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「その名はリリゼット」

 その日もわたしはバルにいた。

 午後の授業が休みだというので早めに音楽院から帰って来たウィルに、黒鍵を生かしたスムーズな指運びを教えていたところだった。


 白鍵より高い位置にある黒鍵はたしかに弾きづらく、ピアノを弾く上で子供がぶつかる2番目の難関と言っていい(最初の難関は左手の動かし方)。

 それでもウィルは上手くやっている方だと思うが、筋力と体力の少なさはいかんともしがたい。

 短い曲ならいいのだが、長い曲だと消耗し、中盤過ぎ辺りでダレてくるのだ。


「そうよウィル。てこの原理を使うの、手首を逸らして、反動で指を持ち上げて、ストンと落として……そうそうっ、いい感じっ」


「わあっ、ホントだ。ホントに弾きやすいっ、すごいや先生っ」


 わたしなりの黒鍵攻略法を教えると、ずいぶんと動きがスムーズになった。

 抱えていた悩みが解決したウィルは、頬を染めながら大興奮している。


「へえ……そんな弾き方があるんだ……じゃなくっ。ふん、わたしはそれぐらい知ってたけどね」


 隣に座っていたアンナがいかにも知っていた風を醸し出すが、「へえ」とか言ってたのでまったく説得力がない。

  

「むしろ今まで知らなかったのかって驚くぐらいよ。あんたの先生、ホントに大丈夫?」


 ぬう、煽りよる|д゜)


「なに言ってるのアンナ、テレーゼ先生は最高の先生だよっ。演奏もとびきり上手いし、音楽院じゃ教えてくれないようなこともバンバン教えてくれるんだからっ」


「それはあんたが未熟で、物を知らないからでしょ」


 ウィルをわたしに盗られまいと思ってだろう、アンナは何かとわたしを貶めようとする。

 それは当然ウィルの反感を買い、ふたりは毎回言い争いをすることになる。


 本音を言うならウィルといがみ合いたくないのだろうアンナは途中でちょいちょい泣きそうになったりするのだが、かといって舌鋒ぜっぽうを緩める様子はない。

 この辺は女子のプライドといったところだろうか。

 

 ともあれ深刻なケンカになる気配はなく、今日も今日とて始まった可愛い争いを、わたしはにまにま眺めていた。   


 すると……。


「『酔いどれドラゴン亭』ってここ? なんとも品の無いバルだけど、ホントにここにいるの?」


 ずいぶんと失礼なことを言う人もいたものだと思いムッとして振り返ると、そこにいたのは一人の女の子だ。


 16歳ぐらいだろうか、燃えるような赤毛をツインテールにしている。

 顔立ちは整っているが、目が吊り上がって勝ち気そうな雰囲気がある。

 服は真っ青なシュミーズドレスで、腰には金糸で縁取られた薄水色の帯を巻いている。

 足元は最近流行の編み上げサンダル。

 

 どこぞのお嬢様なのだろうが、いかにも下町を見下した感じがしていけ好かない。 

 ウィルやアンナも同じ気持ちなのだろう、警戒心の強い目でお嬢様を見つめている。


 お嬢様は背後にぞろぞろとお付きの男たちを連れている。

 護衛なのだろう黒服の大男と小男、他にフェルト帽をかぶったのが数人がいて、こちらはバルの外見や内装をしげしげと眺めては何ごとかをメモに書き込んだりしているので、おそらくは新聞記者の類だろう。

 台車に載せた大型の箱みたいなのは、もしかしたらカメラだろうか? ものすごい時間をかけて一枚の写真を撮る、博物館とかに飾られてる感じの?


「あら、もしかしてあなたがテレーゼ・フォン・バルテル?」


 わたしの存在にはとっくに気づいていたはずなのに、あえて今気づいたかのように振る舞うお嬢様。ううん、嫌みったらしい。ホントにお話の中の悪役令嬢みたいな奴ね。


「聞いたわよ。東地区18連勝中の驚異の新人ですって? 男と同棲して、幼い子供を囲って、夜な夜な乱れた性生活を営んでいるんですって? 最低ね、同じ女のピアノ弾きとして恥ずかしいわ」


「はああああーっ!?」


 予想外の口撃に、わたしは思わずカッとなった。

 たしかに傍から見たらそんな感じに映るのかもしれないけど、実際そうなったらかなり嬉しくはあるしちょっと興奮したりもするけど、今のところはただの濡れ衣だ。


「なんなのよあんた!? 出会い頭に根も葉もないことばかり言って、あげくに人を淫魔扱い!? 常識って言葉をどこに置き忘れて来たのよ!」


 カッとなって詰め寄るわたしに、女は肩にかかったツインテールをシャランとはね除けながら冷然と告げた。


「図星を刺されて怒ったの? あらあらお可愛いこと。とはいえ、名乗るが遅れたのは失礼だったわね。わたしはリリゼット・ペルノー。西地区25連勝中の、グラーツ最強の決闘者よ」


「はああー!? 最強の決闘者ぁー!?」


 完全にトサカに血の登ってるわたしの肘を、くいくいとウィルが引く。


「あの……たぶんこの人じゃないでしょうか」


 ウィルが差し出してきた新聞を見ると、そこにはたしかに目の前の女──リリゼットがピアノに向かう写真が載っている。

 見出しは「海運商ヨーゼフ・ペルノーのご息女、『舞姫』リリゼット嬢、25連勝を達成! 西地区最強に!」、「来たる東地区最強『鍵盤の魔女』テレーゼ嬢との対決に熱視線!」……っておいおいおーい!


「何を勝手なことを……」


「それを見たらわかるでしょ、わたしがわざわざこんなところへ来た理由。グラーツに最強はふたりもいらないの。白黒ハッキリさせようじゃない。あ、それとももしかして逃げるつもり?」


「はあ?」


「負けるのが怖いから逃げるの?」


「はあ?」


「なるほどねえー、まあまあしょうがないわよねえ。雑魚ばかり狩って来て、本当の戦い(・ ・ ・ ・ ・)を知らないなんちゃって決闘者が、化けの皮が剝がれるのを恐れるのは当たり前だもの」


「はああああああああーっ!?」


 リリゼットの意地の悪さと凄まじい煽りに、さすがのわたしもぶちギレた。

 アンナのそれは許せても、あんたのそれは許せない。

 わたしは立ち上がるなり新聞紙を丸めると、リリゼットに向かって投げつけた。


「いいじゃない! その勝負受けて立って……」


「──その必要はございません」


 低い男性の声がしたなと思ったら、いつの間にかクロードがそこにいた。

 リリゼットの背後に立つと、無造作にその頭を掴む。


「なっ……!? あ、あんたいったいどこから……って人の頭を気安く掴むんじゃないわよ! わたしが誰だか知ってやってるの!?」


 顔を真っ赤にして怒るリリゼット。

 なんとか振りほどこうともがくものの、クロードの力に敵うはずもない。


「お嬢様を愚弄する愚か者の名など知らん」


 クロードは冷たく吐き捨てた。


「それに、知る必要もないだろう。すぐに貴様の頭は粉々に砕け散るのだから」


 テレーゼをバカにされたことが腹に据えかねたのだろう。

 普段見たことのないような冷たい声で、冷たい表情で、クロードはギリギリと手に力を込める。

 

「ひぎっ……!? 痛い痛い痛いっ、だ、誰か助けて……っ! 頭が割れちゃう……!」


 突然の事態に新聞記者たちは困惑。

 背後に控えていたはずのリリゼットの護衛ふたりは、いつの間にか地面に突っ伏して気絶している。


 う、うーん……あれもクロードがやったのかしら。

 リリゼットを抹殺するための邪魔にならないように?

 テレーゼを思っての行動なんだろうけど……いやあちょっと、さすがにそれは……。


「ちょ、ちょっと待ってクロード」


 自分より怒っている人がいると、逆に冷静になれるというのは本当なんだなあ。

 クロードが激おこな分、わたしはかえって冷静になれた。


「あなたが怒ってくれるのはありがたいけど、さすがにそこまではしなくていいわ」


「しかしお嬢様。この女は決して言ってはならないことを……」


「さ、さすがに殺すのはどうかと思うの。それにほら、そんなことをしたらクロードが捕まっちゃうし」


「目撃者ごと全員殺せば問題ありません」


「落ち着いて落ち着いてっ。いつものクロードに戻ってっ。今のあなた、闇の世界の殺し屋みたいなすごい目してるから、怖いからっ」


「はっ……これは申し訳ございません。わたしとしたことが、お嬢様を怖がらせてしまうとは……」


 即座に反省したクロードは、リリゼットの頭から手を離しわたしに頭を下げた。


「はあああ~……し、死ぬかと思った……」


 リリゼットはその場にへなへなと座り込むと、今まで掴まれていた頭をしきりにさすった。


「うう……頭蓋骨に穴が開いてたりしないかしら……?」


 よほど痛かったのだろう、リリゼットは半泣きになっている。


「と、ともかくね? クロード。こういうのは力ずくで解決しちゃダメよ。わたしたちってばほら、文明人なわけだし、ね? 法の下に生きてるわけで。ね、わかるわよね?」


「……はい、申し訳ございません」


 クロードは頭を下げると、眉間に皺を寄せて沈痛な面持ちになった。


「では、今回のことは不問になされるということですね? 文明人らしく、話し合いで……」


「はあ? そんなわけないじゃない」


「……はい?」


 首を傾げるクロード。

 あれ? 今平和な流れになったような? という驚きの表情だが……。 


「音楽決闘は文明人がもたらした平和的な解決法だもの。暴力も振るわないし、全然野蛮じゃないわ」


 指をぽきぽき鳴らすと、わたしは自信満々に告げた。


「というわけで、やるわよリリゼット。あんたの鼻っ柱、へし折ってやるわ」

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