「壊れつつある」
~~~バーバラ視点~~~
「やったっ、やったわっ、王子殿下が動いてくれるっ。わざわざグラーツまで来てくださるわっ」
連泊を続ける高級ホテルの一室で、バーバラは小さくガッツポーズをとった。
「頭を下げて頼んだ甲斐がありましたわね。何せ婚約が破談になった間柄だから、もう交渉のひとつも出来ないのかと思っていたけれど、それが返っていい方向に働いたみたいねっ。こっちの事情を最大限考慮してくれるみたいっ」
部屋の中をバタバタと歩き回り、快哉を叫ぶバーバラ。
アベル王子からの返信は──
テレーゼの件が本当ならば見逃すわけにはいかない。
必ずやこの目で確かめ、正義を下すだろう。
──とのことだった。
この場合の正義とは、テレーゼに害を加えるということだ。
テレーゼにイジメられていたレティシアが彼女の幸せを望むわけがなく、だからこそ自分の手で再び害を加えることで歓心を得ようというのだろう。
「ああー、おかしい。色ボケ王子も、こういう時には役立つわね」
けたけたと、バーバラは笑う。
考えてみれば、テレーゼを糾弾した時もそうだった。
レティシアとの件を暴露したところ、王子は面白いほどに激怒した。
結果的にテレーゼを王都からそして公爵家から追放することまでやってのけた。
第三王位継承者とはいえ一国の王子が、軽々しくも。
「おめでとうございます、お嬢様」
獅子のようなたてがみを生やした執事、カントルが恭しく頭を下げてくる。
「これでお嬢様の宿願もかないますな。王子殿下の力を借りて、憎きテレーゼを今度こそ決定的に打ち負かし……」
「そうよそうよ、そうなのよ。ねえ、だって一度は追放になった身なんだものっ。それがあなた、まかり間違っても幸せに暮らすなんてことがあっていいわけないじゃないっ。よくて貧民、悪くて奴隷。それがあなた、多くの人の称賛を受けるなんてことがあっていいわけないじゃないっ。それじゃあまるで、今まで日陰の身に甘んじてきたわたくしがバカみたいじゃないっ。ねえっ、わかるっ?」
「はい、仰せの通りでございます」
「今度こそわたくしの番なのよっ。バルテル公爵家の令嬢として、平民どもの羨望の眼差しを受けるのは、このわたくしでなければならないのよっ。あんな下品な女ではなくっ」
「……」
カントルがわずかにいたましい顔をするのに、バーバラは気づかない。
充血した目を大きく見開いて、ひたすら狂的な哄笑を上げ続ける。
姉としてのテレーゼがいかに醜悪であったか、妹しての自分がどれほどの被害を被ったかを述べ立てる。
その中には事実もあったが、目を覆いたくなるような捏造もあった。
そう、この頃になるとバーバラはすでに壊れていたのだ。
一般庶民にまで落ちたテレーゼがクロードと上手くやっているのに、公爵家の令嬢である自分は相手にもされない。
理想と現実のバランスが崩れ、精神の平衡を保てなくっていたのだ。
ギザギザになるほど爪を噛み、口の端から泡が垂れ流れても気づかないほどに。
「さあ、そうと決まれば善は急げよ。あなたたち、王子を迎える準備を整えなさい。宿の手配と、テレーゼをぶちのめす舞台の手配と……ええとあなた、なんという名前だったかしら?」
部屋の片隅にうずくまるゲイルに、バーバラは目をやった。
ゲイルは──
ゲイルは、顔を真っ赤に腫らしていた。
目には青タン、着衣は乱れ、なんともひどい見た目になっていた。
すべてはバーバラが、カントルたちに命じてやらせたことだった。
テレーゼを追い落とす作戦の不備を、腹立ちまぎれにぶつけた結果だったが……。
「そう、ゲイル。ゲイルだったわよね? ごめんなさいね? わたくしどうも、下々の者の名前を覚えるのが苦手で……」
「……」
「まあいいわ。そんなことよりゲイル、あなたも早く作戦を考えなさいな。王子殿下が来るにあたっての、テレーゼを追い落とすための絶好の舞台を用意しなさいな。あなたみたいな卑しい豚がこのわたくしの役に立てる、それが唯一のことなんだから」
「……ならば少々、軍資金を用意していただけますでしょうか」
腫れあがったまぶたの下から、ゲイルがバーバラを見つめてくる。
「軍資金? お金が欲しいっていうわけ? 卑しい豚が、このわたくしからお金をせしめようっていうわけ?」
バーバラが舌打ちして苛立った様子を見せても、ゲイルは一歩も退かなかった。
陰気で小心者の普段の彼とは明らかに違う据わった目を、構わずバーバラに向けて来た。
その目には、彼がテレーゼへ向けるのと同じ光がある。
嫉妬、怨恨。憎き女をこの世で最も辛い目に遭わせてやろうという、鈍色の光が宿っている。
だがバーバラは気づかない。
彼女も、カントルたちも。
ゲイルの考える作戦の恐ろしさに、まだ気づいていない。
「わかったわ。でも覚悟するのよ? もし今度の作戦に失敗するようなことがあったら、絶対に容赦しないから。翌日には路地裏で冷たい死を迎えることになる、それぐらいの覚悟をしておきなさい」
「……はい、お嬢様。ならばわたしにお任せください。憎きテレーゼにひと泡ふかす、良い計画がございます」
口元をニタリと歪ませながら、ゲイルが述べた作戦とは──
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