「見てみたかったな」
空間そのものが爆発したかのような、凄まじい歓喜が吹き荒れた。
拍手に口笛、足踏み、笑顔と涙。
三階建ての下から上までびっしりと詰め掛けた二千人の観客が、思い思いの方法で賞賛を叫んでいる。
──素晴らしい! 凄まじい!
──ブラヴォーだ! 鬼気迫るような演奏だった!
──なんてことなの!? 信じられない!
──他の演奏者のそれが児戯のようだ!
──陰鬱な第一楽章、わずかな希望に満ちた第二楽章、それらをすべて逆用した嵐の第三楽章……なんたる巧みな構成だ! あれは自作!? だとしたら彼女は今世紀最高の作曲家でありピアノ弾きだぞ!
──彼女の名前はなんだ……テレーゼ!? 明日には彼女の名前をグラーツ中の音楽愛好家たちが知ることになるだろう!
──素敵! そこにただいるだけでも一流の絵画のようなたたずまいがあるわ! わたくし、あの方のファンになってしまいました!
──ママー! ママー!
演奏、楽曲、構成、見た目。……最後のはカーミラだろう。
とにかく老若男女があらゆる語彙を駆使してわたしのことを褒めてくれた。
多くは一般庶民だったが、中には明らかに他校の生徒だったり先生だったり、新聞記者や音楽評論家やお忍びで来た王族貴族などという人たちも混じっていたが、そんなことはお構いなしに褒めてくれた。
身分も立場も関係ない。
音楽にウソをつかず、感性に正直に。
心からの賞賛が空気を震わせるのを、わたしは肌で感じた。
へっへーん、どんなもんだい。
とか言っていつもならピースサインをかましているところだが、今日は一応学校の代表だ。
先生たちの顔を立てる意味でも、ここはお嬢様らしく振る舞うべきだろう。
「ありがとうございます。お褒めにあずかり、恐縮です」
それっぽいことを言いながら、優雅に一礼。
にこり上品に笑みながら、観客席を見渡した。
すると再び、歓喜の嵐が吹き荒れた。
先ほどのそれと比較しても、まったく劣ることのない嵐が。
最上の音楽を聴いて、最高の時間を過ごした人々の笑顔がそこここで弾けている。
それは何より嬉しく、また励みになることだった。
「……お嬢様。そろそろこちらへ」
気を利かせたクロードが、わたしをエスコートしてくれた。
美しいしぐさで、ステージ袖へ降りるよう促してくれた。
「ありがと、クロード」
お嬢様らしく澄まし笑顔で礼を述べると、わたしはそのまま静々とステージ袖へと降りて行った。
降りた先は関係者通路。
係員や付き人、演奏に携わる者しか入れない空間だ。
「ね、どうだった? わたしの演奏」
わたしが聞くと、クロードは優雅に一礼。
胸に手を当て賛辞を述べた。
「もちろん、最高でございました。音楽の極地とでも言いましょうか、ある種の到達点に達しているかのような……」
「はいはい、ありがとね。ま、クロードならそう言うよね。主人への忖度乙ー」
「そ、忖度などではございません。これは心の底からの、純粋な……っ」
「ごめんごめん、わかってるってば。ただちょっと、からかっただけ」
ムキになって言うクロードに、わたしはひらひら手を振った。
「お世辞じゃないのはもうわかってるよ。いつだってクロードはわたしのことを大切に、何より大事にしてくれるし。真面目だし、ウソなんてついたりしないし。だから本気でそう思ってるんだなってのもわかってるよ」
ある意味狂信的というか。
「それにさ、今日の出来栄えに関してはホント、自信があるんだ。楽曲、構成、演奏。全部ハマった。きちっと弾けた。今までに演奏してきた中でも、ちょっと覚えていないぐらいのものだった」
音大時代にだってここまでノレたことはないかもしれない。
それぐらいの出来だった。
「優勝は間違いないよ。100点満点とれなかったら苦情を言ってもいいぐらい。ホントに今日は、上手くいった」
わたしは自分の手をしげしげと眺めた。
「……」
シミひとつない綺麗な肌。瑞々しく若々しい肉体。
一方で、肘から下にはお嬢様にあるまじき筋肉がついている。
橈骨周辺や手の甲、手の側面が明らかに常人とは違う形に盛り上がっている。
指先は硬く、堅牢な城塞を思わせるタコが出来ている。
「……」
これでもまだ、前世のそれには及ばない。
指運びも手首の返しも、全盛期のそれには及ばない。
にも拘らず、今日は最高の演奏が出来た。
「……」
それはどうしてなのだろうと考えた。
明らかに昔の方が演奏家向きの環境で暮らしていたのに。
空調に湿度、起床に就寝、食べ物までも管理されて生きていたのに。
まったく縛りの無い今になって、どうして……。
「どうして……わたしは……」
こんなにも猛烈な勢いで上手くなっているのだろう。
自分はいったい、どこへと向かっているのだろう。
自分のことなのに、怖く感じた。
ブレーキの効かないトラックに乗っているような、比喩でなくそんなレベルで。
「…………なーんてっ。まあ、今はいいか」
さすがにひとりで盛り上がりすぎただろうか。
中二病罹患者になった気分で、わたしは自分をひどく恥じた。大きくかぶりを振った。
そうだよ、上手くなることそれ自体は問題ないじゃんか。
考えすぎだ考えすぎ。
「それより今はリリゼットだよね。ねえクロード、リリゼットは何か言ってた? 演奏が終わったらみんなが立ち上がっちゃって、姿が見えなくなっちゃったから。ちゃんと聴いててくれたよね?」
「リリゼット様は、先にお帰りになられました」
「あ~…………うん、そう? そうか、そうなんだ……?」
クロードの返答に、わたしはちょっと虚をつかれた。
ちょっと寂しいというか、さすがに最後まで聴いてくれなかったってことはないと思うんだけど……。
それだとさすがに徒労がすぎるし……。
「ご安心ください。お嬢様。リリゼット様は、最後まで聴いておられました。演奏が終わると、すぐさま席を立たれました。そしてとても……ええ、今でも覚えております。まざまざと」
わたしの杞憂を打ち消すかのように、クロードは言った。
唇をわずかに歪ませた、珍しいドヤ顔で。
「リリゼット様は、とてもいい顔をされていました」
「いい顔? へえ~、そっか、そうなんだ?」
クロードにしては珍しいユーモアに、わたしは笑った。
そしてすぐに理解した。
わたしの演奏は、リリゼットに届いたんだ。
彼女の胸を射抜き、たしかなダメージを与えたんだ。
しかもおそらくは、ダメージを与えると共にある種の発奮作用を促したんだ。
「それは是非、見てみたかったなあ~」
狙い通りの結果に、イヒヒといやらしく笑っているところへ、ハンネスたちがやって来た。
手を振り、満面に笑みを浮かべながら、最終結果を教えてくれた。
結果は……えっへっへ、言うまでもないでしょ?
そうさ、わたしは前人未到の大記録を打ち立てたんだ。
次回はリリゼット視点のお話です。
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