「遥かな先」
面接試験をなんとか突破し、5人の先生の講評を満点で通過したわたしは、無事にクラウンベルガー音楽院に合格することとなった。
これで明日からは音楽院の生徒だ。
「うおおおお、やったどー!」
とばかりに騒ぎたいところだが、落ちたコたちのことを考えてやめておく。
やっぱりね、自分が落ちた傍で大喜びしてる奴がいたら悲しいもんね。
なのであくまで楚々としたたたずまいを保ちながら、しかし嬉しいのは嬉しいのでせかせかと高速で廊下を歩き、玄関前で待っていたリリゼットとアンナに歩み寄る。
「あら、おわったの。やけに静かだけどまさか……」
「いや、たぶん大丈夫よ。だってこの早足……」
リリゼットはハラハラするが、アンナはあくまで冷静にわたしの足を見つめている。
さすがはアンナ、わかってるわねそのとおーりっ。
「はいやりましたっ」
にかっと笑って胸の前で小さくダブルピースすると、リリゼットはキャーキャーと声を上げて喜んでくれた。
「当たり前でしょ、わたしたちがあんなに頑張って教えたんだから」
アンナはふんとばかりに鼻を鳴らすが、口元が明らかに緩んでいる。
ううん、このツンデレさんめ。
「ありがとねー、ふたりとも。これでわたし、ふたりと一緒に学べるのねー」
同じクラスになるかはわからないけどねとか、教材を買わないとねとか、制服けっこう可愛いのよとか、わたしたちが騒いでいると……。
「お嬢様、おめでとうございます」
いつの間にか、クロードが背後に立っていた。
「あらクロード、来てたのね」
「っていやいやいやおかしいでしょ普通に片付けないでよ。執事の人もいったいいつからそこにいたのよ」
「本気で気配すら感じなかったんだけど……」
ありえないとばかりに首を左右に振るリリゼットとアンナ。
ああそっか、神出鬼没かつ人体の限界を超えた行動ぶりに普段から接しているわたしと違って、ふたりは慣れてないんだ。
「ふっふっふー、何を隠そう。これが執事流高速移動術なのだ」
「いやいやいや、なのだじゃないわよなのだじゃ」
「……まったく説明になってないことに気がつかないのもある意味すごいけどね」
わたしの説明に納得がいかない様子のふたり。
「ええー、そう? リリゼットのところはこういう執事さんいないの?」
「この世のどこを探したっていないわよこんなの」
「テレーゼもだけど、クロードもたいがい規格外よね……」
畏怖するようなふたり。
うーんそうか、やっぱりクロードは特別製なのか。
さすがは小さい頃から悪役令嬢テレーゼに鍛えられただけあるなあー。
などと感心していると。
「先生、合格したんですね! おめでとうございます!」
クロードの陰から、ひょいとウィルが顔を出した。
可愛いお顔をパアッと輝かせて、お祝いの言葉をかけてくれる。
「あらありがと、ウィル。あれ、もしかしてふたりって一緒に来たの?」
このふたり、そんなに仲良かったっけなと思いながら訊ねると、なぜだろうウィルは急にしどろもどろになった。
「え、あ、ええとその……クロードさんとは偶然そこで会って……」
わちゃわちゃと両手を動かして、いかにも何かを隠しているようなそぶりだ。
ふたりで遊ぶような関係にも見えないし……じゃあいったい何を隠して……はっ、もしかしてクロード✕ウィルで愚腐腐腐腐……的なっ?
なーんてっ。ま、そりゃあないか。
考えてもけっきょくわからなかったので、それ以上は考えないことにした。
わたしの頭はそういう方面に向いていない。
そんなことよりお腹減った、お腹。あと甘いもの食べたい。
「まあいっか、それよりみんな、お昼まだでしょ? バルで食べて行かない? わたしが一発合格したらテオさんがとびっきりのデザート作ってくれるって言ってたんだあー」
面接で疲れたお腹にアルコールと油分を、頭に糖分を補給せねばとみんなに昼食を提案していると……。
「テレーゼ君」
いきなり横合いから声をかけられた。
誰かと思えばうげげげ、エメリッヒ先生じゃないか。
「な、なんですか先生? まだなにかあるんですか?」
もう試験は終わったはずなのに、この人、わたしに文句が言いたくてわざわざやって来たのか?
そう考えたわたしはババッと身構えた。
その様子を見たクロードは素早くわたしの前に立ちはだかった。
他のみんなは状況が呑み込めず、キョトンとしている。
「……君にひとつ聞きたいことがある。あの左手は、わざとか?」
不快屈辱に塗れながらの質問に、わたしはなるほどとうなずいた。
ただわたしを敵視してるだけではない、この人は優秀な教師なんだ。
他の先生たちは感動するだけだったのに、きちっとわたしの思惑まで気づいている。
そしてその通りだ。
この体になってたくさんたくさんピアノを弾いて来て、ようやく両手が使えるようになったけど、それでもまだ左手は弱い。
これはたぶん筋肉量ではなく骨格の問題。
右手に比べると左手の方が細く、結果として音の大きさのバランスが悪くなる。
それを今回は逆手にとったのだ。
本来なら強く弾くべきところを弱く弾くことで、意図的にアクセントをつける。
曲全体のリズムは変えず、それでいて局面局面にドラマを持たせるシンコペーションという技術なのだが、エメリッヒ先生はどうやらそれに気づいたらしい。
ゲーム内のBGMでもシンコペーションを感じさせる曲はなかったし、たぶん未知の技術だったのだろうけど、それを普通に教えても面白くない。
この人とは今後も因縁がありそうだし、ちょっとマウント取っとこうかな。
「あ~ら先生、ダメですよお~。それじゃあまるで、手品のタネを知りたがる子供みたいじゃないですかあ~」
わたしはくすくすと笑った。
口元に手を当て、悪役令嬢のように。
「間違えちゃいけませんよ。わたしは生徒、あなたは先生。生徒に教わる先生がいてたまりますか」
「ぐ、ぐううう……っ?」
わたしの煽りに、エメリッヒ先生は顔を真っ赤にして怒りだした。
本人としては精いっぱいの勇気を振り絞っての質問だったのだろうが、残念、こっちはそんなに都合のいい女じゃないんでね。
「もういいっ、わかったっ」
これ以上の屈辱には耐えられないとばかりに、エメリッヒ先生はくるり踵を返した。
「とにかく覚えていろっ、負けっぱなしで終わらせるつもりはないからなっ」
「はいはい、楽しみにしてまーすっ」
遠ざかる背中に向かってにこやかに手を振りながら、わたしはそっとつぶやいた。
「……あ~あ、どうやら世界観を壊すことは出来たみたいだけど、音楽に絶望させるまでは至らなかったかあ~」
もしこれが村浜沙織だったなら、かつてわたしに地獄を見せたあの天才ならばあるいは?
そんなことを思いながら、ポリポリと頭をかいた。
「……ちぇ、まだまだ未熟だぜ」
いつか天才と合間見えるその時まで、テレーゼは修練を続ける。
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