「『二台のピアノのためのソナタ④』」
ほとんど絶叫するような、ハンネスの超速弾き。
わたしのそれと合わせて綺麗なユニゾンが完成すると、観客席から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
笑顔がそこここで弾け、口笛が吹き鳴らされた。
「オーケイオーケイ、いいーじゃない」
バチコーンとばかりにウインクすると、ハンネスは「あはは、まあなんとかね……」とげっそりした顔で答えて来た。
休む暇もなく、お次は第二楽章──アンダンテ《歩くような速さで》。
軽快かつインパクトの強かった第一楽章とは異なるスローテンポな構成だ。
水辺で小鳥が戯れるような可愛らしいイメージだが、ゆっくり目の曲が苦手なハンネスには難しいところ。
「……お、意外とそうでもない?」
顔を思い切り引きつらせながら、しかしハンネスはきっちり弾きこなしている。
双子と戦った時とは全然違い、ぎこちなさがほとんどない。
「うんうん、練習の成果だねえ~」
わたしは心の底からハンネスを褒め称えた。
「頑張ったねえ、偉いよ、偉い」
ピアノの音にかき消されて聞こえはしないだろうが、わたしの無茶ぶりに頑張ってくれたハンネスへの、労いの言葉を口にした。
そして始まるのは第三楽章──モルト・アレグロ。
終楽章に突入すると、曲は猛烈にテンポアップした。
今までのハンネスだったら開幕から必死というところだったが、今のハンネスは違う。
まだ余裕があるというか、もうちょい上げても大丈夫に見える。
「えへへ……もうゆっくり目の曲じゃないしさ。ねえ、ハンネス? もう一段階上げてもいいかなあ~……?」
チラリとハンネスを見やると、どうやらわたしの思惑に気づいているのだろう額に冷や汗を浮かべ、口元に苦笑いを浮かべている。
──……い、いいけど、お手柔らかにね?
パクパクと動いた唇は、たぶんそんなことを言っているに違いない。
「よおーっし、言質を取ったっと♪」
瞬間、わたしは拳をぐっと握った、ぱっと開いた。
鍵盤に向かって身を傾けると、一気に音圧を上げた。
ギャロップする馬のような勢いで、第一奏者の背中を第二奏者が押すように走り出した。
もういいかげんにわたしたちの関係性がわかってきたのだろう、ギアをチェンジした瞬間に観客席からわっと歓声が上がった。
楽しそうな目、胸の前で合わせた手、みんなが楽しんで聴いてくれているのがよくわかる。
そしてリリゼットは──
リリゼットはわたしを見ていた。
唇を噛み、拳をきつく握り絞めながら悔しそうにしていた。
そうだ、この曲は最初はリリゼットと弾く予定のものだったのだ。
それが双子とのいざこざで流れてハンネスと組むことになったのだ。
その結果自体に問題はない。
ハンネスはおかげで壁を超えることが出来たし、こうして現在進行形で成長し続けている。
だけどホントは、リリゼットだって弾きたかったのではないだろうか。
他ならぬこのわたしと、二台四手というニッチな演奏形態の中でしか味わえない黄金のマリアージュを味わいたかったのではないだろうか。
もちろんわたしへの恐れはあるだろう、わたしの感性や技術とぶつかり競い合うことへの恐れはあるだろう。
それは彼女のプライドを傷つけることにも繋がるから。
だけど──
だけどさ──
ねえ、見てよ──
「こんなに楽しい時間を味わえないなんて、そんな人生、つまんないでしょ──」
わたしは笑った。
笑いながら疾走した。
フィナーレへ向けて陽気に華やかに、時にハンネスをからかうようにしながら。
正直けっこう、無茶ぶりだったと思う。
目覚めて間もないハンネスにとっては、なんの用意も無しにフルマラソンを走るぐらいの難題だったと思う。
だが、これにもハンネスはついて来た。
顔を真っ赤にしながら指を走らせ、なんとか振り落とされまいと必死にしがみついて来る。
「……へっへっへ。やるじゃん、ハンネス」
わたしは思わず相好を崩した。
ハンネスの成長が嬉しくて、しかたがなかった。
たった数ヶ月で、彼は変わった。
天才モーツァルトが唯一完成させた二台四手で、劇的に。
アウエルンハンマー嬢との火花を散らすような駆け引きがカッコイイこの曲を通して、彼は成長した。見違えるようにたくましくなった。
この結果を、リリゼットはどう考えるだろう。
ただ凄い、で終わるのか。
それとも悔しがり、バネに出来るのか。
ピアノ弾きの成長という100%完璧な答えの存在しない問題を、どう受け止めるのか。
「ハンネス、もう少しだよっ。頑張ってっ」
曲はすでに最終盤に突入している。
目まぐるしい速弾きの応酬の中、ハンネスの顎からは大粒の汗が滴り落ちている。
「これが終わったら倒れていいからっ、そしたらわたしが優しく抱き起こしてあげるからっ。だから頑張れっ」
前回弾いた時は、曲が終わると同時に倒れたハンネス。
だけど今回は粘った。最後まで弾き切り、なおも倒れなかった。
前回よりも鋭い感性で、前回よりも安定した指運びで、第一奏者の役割を完璧に果たした。
ふたり同時に手を挙げると、会場中が爆発的な歓声に包まれた──
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