「教えてさしあげます」
「受験番号10番、テレーゼと申します。本日は貴重なお時間を頂きまして誠にありがとうございます」
意を決して演奏室に入室したわたし。
胸を張り背筋を伸ばし、いかにも平然とした風を装っているが、内心ではもうドッキドキだった。
だってさあ、入れ違いで出て来たコが泣いてたんだもん。
10歳にもならないような小さな女の子がさあ、もうボロボロ泣いちゃってるの。
それを見た他のコらがさ、廊下で待ってたコらがひそひそ噂話してたの。
今日のわたしたちの担当の審査陣にはあのエメリッヒ先生がいるんだって。
音楽院の先生たちの中でも一番うるさくてしつこくて、面接中はもちろん演奏後の講評でもめちゃくちゃに言ってくるんだって。
わたしの場合、演奏はともかく面接に難があるからさあ、もう不安で不安で……。
うううぅ、あんなに長い時間練習につき合ってもらって、その上でもし落ちでもしたらごめんよおぉリリゼット、アンナぁぁぁ……。
「えー……テレーゼさん、大丈夫ですか? だいぶ汗をかいてらしゃるようですが……」
審査員のうちのひとりが、極度の緊張状態にあるわたしを心配して聞いてきた。
この場で倒れられでもしたら責任問題になるということなのだろうが……。
「大丈夫です! 問題ありません!」
こちらとしても、ここまで来たら引き下がれない。
顔中に浮いた汗をハンカチで拭うと、精いっぱいに平静を取り繕いつつポッケにしまった。
膝の上で軽く拳を握り、懸命に審査員たちに向き合った。
「わかりました。それではわたしから……」
審査員の先生が、端から順番にわたしに質問をぶつけて来る。
そのひとつひとつに、わたしは出来る限りの丁寧さで答えていった。
Q.あなたのピアノ演奏歴を教えてください。また、賞歴等はありますか。
Q.得意な曲はなんですか。また、苦手な曲は。理由も含めてお答えください。
Q.ピアノ以外の楽器は演奏できますか。また、オーケストラ等と共演することは可能ですか。
Q.グラーツには他にも音楽院はありますが、どうしてうちでなければならないのですか。
事前に予想通りのいかにもな質問が続く。
それにわたしは、すべてテンプレで返していった。
アンナいわく、ここで気の利いた返答をする必要はない。
わたしはわたしの得意分野で、つまりは演奏で勝負すればいいのだそうだ。
そうすればきっと、審査員たちはわたしを認めざるを得ないはずだから。
さすがシニカルアンナ。
わたしの脳のキャパシティを考えた、見事な策と言えるだろう。
いや……楽譜とかならいくらでも覚えられるんだけどね……どうにも納まる場所が違うというか……。
「テレーゼ君」
無難に無難に返答を続け、最後の質問者の番になった。
5人並んだ中央に陣取るその人が、噂のエメリッヒ先生だ。
歳は三十歳前ぐらいだろうか、銀髪をはらり額に垂らしている。
銀ブチメガネのドSっぽいイケメンで、受験生たちが怖がるのも無理はない。
しかも何これ、めっちゃにらんでくるんですけど。
親の仇でも見るようなガチにらみなんですけど。
なんだよぉー、わたしがあんたに何かしたかよぉー。
明らか初対面の人に向ける目じゃないだろそれえぇー?
ひょっとして、こいつもバーバラみたいなゲーム制作陣のまわし者かあぁー?
ビビるわたしに、エメリッヒ先生は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
どれもこれも答えづらい質問ばかりだが、一番驚いたのは音楽決闘や婚約破棄、公爵家勘当に王都追放の件まで聞かれたことだ。
いったい誰からその話を聞いたのか、あるいは新聞記者からの情報リークがあったのか。
リリゼットの提案でそれらの質問への答えを事前に用意してあったのが幸いして、言われっぱなしになるという事態だけは避けられたが、度重なるストレスのせいで身も心もボロボロ。
「うっ……うぐ……っ」
最後の方は、涙をこらえるので精いっぱいになってしまった。
ちくしょう、どんだけ事情通なんだよおー。
イケメンならなにやっても許されると思うなよおー。
などと、内心で恨み節をつぶやいていると……。
「さて、面接のほうはここまでです。続いては実技試験。東西両地区最強決闘者とやらの実力、見せてもらいましょうか。ま、コンクールでもなんでもない野試合でいくら勝ったところで、意味などありませんがね」
口元に意地の悪い笑みを浮かべたエメリッヒ先生が、嫌味ったらしく言った。
なんだかんだで噂だけだろう、実際には素人に毛が生えた程度のものなんじゃないか?
そんな風な気持ちが透けて見えるような、あざけるような口調だった。
「……っ」
この一言に、わたしはカチンときた。
自らの実力を舐められたことに、わずか16歳の娘を前にしての大人気ない言動に。
音楽決闘を侮られたことにも腹が立った。
奏者同士の誇りを賭けた戦いを、本気で挑んだリリゼットとのあの決闘までも侮られたことに、腹が立った。
このままじゃ済まさない、絶対思い知らせてやると心に決めた。
指示された通り、わたしはピアノの前に座った。
椅子の高さを調整し、拳を軽く握って膝の上に置いた。
すぐには動かず、そっとたたずむ。
「……」
実技試験のルールはひとり一曲、弾き直しは許されない。
5人の審査員の協議の結果で合否が決まる。
つまり、この中で最も発言力が強いだろうエメリッヒ先生の心を動かさなければ勝ち目はない。
「どうしました? 演奏ですよ?」
なかなか動かずにいるわたしに焦れたのだろう、エメリッヒ先生が舌打ちする。
「もしかして体調が悪いのですか? でしたらこのまま退室していただいてもけっこうですが、再試験は認められませんよ?」
「……先生、ひとつ聞いていいですか?」
わたしはジロリ、エメリッヒ先生を見つめた。
「先生は、音楽で世界が変わった経験がおありですか?」
「音楽で……世界が変わる?」
「人生観、あるいは宗教観でもいいです。ともかく自らの根底にあるものを揺さぶられ、ぶち壊された経験がおありですか?」
「あなたは何を言って……」
「わたしはあるんです。過去に一度。それまでのわたしを構築していたものを粉々に破壊された」
あるひとりの天才の手によって。
その指先が紡ぎ出す音によって。
たまらずにわたしは逃げ出し、巡り巡って今ここにいる。
「音楽って、本来なら楽しいものですよね。楽しくて、素晴らしくて、聴けば満ち足りて、明日への活力になる。だけど音楽家はそうはいかない。自らよりも遥かな高みにいる存在に気づいた時、その膨大な距離に気づいた時、その心は嫉妬と絶望で塗りつぶされる。自らの矮小さを感じて死にたくなる。同じ世界にいるからこそ、強く深く打ちひしがれる。……ねえ、先生。もし知らないのでしたら教えてさしあげます」
わたしはピアノに向き直ると、すうと息を吸い込んだ。
「価値観をぶち壊される、その怖さを」
口の端に笑みを浮かべながら、そっと腕を伸ばした。
「フレデリック・ショパン作、夜想曲第20番 嬰ハ短調 KK.IVa-16『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』」
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