「嵐との戦い方」
ハンネスがプレゼントをくれた。これからも二台四手を組んで欲しいと言ってくれた。
振り返ってみればウィルもまたプレゼントをくれ、これからも四手連弾を組もうと約束している。
「やあー、困っちゃったね。わたしってばモテてモテて、第二の人生最高ーっなんて言っちゃったりして。えっへへへ……」
ステージへと続く通路を歩みながら、わたしはつぶやいた。
自分で言って、自分で照れてた。
もちろん冗談だ。
ふたりとの関係はあくまで相方としてのものであって、恋人がどうとかいうことじゃない。
どっちも美少年だし性格的にも最高だし、そういう関係になれたら最高なんだけど、何せほら、こちとら悪役令嬢テレーゼで、中身は36歳喪女だから。
「でもまあー、夢見るのは勝手だからね。えっへへへへ……」
頭をかきながら、わたしはひとり歩いていた。
胸の中に、じんわりと熱いものがある。
ポカポカと全身の血液を温めるような何かがある。
暗闇を照らす灯火のようなそれは、ふたりがくれた熱だ。
ふたりがわたしの音楽性を評価してくれた、音楽観に共感してくれた。
人間性の問題も大目に見てくれて、これからも弾きたいと、一緒にいたいと望んでくれた。
こんなわたしに、こんなわたしと。
「嬉しいなあ~、ホント、嬉しいや……」
誰かが味方してくれる。誰かが評価し、見ていてくれる。
ステージ上では常にひとりのピアノ弾きにとって、それはこれ以上ないほどに励みになることなんだ。
満場の観客と審査員、厳しい目を光らせる彼ら/彼女らに立ち向かうための力になることなんだ。
だからわたしは嬉しくて……。
「ピアノを弾いて来て、ホントに良かったなあ……」
何度も何度もつぶやいた。
喜びを噛みしめながら、ステージへ続く階段を上がった。
ステージに上がると、どっと歓声が沸き上がった。
さっきの二台四手を評価してくれたのだろう、みんなが期待の目をわたしに向けて来る。
次はどんな曲を弾くんだ?
前のより素晴らしい曲を聴かせてくれるのか?
視線とざわめきが、凄まじいプレッシャーとなって襲いかかって来る。
中には見知ってる顔も多くあった。
膝の上で拳を握っているハンネスと、その脇に佇立するエマさん。
他人事なのにガチガチに緊張しているウィルと、そんなウィルに何ごとかツッコミを入れているアンナ。
わたしの顔を書いた団扇を振っているカーミラと、その隣で恥ずかしそうに顔を手で覆っているエメリッヒ先生。
ジルベールの腕にしがみつくようにしながら恍惚とした表情を浮かべているハーティア。
あくまで生真面目な顔でわたしを見つめるクロードと、その隣にいるリリゼットは……。
「……えっへっへ、い~い顔してるじゃない」
リリゼットは挑むような目でこちらを見ていた。
沈みこむように深く座席に座り、肘掛けを掴みながら、ギリギリと奥歯を噛みしめているのがよくわかる。
その目はまさに、敵を見る目だ。
この視線で怨敵を刺し貫かん、そういう瞳だ。
「そうよね。そう来なくっちゃ。わたしのライバルになろうっていうんなら、それぐらいの目はしてもらわないと。良い演奏を聴きたいとかじゃなくて、楽しもうとかじゃなくて、生ぬるい演奏したらぶっ飛ばすぐらいの気合いを見せてくれないと」
ピアノの前に座ると、わたしは軽く伸びをした。
手指を組み合わせストレッチをすると、すっと背筋を伸ばした。
ザワめきに満ちていた観客席は、一瞬で静寂に包まれた。
しわぶきひとつ聞こえない、完全なる無音。
観客の、友達の、ライバルの視線がチリチリと肌を刺す。
大きなコンテスト特有のプレッシャーが、ギシギシと重く圧し掛かる。
上手く弾けなかったらどうしよう。
この下手くそめと、物を投げつけられたらどうしよう。
失敗したら、敗北したら、罵倒されたら、嘲弄されたら。
あらゆる種類の恐怖が四方から、嵐のように襲いかかって来る。
「……やっぱり怖いよね。この瞬間だけは、ホントに怖い。怖くて怖くて死にそうになる。……でもね、リリゼット。どんなに怖くてもさ、ひとりでないなら救いはあるんだよ」
わたしはそっとつぶやいた。
満員の観客にではなくただひとり、リリゼットに向けてつぶやいた。
「たとえ負けても、誰かが慰めてくれるから。『今日はダメだったけど次がある』とか、『おまえなら大丈夫』とか、『俺はいいと思ったよ、審査員がわかってないよ』とか。そんな言葉をかけて支えてくれるから。でもさ、あなたの選んだ道では、そんな言葉は決してかけて貰えないんだよ」
失敗してもひとり、誰の慰めも得られない。
わたしとの距離がどれほどあるかわからないまま、延々と己を高め続ける以外に方法がない。
怖いはずだ、恐ろしいはずだ。
でもリリゼットは、その道を選んだんだ。
ピアノ弾きとしての誇りをかけて、孤独な戦いをすることを選んだんだ。
ならばこちらも、本気で応えなければならないだろう。
渾身の言葉でもって、音楽という会話でもって、リリゼットと対峙しなければならないだろう。
「だからさ、教えてあげる。ひとりでも出来る、嵐との戦い方を」
わたしはすうと息を吸い込み、吐き出した。
同時に鍵盤に手を伸ばした。
「さあ聴きなさい、リリゼット。これがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作『ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2テンペスト』よ」
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