「袋男⑦」
~~~ザムド視点~~~
「兄さん、絶対いなくならないでねー?」
「わかってるよ」
「朝起きて兄さんがいなかったら、わたしわんわん泣くからねー? 涙で泉を作っちゃうんだからー」
「はいはい。いなくならないから寝てな。おまえもあんだけ喋ったら疲れたろ。体のためにぐっすり休みな」
「はーい、兄さんおやすみー」
「はいはい、おやすみおやすみ」
ベッドの上から手をひらひら振って来るイリスに手を振り返すと、ザムドは外に出た。
ドアの脇に腰を下ろすと、懐からタバコの葉の入った袋を取り出した。
くるくると紙で巻くと、マッチで火を点け吸い出した。
「……」
どこかの家から赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。
通りを行く大人たちの賑やかな笑い声が聞こえて来る。
商売女たちの蠱惑に満ちた誘い声、マフィアたちの密やかな囁き声、猥雑な活気に満ちた南部独特の音が、ザムドの耳をくすぐる。
「……あー、ひさしぶりだな。こういうのも」
高い夜空に吸い込まれていく紫煙を眺めながら、ザムドはつぶやいた。
止まらないイリスのおしゃべりの相手をし、疲れたら外に出てタバコを吸う。
タバコの煙がイリスの体に悪いということで染みついたルーチンだが、それを実行すること自体が3年ぶりだった。
正直言って、再びこんな日が来るとは思わなかった。
今の仕事を続けるかぎり、イリスと一緒に暮らすわけにはいかないから。
そしてそれは、もっとずっと先のことだと思っていたから。
「……少し、元気になってたかな」
ひさしぶりのイリスは、少し元気になっているようだった。
以前よりも血色がよく、以前よりも肌つやがよいようだった。
医者の先生の腕がいいのか、あるいは内職をしていることで生活にハリがあるからか。
もちろん、元気になったといったって健常者のそれとはレベルが違う。
しゃべりすぎればダウンするし、走ったり踊ったりみたいな真似もできやしない。
でも、以前に比べれば大きな違いだ。
彼女の体は間違いなく、快方へと向かっている。
「……よかったな」
それらを知ることが出来てよかった。
この目で見ることが出来てよかった。
ザムドは心の底から安堵した。
自分を南部へ連れて来てくれたテレーゼに。
実家へ帰るよう背中を押してくれた彼女に感謝した。
「しかし、なんだか……」
似てるな、と思った。
イリスとテレーゼ、天真爛漫な性格や押しの強さがそっくりだ。
かたや病人でかたや天才ピアノ弾きという違いはあるけれど、魂の形が似ているような、そんな気がした。
だからだろうか。
自分がついついテレーゼの言うことを聞いてしまうのは。
彼女がやることなすことを楽しく思い、ついつい目を細めてしまうのは。
彼女に危害を加える者がいたら、この手にかけてもいいとすら思ってしまうのは……。
「……」
ザムドは自らの手を見つめた。
ゴツゴツと骨ばった、大きな手を。
今まで数多くの人を金のために殺めてきた、血まみれの手を。
「……イリス。やっぱりありえないよ」
ザムドはつぶやいた。
先ほどイリスに言われた言葉への返答を、決して彼女の前では言えない言葉を。
「唾棄すべき人殺しの俺がさ、あんな綺麗な魂の持ち主に惚れるなんてのは、あっちゃいけないことなんだ」
つぶやくと、ザムドは再び無言になった。
立ち上る紫煙が消えてなくなるまで、じっとそこに座っていた。
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