「嬉しかったこと」
というわけでクロードに家まで運んでもらうことになったわたしだ。
一応断っておくが、お姫様だっこではない。
などと言うと全国うん千万のお姉さまたちは何やってんだこの腰抜けめ(まさにその通り)、イケメン執事に運んでもらうと言ったらお姫様抱っこだろうがふざけんなとわたしのことを罵るだろう。現代社会だったらSNSで袋叩きだ。
だが待って欲しい。
何度も言うけど見た目はともかくわたしは36歳喪女なのだ。
学生時代は音楽と共に過ごし、社会に出てからも友達なんてついぞ出来たことがない。
恋愛関係には極めて疎く、女子力スカウターの数値は5のクソザコナメクジ。
そんなわたしがお姫様抱っこなんてされた日にはほら……わかるでしょ?
顔が真っ赤になって心臓が爆発寸前になって全身からあぶら汗を垂れ流す醜い生命体になることは間違いない。
見た目がテレーゼという超絶美少女であるだけに、その光景は相当えぐい。
なのでお姫様抱っこはなしのなしなし。
次善の策として、おんぶしてもらうことに落ち着いたわけ。
ほら、おんぶならクロードの胸板の厚さとかを感じることも無いし至近距離からご尊顔を拝見することも無いわけだし、わたしのザコメンタルも安心安全に保てるというものよ。
などと思っていた時代が、わたしにもありました……。
「……ねえクロード。ホントに重くない?」
「まったく重くはありません」
「ホントにホント? そんなこと言って、実は膝ガクガクだったりしない? この女、ぱかぱか飯ばかり食いやがってだから重いんだよとか思ってない?」
「滅相もございません。お嬢様は木の葉のように軽いです」
「そ、それはさすがに言い過ぎでしょ……」
何を言っても軽く流されるので、わたしはとうとう諦めた。
このコは何を言ったって、わたしの不利になるようには答えまい。
いやあーでもね?
ちょっと言わせてくださいよ。
何がって、いま現在の状況ね。
クロードの手がわたしの臀部に当たり、クロードの背中がわたしの胸部に当たってるんですよ(センシティブな表現を避けつつお送りしております)。
女性としては相当に控えめなしかしデリケートな部分たちが、超絶イケメン執事の手や背中に触れているというシチュエーションはかなりえぐく、やっぱりわたしは顔面真っ赤で心臓は爆発寸前で、全身から冷や汗をだらだら流す奇妙な生命体になってしまった。
うう死にたい……いや、いっそ殺してくれえ……。
「……お嬢様」
自己嫌悪で死にそうになっているわたしに、クロードが話しかけて来た。
「ひゃ、ひゃいいぃっ、なんでしょうかっ!? やっぱり今すぐ吊って来たほうがいいですかっ!? 首をこう、グイッといって来た方がっ!?」
「何をおっしゃってるんですか。そうではなくですね。その……今日は本当にお疲れ様でした。演奏もですが、バーバラ様のことも……」
「あ、ああー……そっちの話か」
ごめん、真面目な話だったのね。
「ええと、ええとね……たしかにまあー、疲れたよね。まさかあんなことになるとは思わなかったし……あのバーバラがって……」
王都からわざわざ追って来て、しかもあの情報量の糾弾に加え、サクラまで仕込む徹底ぶり。
いやホント、しつこいにもほどがあるだろう。
クロードが割って入ってくれなかったら、本気で今頃どうなっていたかわからなかったぞ。
「お嬢様へのバーバラ様のお気持ちは薄々察しておりましたが、まさかあれほどのものとまでは思っておりませんでした。まずは不明を謝罪させていただきます。申し訳ございません」
「いいよいいよー。あんなの想像しろってほうが無理だし。しっかしわかんないなあー。バーバラはなんで、わたしのことがそんなに嫌いなのかなあ? いやまあ、性格上の問題ってのはわかるんだけど、それだけでここまでする?」
2回も糾弾される悪役令嬢なんて聞いたことがない。
糾弾シーンがプレイヤー全員のお楽しみなのは理解出来るけど、さらに死体蹴りまでしようなんて陰湿なシナリオはさすがに知らない。
「根本の理由まではわかりません。ただ、幼き頃より恨みに似た気持ちを抱いておられたようではありましたが……」
「子供の頃から? ひえー、そこまで根深いのかあー」
「わたしがなんとか出来ていればよかったのですが……お力になれず、申し訳ございません」
「いやいやいや、謝んないでよ。そんな根深いの無理だって。それにさ、クロードはすんごく頑張ってくれてるよ。普段の生活はもちろん、さっきだってあんな状況でわたしを助けてくれてさ。主家のお嬢様に向かってカッコよく啖呵を切っちゃってさ」
いま思い返しても惚れ惚れするようなカッコよさだった。
ホント、動画にして保存しておきたいぐらい。
「わたしはテレーゼ様の執事です。執事は主を守るが勤め」
「そりゃまあそうかもだけど……そうかもだけどさあ……」
何を言っても同じ返事が返ってくるだけだろうから、わたしはため息ついて諦めた。
ホントにお堅いんだから、クロードは。
「ま、いいか。明日からまたコツコツ頑張ろうっと。ピアノを弾いて、ウィルやアンナにピアノを教えて。あ、そうだ。リリゼットという友達も出来たことだし、時々はふたりで遊びに行ったりするのもありかもね。おお、そう考えたら楽しくなってきたぞーっ。やっぱり美人の友達がいると上がるよねーっ」
ひとりできゃっきゃと盛り上がっていると。
「……も、もう平気なのですね」
クロードが呆れたような感心したような口調で言った。
「え、何が?」
「バーバラ様の本心をお知りになって、今日の事件を経験して、相当に衝撃を受けているのではと思って心配していたのですが、存外平気そうなので……」
「ああー……そういう、ね。たしかに、ショックでなかったといったらウソになるけど」
ゲーム内では従順な妹に見えたバーバラが、あんな風に豹変するなんて。
しかもみんなの前でわたしを糾弾し、さらなるどん底に突き落とそうとして来るなんて。
当然ショックだったし、ゲームオーバーになりかけた時はガチ泣きしてたけど。
「……あまりお恨みにはなっておられない?」
驚いたような声でクロード。
「冗談、そんなことないよ。ここまで粘着されて、罵倒されて、せっかく築き上げた立ち位置を粉々に打ち砕かれかけて、そのままスッキリさっぱりなんてことないよ。また仕掛けて来るなら今度はこっちから思い切り罵ってやるさ。右の頬を打たれたら左右の頬を打ち返してやるさ。でも……でもね? いいこともあったんだよ」
「それは、リリゼット様というお友達が出来たことですか?」
「それもだけど……」
「それともテオ様や子供たちが改めてお味方してくれるということについて?」
「それもだけど、それだけじゃなくってさ……」
わたしはね、クロードの気持ちを知ることができたのが嬉しいんだよ。
忠義の人であるのは知ってたけど、いったいどこまでのものなのかはわからなかったし。
主家を敵にしたらさすがにアウトなのかなと思ってたし。
でも、クロードはわたしの味方をしてくれた。
なんなら主家そのものを敵にしても構わないとの覚悟まで見せてくれた。
その瞬間、わかったんだ。
クロードはわたしを絶対裏切らないって。
この先なにがあっても、それこそ世界中がわたしの敵に回ったってクロードだけは味方でいてくれるって。
ねえ、わかるかな?
ママとケンカして家を出て以来、ずーっとひとりきりで生きてきたわたしにとってはさ、それはもう、泣きたくなるほどに嬉しいことだったんだよ。
「ともかくさ、いいことがあったから気分的には帳消しな感じなの。いやむしろ、胸がぽかぽか暖かくなってる分じゃっかんプラスな感じなの」
「ちなみにそれは、いったいどのような……?」
「ふっふっふー、それは秘密ですーっ。何度聞いても教えてあげませーんっ」
こんなの恥ずかしくって、さすがに本人には言えない。
だからわたしは、笑って誤魔化した。
「さ、そんなことよりとっとと帰ろうよクロード。早く家に帰って、ぐっすり寝てさ、最高の体調で明日の朝日を迎えよう」
「わかりました。では可及的速やかに」
わたしの言葉に、クロードは即座に反応した。
ぐんと加速すると、今までてくてく歩いてたのがウソみたいな物凄い勢いで走り始めた。
いやマジでガチ速い(語彙)。
人ひとりをおんぶした状態で出せるスピードじゃない。
「ひゃーっ、すごいすごいっ! はっやーいっ!」
わたしは思わず歓声を上げた。
風がびゅうとばかりに頬を撫でる。
立ち並ぶ家々が、すごい勢いで後ろへすっ飛んでいく。
見上げた空には大きな月がぽっかりと浮かんでて、小さな雲がかかってて。
クロードの体はがっしりたくましくて、乗り心地は快適至極で。
なんて、なんて、なんて気持ちがいいのだろう。
まるでジェットコースターに乗ってるみたい。
「ああー、楽しいなあー……」
金色の長髪を風になびかせながら、わたしはうっとりとつぶやいた。
家が瞬く間に近づいて来ていることが、この時間がもうすぐ終わってしまうことが、なんだか寂しかった。
自分で早く帰ろうなんて言っておいて勝手だけど、もう少しこのままでいたいなーなんて思ってた。
クロードやクロードが好きな人にとっては迷惑な話だろうけど、そんな風に。
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