「袋男⑤」
~~~ザムド視点~~~
テレーゼが悶々としながら眠りにつき、クロードが自らの感情に気づき始める。
そのちょっと前のことだった──
実家まであと数メートルというところで、ザムドはピタリと足を止めた。
それきり、一歩も先に進めなくなった。
「……あ~、懐かしいね」
小さな教会のほど近くの、今にも崩れそうなあばら家が集まった貧民街。
ひさしぶりに見る我が家は、そのたたずまいや雰囲気までもが、彼が家を出た時そのままだった。
本当に時が経っていないのじゃないかと錯覚するほどだが、実際にはけっこうな年月が経っていた。
3年。
その間、一度も帰っていない。
金と共に送る手紙の文面はどこまでも義務的で、優しい言葉のひとつも書いたことがない。
愛情がないというわけではない。
だが、帰りづらい理由があった。
その説明をすることができないまま時が過ぎ、今さらいったいどんな顔をして帰ればいいというのか……。
「明かりがついてるってことはまだ起きてるのか。……ったく、早く寝てゆっくり起きろって言ってるのに」
心臓に病を抱えたイリスは、健常者と同じような日常生活がおくれない。
ザムドの稼ぎによって医者に診せること自体は出来ているが、基本的には安静にして日々を過ごすべきだ。
早く寝てゆっくり起きろ、は以前からザムドが言い聞かせている約束事なのだが……。
「ダメ兄貴の言うことなんか聞かないと言われりゃそれまでだしなあ。ああ~、でもなあ~……」
ザムドはイリスに、自らの仕事の内容を明かしていない。
力仕事だとだけ伝え、詳細については未だにはぐらかし続けている。
というより、言えるはずがない。
グラーツの暗部に関わり、多くの人を殺している自分が、天使のように純真なイリスの傍にいていいはずがない。
その負い目こそが、彼を実家から遠ざける理由だった。
「……やっぱやめとこ。そこらで適当に宿とって、テレーゼちゃんには黙っとけばいいや」
そう決めて踵を返した、その瞬間だった。
「……兄さん? そこにいるの?」
玄関のドアをうっすらと開けたイリスが、じっとこちらを見つめてきた。
「げ……っ」
ザムドは呻いた。
忍んでいたわけではないが、まさか見つかるとは思わなかった。
声が聞こえた? それとも外の様子を窺っていた?
いずれにしても、これはヤバい──
「やっぱり兄さんだ、兄さん……っ」
いよいよザムドの存在を確信したイリスが、ドアを一気に押し開けた。
明かりの下にさらされたその姿は、相変わらず美しかった。
白絹のような髪は背中まで伸び、水色の瞳はどこまでも澄んでいる。
ずっと家にいて世間ズレしていないせいだろう、二十半ばという年齢のわりに顔つきは子供のようにあどけない。
「お帰り、兄さんっ。お帰りっ」
イリスは逃げようとしたザムドに駆け寄ると、子供みたいにぎゅっと抱きしめて来た。
「やった、起きててよかったっ」
「起きててよかったって、おまえまさか……」
「うん、わたしね? 兄さんがいつ帰って来てもいいように起きて待ってたのっ」
「待ってたって、おまえだって……」
「毎日欠かさず、待ってたのっ」
「毎日……っ?」
ザムドはゾッとした。
この数年、イリスはずっと待っていたのだという。
毎日毎夜、帰るかどうかもわからない自分の帰りを待って起きていたのだという。
「俺、早く寝るように言ったはずだけど……」
「でも、寝てる時に兄さんが帰って来て、起きる前にいなくなっちゃう可能性だってあるし……」
「う……っ?」
凄まじい直球に、ザムドは胸を詰まらせた。
実際その通りだ。
今だって本当なら、ザムドは家に帰ることなく立ち去るつもりだった。
イリスが起きて外の気配を探っていたからこそ、こうして見つかったのだ。
ということはイリスの行動はすべて正しいということであって……逆にザムドが悪いということであって……。
「ね、ね、兄さん。今日は家に寄っていけるでしょ? このままどこかに行ったりしないでしょ?」
「ああ……うん」
やられたね、とザムドは思った。
そこまで言われてしまうと、さすがに逃げられない。
希望と不安で複雑に彩られたイリスの表情をいたずらに曇らせたくはないし……。
「そうだね。どこにも行かないよ。今日は寄ってくさ」
「やった、よかったっ。嬉しいーっ」
胸の前で両手を合わせて喜ぶイリスの頭に、ザムドはポンと手を置いた。
「……ああ、ただいま」
わずかに口元を歪め、恥じらいながら。
ひさしぶりの「ただいま」を口にした。
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