパート分けは、基本上手い人の方がセコンドになる。
メインのテンポを決めるのは下手な人でも出来るが、それに合わせ修正するのは上手い人でなければ出来ない、そういった意味で。
ママに教わった時もそうだったし、音大の先生に教わった時もそうだった。
実際わたしも、固定観念でそう思っていた。
だけどこのひと月の練習でわかったのだ、少なくともわたしとハンネスの組み合わせにおいてはこれがベストなんだって。
「さあハンネス、楽しい音楽の時間の始まりよ」
対角線、ステージに向かって右側のピアノ前に座ったハンネスに呼びかけると、わたしは小さく笑った。
全三楽章二十分強の旅に出る覚悟を固めると、深く息を吸い込んだ。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作『二台のピアノ・ソナタ ニ長調 K.448 (375a)』」
第一楽章──アレグロ・コン・スピーリト。
わたしが愛嬌たっぷりの明るい序奏を弾き始めると、ハンネスがすかさず追いすがって来る。
プリモのメロディを模倣しながら、かと思えば時に主導権を奪ったりと、まるで遊ぶように賑やかに。
──わあ、すごい、可愛いっ。
──くるくる回ってるみたい、なんて気分のよい曲なのかしら。
目まぐるしい追いかけっこのようなやり取りに、聴衆がわっと歓声を上げる。
「あははははっ、いいじゃないいいじゃないハンネス。弾けてる弾けてるっ」
ぱちりウインクして褒め称えると、ハンネスは照れたように頬を染めた。
実際、かなりのいい調子だった。
激しい練習の成果もあってだろう、タイミングがぴったし合っている。
さて、ここまでさんざんタイミングタイミングと言ってきたが、実際のところそんなにズレるものなのかと疑う人もいるだろう。
ズレる、これがホントにズレるのだ。
そもそもピアノという楽器は鍵盤を叩きハンマーが弦に当たってから音を発するという構造上、音の立ち上がりに想像よりもじゃっかんのズレがある。
それは時間にして0.1秒にも満たないような微細なものだが、ふたりのシンクロが必要とされる二台ピアノにおいてはより大きなズレになる。
曲の進行に伴い、やがては大河のようなズレにだってなり得る。
だからこそデュオ奏者は、タイミングを合わせるために腐心する。
手元が見えないという制約がある以上、肩、表情、口の動きや呼吸など様々なアイコンタクトのみで意思を疎通する。
このテンポで合ってる?
速くするべき? それとも遅くするべき?
次のタイミングはどうしよう?
密接にコンタクトを取りながらひとつの楽曲を完成させる。
この一か月間の練習の後半、わたしたちが最も力を注いだのがそこだった。
相手が右手を上げたらこちらも右手を上げる、左眉を下げたらこちらも左眉を下げる。
赤上げて白上げて~の旗揚げゲームみたいなことを大真面目にやって来た。
日常会話までもがユニゾンしている双子には及ばないにしても、一切のズレや違和感を感じさせないレベルにまでは仕上げて来た。
そして担当分けだ。
聴衆の大多数が驚いているように、本来ならこの曲は上手い人がセコンドを弾くべき曲だ。
にもかかわらずそうしなかったのは、ハンネスの性格と演奏傾向にある。
ハンネスは律儀で真面目で正確性を重んじる。
演奏にもそれは如実に現れていて、ペダルの扱いが繊細、ハーモニーの変化や拍の強弱に敏感といった傾向がある。
これって四手連弾だったら低音部の、二台四手ならセコンドの人に向く特徴なのだ。
プリモがどんな演奏をしてもそれに応じて合わせていくことが出来るなら、全体として曲は上手くまとまる、そういった意味で。
今回のわたしのプリモでの役割は、曲の本来持つ華やかさ軽やかさを失わせず、かつ推進力を持たせること。
ハンネスはセコンドとしてそれらに即応し、楽曲全体をしっかりと引き締めること。
これがわたしの選んだ、デュオとしてのふたりの完成形だ。
もちろんそれにはハンネスの技術と体力の向上、最後まで集中力を切らさないことのすべてが必要とされるのだが……。
「……それぐらい出来るでしょ、男の子!」
第一楽章最後の速弾きの応酬を終えると、わたしはさっと片手を挙げた。
わっと会場中から歓声が上がる中、ハンネスの目を見てニヤリと微笑む。
体重を10キロ落としてまで頑張ったその成果を見せてみなさいよと、煽って見せた。
次はハンネスのターン。
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