「ショーの始まり」
明るくなった会場には、まだなお熱気や興奮が渦巻いている。
リリゼットを敵視していた客の中には苦虫を嚙み潰したような顔をしている人もわずかにいるが、それでも今や会場の大半がこちらの味方になっている。
なぜかって、それはもちろんわたしの演奏が素晴らしかったから。
観客の大部分を占める男どもの度肝を抜くようなものだったから。
──やるなあ嬢ちゃん! おりゃああんたのファンになっちまったよ!
──東西両地区一位ってのは飾りじゃねえんだな!
──鳥肌ものだ! あんな暗い中であんなに素晴らしい曲が弾けるなんて信じられねえ! 神業だ!
ガラは悪いけど音楽愛好家の根っこは変わらない、大きな子供たち。
彼らは無邪気に口笛を吹き、歓声を上げている。
そこには演奏前にわたしたちに向けていたしがらみの欠片も感じられない。
そして──
──い~い演奏だったわねえ~、この後に演るのが正直怖いぐらいよ!
──なぁに言ってるの! この後だからいいんでしょ! ほら、お客さんの歓声の波に乗っていくよ!
──そうそう! わかったらさっさと配置につきな!
元からこちらの味方であったホステスさんたちも、満面の笑みを浮かべて喜んでいた。
拍手をし、飛び上がり、大喝采を上げていた。
彼女らは、互いに声をかけ合いながら配置に着く。
派手でエッチな格好をしている彼女たちのステージ上での動きに気づいた観客は、これから何が起こるのだろうとわくわく顔で言葉を交わし始めた。
うんうん、いいねいいね。
さっきの曲のおかげで、会場の空気は完全に温まってる。
今だったら何をやったってウケるよ。
「さあリリゼット、ここに座ってっ。今度は四手連弾よ。わたしとあんたでズガンとぶちかましてやりましょうっ」
「……わ、わかったわ」
わたしが促すと、リリゼットはしばし逡巡した後、席に着いた。
わたしの右に、つまりは第一奏走者の位置に。
低音を支えるのが第二奏者、高音はプリモ。
メインのメロディラインを歌い上げるのはリリゼットというわけだ。
「……なーによ、固まっちゃって。らしくもなく緊張してるの?」
表情を硬くし、盛んに両手を擦り合わせるリリゼットを煽り気味にからかうと……。
「当たり前でしょ。あなた、あんな演奏の後に弾かされる方の身にもなってよ」
リリゼットは頬を赤らめると、逆ギレ気味に言って来た。
「暗闇の中であんなとんでもない名演をして、今や会場中があなたの味方で、ファンで……。今だって、わたしがプリモをやるのに不満そうな顔してる人だっているのよ?」
「んっふっふっふ~、まあねえ~。わたしってば、会心の演奏しちゃったからなあ~」
「笑いごとじゃないわよ、もうっ」
どや顔で笑うわたしを、リリゼットは恨めしそうににらんでくる。
まあーね、リリゼットの心配はよくわかるよ。
いつだってそうだけれど、名演の次に弾くのには多大なプレッシャーがかかる。
しかも今回はモーツァルトだ。
暗闇の中でもなお燦然と輝く、かの名曲だ。
嫌というほど知っているわたしですら恐れおののくぐらいなのに、異世界人であるリリゼットにとってはかくやというものだろう。
それは観客にとっても同じであって……。
当然だけど、ハードルは嫌というほどに高い。
空気が温まっているのはいいとしても、評価が辛くなるのは避けられない。
しかも、四手連弾の悪評価ってたいていの場合はプリモに向けられるものだしね(曲の表層だけしか聞かないお観客の場合は特に)。
でも──
でもね、逃げていたんじゃダメなんだ──
「たしかに生半可な演奏じゃダメよね~。でも、逆に言うと生半可じゃなければいいわけでしょ~? 上手いことビッグウエーブに乗れば、それこそ最高の評価が得られるわけでしょ~?」
「簡単に言うけど、あなたねえ……」
「まあまあ、ちょっと聞いておくれよお嬢さん」
わたしは小さく笑うと、リリゼットの肩を掴んで引き寄せた。
「え? え? 何? 急にどうしたのっ?」
真っ赤になって動揺するリリゼットのきめ細かな頬に自分のそれをくっつけると、わたしは囁くように言った。
「さっきの暗闇にも負けない仕掛けは作ってあるよ。それはあんたもわかってるはずでしょ?」
「ま、まあ……」
「ここ一週間でホステスさんたちとした練習、忘れたの?」
「覚えてる、けど……」
「あれはそんなにインパクトが足りないものだった? たかが暗闇に負けるような、貧相なものだった?」
「そんなことはない……と、思う」
なおもごにょごにょとつぶやき続けるリリゼット。
「でも、自信が……」
「ねえリリゼット。これはコンテストじゃないんだよ、コンサートなんだ。大事なのは『技術』じゃない。圧倒的な『表現力』」
なおも怯えるリリゼットに、わたしは告げた。
いくら正確に弾けたって、心に響かなければ意味がないのだ。
審査員はともかく、『音楽を楽しみに来た』お客さんを満足させることは出来ないのだ。
そして、今のリリゼットに足りないところがそこなのだ。
彼女の演奏は美しく華麗だけれど、お客さんの心を鷲掴みするにはまだ足りない。
それはたぶん、彼女が真面目すぎるから。
『真摯』なのはいい、でも『ただただ真面目』じゃダメなんだ。
「遊び心を持って弾くんだ。しかもただの遊びじゃない、本気で、真剣に遊ぶんだよ、リリゼット」
もうこれ以上、わたしに言える言葉はない。
音楽家同士、ピアノ弾き同士、最後にわかり合えるのはやはり音楽の中でのみ──
わたしはリリゼットから身を離すと、ホステスさんたちのリーダーを務めるシャイアさんに目線を送った。
シャイアさんの合図を見たホステスさんたちが一斉に膝を曲げ、弾むように伸ばしたのを確認すると、わたしはもう一度リリゼットに語り掛けた。
「さあ、こちらも踊るよ、リリゼット。ジョージ・ガーシュウィン作『ラプソディー・インブルー』。楽しい楽しいショーの始まりだ」
遅れてしまって申し訳ない;つД`)
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