「ここで退いては女がすたる」
「え、どーゆーこと? なんでわたしが音楽院に?」
思ってもみなかった言葉に、わたしはぱちくりと目を瞬いた。
「せ、先生も音楽院に通うんですか!?」
「待って落ち着いてウィル、そんなにぴょんぴょん跳ねて喜ばないでっ。わたしも寝耳に水というかさすがに予想してなかったんだけど……リリゼット、説明してくれる?」
興奮するウィルを落ち着かせていると、リリゼットがもちろんよとばかりにうなずいた。
「あなたを武力行使から護るといったって、それをいつまでもは続けられないでしょ。はいそこの執事の人、心外、みたいな顔しない。あなたがどれだけ強くたって、ひとりきりじゃどうしたって無理な局面があるでしょうが」
それでもなおクロードは不服そうな顔をしていたが、でもたしかにその通りだ。
リリゼットにはコーゲツさんとツキカゲさんがついているからいいとして他の、例えばウィルやアンナと一緒にいる時に襲われたりしたら、わたしどころかふたりが大変な目に遭っちゃう。
じゃあそもそも論、家から出なきゃいいんじゃないって話になるんだけど、生きていくためにお金を稼がなければならない以上、それも出来ない。
でも、それが音楽院とどう繋がるのかわからない。
わたしが頭上にハテナマークを浮かべていると、リリゼットが噛み砕くように説明を開始した。
「音楽院……正確にはクラウンベルガー音楽院には2000人からの生徒が通ってるけど、中には相当数の富裕層がいるわ。卒業生からの寄付金もあるし、学生選抜の楽団も定期演奏会でそれなりに稼ぎを出してる。つまりは資金が潤沢で、防犯体制が整ってるの」
「ああー……なるほど。おかしな連中は入って来れないから安全って理屈か」
昼間はそこにいればとりあえずは安全で、行き帰りはクロードがいると。
「そう。そしてそれ以外にもいい点がひとつあるわ。さっきも言ったけど、富裕層の子供が多く通っているということは、それだけ権力との繋がりも深いということ」
「権力?」
「簡単な話よ。あなたが、あなたに手を出すことがバルテル公爵家にとって問題になるぐらいの人間になればいいわけ」
「……えーと、つまりはコネを作れってこと? 周りをお偉いさんたちに囲まれてたら向こうは手を出せないって?」
「そうね、最終的には社会戦を仕掛けて勝てるぐらいになるのが理想的」
うおお、そう来たかあ。
しかもなになに社会戦? そんな概念初めて聞いたわ。
豪商の娘さんだからこその発想なんだろうか。
えげつない駆け引きとか争いとかあったりするの?
んんー、だけどたしかにそうかもだなあー。
公爵家に対抗するにはこっちもそれぐらいの用意をしないと……んんんー……でもなあー……。
「……ちなみにわたし、そうゆーの苦手なんだけど。意図を持って人に接近したりとか、下心を持って仲良くなったりとか」
え、おばちゃんたちとの井戸端会議はどうなんだって?
あのぐらいなら出来るってだけの話よ。リリゼットのこれは、もっとレベルの高い話だもん。
「……うん、まあわかるわ。あなたってそういう人よね。良くも悪くも素直というか……」
頭痛をこらえるようなしぐさをしながらリリゼット。
おっと、ウィルとアンナとテオさんもウンウンとうなずいてるんですが……きみたちそれはどういう意味のうなずきかね?
「でも大丈夫、小難しい手練手管はいらないわ。あなたはいつも通りにしてればいいだけ。昨日も言ったでしょ、ここは音楽の都だって。ピアノが天才的に上手ければ、それだけであなたの周りには人が集まる」
「そ、そうゆーもの?」
「そうゆーものよ。まあ、それこそ良くも悪くもだけど……」
と、微妙に嫌そうな顔のリリゼット。
まあたしかに、リリゼットぐらいの腕があって美人でしかも豪商の娘さんと来たら、言い寄る男も後を絶たないんだろうなあ。
そうゆー意味ではわたしは安全? やあでも、外見だけはいいからなあ、外見だけは。
「ということでテレーゼ、どう? 問題がなければ入学しない?」
「ん、んんー……?」
わたしは悩んだ。
向こうの世界で義務教育はおろか高等教育まで終えているのだとは、まさか言えない。
音楽教育に関しても、中退したとはいえ音大に通ってたわけだしね。
どうもいまさら感があるというか……。
一方で、リリゼットの理屈もわかるのだ。
たしかにそうすればわたしの安全が確保でき、未来にも一筋の光が見えて来るだろう。
コネを作る作らないに関しても、リリゼットがいればなんとかなるだろうし(人頼みすまん)。
……あ。
でも、そうだわたしって……。
「そうだ、わたしってばここの専属ピアノ弾きなんだ。昼の部だってあるし、毎日毎日音楽院に通うわけにはいかないのよ。だから無理無理」
「そういう事情なら、こっちは構わんぞ?」
わたしが断ろうとした瞬間、テオさんが横から口を挟んだ。
「そりゃお嬢ちゃんがいないのは痛手だがな。お嬢ちゃんの身の安全に換えられるものはねえよ。店には夕方以降の部で出てもらえばいい。昼は昼で適当なのを見繕うさ」
「て、テオさん……」
わたしは驚き目を丸くした。
「無くなっちまう昼の分の給料に関しても、夜の分に色をつけることで対応してやるよ」
「え? で、でもそんなことしたら……」
わたしのお給金は変らず、店の負担ばかりが増えるんですが……。
驚くわたしに、テオさんは恥ずかしそうに言った。
「これは昨夜の己の不甲斐なさを恥じてのことでもある。だが、それだけでもねえんだ。実際問題店の売り上げとしてもよ、お嬢ちゃんがいることで倍増どころじゃない騒ぎになってるんだ。このまま利益を還元しないってのは、店主としてさすがに出来ねえや」
うおお……っ、社員の事情を考え適宜利益を還元するっ、なんたるホワイト職場っ!
聞いてるか某ブラック派遣企業の社長っ!?
「て、テオさぁぁぁん……っ」
驚きと感動のあまり、わたしは再び泣きそうになってしまった。
だが、あまりびーびー泣いてばかりもいられない。
すんでのところで堪えると、わたしは強く拳を握った。
「オッケー! わかったわテオさん! ここで退いては女がすたる! わたし、音楽院に入学します!」
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