「リリゼットの住まいは」
その名が遥々王都まで届く海運商ペルノー家を出て、自らの力だけで生きていく。
ただのリリゼットとして生きていく。
凄まじい決意のもとに音楽院を辞めわたしたちの前から姿を消した彼女がどんな環境で生活しているのか。
それがかねてからの疑問で、不安だった。
何せ地区が地区だ。
工業地帯だから荒っぽい人が多くて、広大な歓楽街があるせいでマフィア的な人たちが幅をきかせてて、昼間だって犯罪が絶えないような南部地区のただ中だ。
わたしとクロードが住んでいる長屋よりも汚いんだろうか。狭くて、虫が出て、治安も悪くて。
着る服はもちろん日々の食生活すらもやっとで。
それこそ爪に火を点すような慎ましい生活で。
そんな風に──
思っていたんだけども──
「……ねえ、あなた。これってさあ……」
リリゼットの新居を見上げたわたしは、思わずため息をついた。
「これがあなたの家? マジで?」
「ん? そうだけど、何か問題ある?」
不思議そうに首を傾げるリリゼット。
「ああいや……何でもないんだけどね……。結果オーライというか、あなたの身に何もなければそれでいいんだけど……」
わたしは静かに安心していた。
だって、リリゼットの住まいは明らかに高級マンションのそれだったから。
安っぽい長屋じゃなく、ひなびたアパートメントでもなく、豪華な造りのマンションだったから。
いやいやいや、これってけっこうお金かかるやつでしょ。
マジで月に金貨何十枚必要よ?
自慢じゃないけどわたしとクロードの住んでる長屋なんて金貨2枚と半分よ?
日本円に換算したら月2万5千円よ?
「ちなみに聞くんだけどさ、ここの家賃ってもしかしてあなたのお父さんのポケットマネーから出てたり……?」
わたしが訊ねると、リリゼットはやれやれとばかりに肩を竦めた。
「そうなのよ。お父様ったら、わたしが家を出るって言ったら泣いて足にすがりついて……」
聞けば、リリゼットが家を出るにあたってはかなりの騒動があったらしい。
リリゼットが家を出るならお父さんが死んじゃうとか、なんだったらお父さんもついて行くとか、それぐらいのとてつもなくめんどくさいやり取りがあったらしい。
「だからさ、しかたないでしょ。大の大人がボロボロ泣いて頼むんだもん。使用人たちの見てる目の前でさ、子供みたいに。そこまで言われたらある程度は条件を呑んであげないと」
お父さんの出した条件は、以下のようなものだった。
・籍を抜くのは許さないこと。
・プロとして成功したと判断したら帰ってくること。
・住まいに関してはお父さんの決めたところに住む。家賃もお父さん持ち。
・月一で状況を報告すること。
・お父さんが会いたいと言ったら家に帰って来てくれる券の発行(肩たたき券みたいなやつで、12枚綴り)。
・お手伝いのシアさん(50代半ばの女性だ)に週一で掃除洗濯など身の回りの世話をさせること。
・護衛としてツキカゲさんとコウゲツさんを連れていくこと(ちなみにふたりは隣の部屋に住んでいる)。
「ねえ、いちいちめんどくさいでしょ? ホントに過保護で参っちゃう」
「あ・な・た・ねええええ~……っ!」
「え? え? なになに? なにその勢い?」
わたしはリリゼットの肩をガシリと掴んだ。
正面から瞳を覗き込み、顔をぐいと近づけた。
「人が……人がどんだけ心配したと思って……っ!」
会えなかった二週間の間、わたしはぐるぐると同じことを考えてた。
リリゼットは無事で生きているだろうか。
あのお嬢様がひとり暮らしなんか出来るのか。
ご飯はきちんと食べてるのか。掃除は、洗濯は。
誰か悪い人に騙されてはいないか。
犯罪に巻き込まれて危険な目に遭ってはいないか。
「ホントに……どれだけ心配で……に・も・か・か・わ・ら・ずうぅぅ~……っ」
今まで心配していた分が、反動がすごかった。
安心が全部不満に変わって、爆発した。
「なんなのよもう! どんだけ待遇いいのよ! 高級マンション住まいで! お手伝いさんがいて護衛がいて!」
もちろん、リリゼットに危険な目に遭ってほしいというわけじゃない。
彼女にはいつだって安全なところにいてほしいし、幸せに笑っていてほしいと思ってる。
でもさあ……これはちょっとさあ……。
「こんな肩透かしある!? あなたこれっ、こんなのただの別荘暮らしじゃない! わたしの心配を返してよ! わたしなんかねえ! あなたのことが心配でちょっと泣いたりしたんだからね!?」
「だからしかたないって言ってるじゃない! お父様がわあきゃあ騒ぐから! 他に選択肢なんか無かったのよ!」
「それはわかってるけど! わかってるけどもおおおお~っ! ううううううう~っ!」
リリゼットの肩を掴んで、顔を覗き込んで、にらみ合ってにらみ合って……やがてわたしは、ハアとため息をついた。
ため息とともに怒りが、力が抜けた。
「はあ……もういいわ」
わたしはリリゼットを抱きしめると、ぽんぽんと背中を叩いた。
「とにかくあなたが無事でよかった。そんで、元気で暮らしているようで何よりだわ」
「……何よ急に」
怒り爆発から急に凪に入ったわたしの変化について来れず、リリゼットは困惑している。
「ま、考えてみればリリゼットも成長してるのよね。性的なサービスを提供する店でピアノを弾くとか、下町人情溢れるビストロの常連になるとか、昔のあなたじゃ考えられなかったし」
テオさんの『酔いどれドラゴン亭』のことだって、最初は小馬鹿にしてたぐらいだしね。
いけ好かないお嬢様だったのがここまで成長したんだもん。伸びた部分は褒めてあげないと。
「うんうん、偉いわよリリゼット。みんなと一緒に南部で暮らせてて、偉いわよお~」
「なんだかちょっとバカにされてる感じがするんだけど……っ?」
「そんなことないわよ。偉いわね、成長したわねって褒めてるの」
「だからなんなのよその上から目線っ?」
心外そうなリリゼットの頭を、わたしはわしゃわしゃと撫で続けた。
もし自分に娘がいたらこんな感覚になるのかなとか、ありもしない妄想をしながら。
リリゼットはほら、お嬢様だから……。
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