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「『二台のピアノのためのソナタ③』」

 ~~~ハンネス視点~~~ 




「「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作『二台のピアノ・ソナタ ニ長調 K.448 (375a)』」」


 異口同音でつぶやくと、ふたりは同時に鍵盤に手を伸ばした。


 第一楽章を、アレグロ・コ(活き活き)ン・スピーリト(と速く)を。 

 愛嬌たっぷりの明るい序奏を、まずは、第一奏者プリモであるハンネスが遊ぶように奏でていく。


 ──わあ、すごい、可愛いっ。

 ──くるくる回ってるみたい、なんて気分のよい曲なのかしら。


 わっと歓声を上げる聴衆をよそに、盛り上がる会場をよそに、ハンネスは苦しんでいた。

 冷たい汗を流しながら、鍵盤に向かっていた。


 といって、難しいから苦労しているというわけではない。

 何せここ数か月の間、こればかりを弾いて来たのだ。

 弾くこと自体はもう慣れた。

 ペダルの強弱も装飾音符の入れ方も、指運びにだって苦労はない。

 だけど……。


(うう……苦手なんだよなあ、この明るい感じ。競い合う感じも合ってないし、それに何より、僕みたいな地味なタイプは天才の背中を追うのがお似合いというか……)


 曲調が合わない。

 いつもの第二奏者セコンドではなく第一奏者プリモとして二台四手にだいよんしゅの先を行くのが性に合わない。

 言うならばそういうことなのだが、当然そんな弱音を許してくれるテレーゼではない。


(うわあ……ものすごい目をキラキラさせてるよ。テレーゼはいったい僕に何を求めてるの?)


 顔を上げると、対角に彼女がいる。

 頬を染め、口元を緩めたテレーゼが、これ以上ないわくわく顔をこちらに向けてくる。

 

(……なーんてね、わかってますよ。キャラだとかキャラじゃないとか、そんなの関係ないって言うんでしょ? ピアノ弾きなら曲のり好みなんかするなっていうんでしょ? ホントにテレーゼは、可愛いお嬢様な見た目に反して、ものすごく体育会系なんだから)


 テレーゼの思惑はわかっている。

 リリゼットに自分たちの演奏を聴かせ、思い知らせようとしているのだ。

 音楽の高みを見せつけて、リリゼットを発奮はっぷんさせようとしているのだ。

 だからこそ、ハンネスに中途半端な演奏は許されない。

 自分もまた、その高みを構成する一員だから。


(でもさあ、わかってる? そういうの、テレーゼには可能でも僕みたいな凡才にはさ……ああ、はいはい。わかったよ。わかったから、そんな目で見るのやめてよね)


 キラキラ、キラキラ。

 テレーゼは子供みたいに目を輝かせている。

 ハンネスになら出来ると、まったく疑っていない。

 その信頼は嬉しくもあり、この上ないプレッシャーでもあり……。 


(やるよ、やりますよ。そこまで言われちゃしょうがない。好きな子にそこまで求められたら、どうあれやるしか他にないでしょう) 


 ぐっと拳を握り、ぱっと開くと、ハンネスは鋭く息を吐き出した。

 鍵盤の上を左から右へ、低音から高音へ、渡るように両手を走らた。

 音の波を起こすように、歌うように。


 ──プリモの音、変わった?

 ──うん、急に、華やかに……。

 ──あの少年、なんだか素敵ね。 

 

 観客席の女性たちが、うっとりと頬を染めながらこちらを見ている。

 その中には、ハンネスを異性として好ましく捉える目も多くある、

 

 しかしハンネスはそんなことには気づかず、音楽の世界に入り込んでいく。

 自分とテレーゼ以外の人間がこの世にいないように感じるほどに、どっぷりと没入していく。


(弾けっ、弾けっ、弾けっ。活き活きと速く弾けっ。自信たっぷりに弾けっ。そうだ、今日の僕はいつもの僕とは違うんだっ)  

 

 ハンネスが頭に思い描くのは、理想の自分だ。

 背が高くて美形で、何があっても揺るがない魂の持ち主。

 テレーゼの隣にいても色褪せないピアノの達人。


(もちろんウソだ。そんなのウソ。現実の僕は背が低くて顔も良くない、ピアノの腕だってそこそこ。でも、精神性は音楽性に反映されるんだっ。紡ぎ出される音に表れるんだっ。だったら僕は……それを信じる……っ)


 理想の自分になったと、なることが出来たと。

 強固に思い込むと、ハンネスは鍵盤に向かった。

 88個の白と黒に、指を落とした。


(僕は変わった、僕は変わった、僕は変わったんだっ。さあ、行くぞ──っ)


 持たない側の人間である時間の長かったハンネスにとって、この数か月は夢のような時間だった。


 好きな人が出来て、その人の傍にいることが出来て、こうしてデュオを組むことすら出来ている。

 その人が自分を相棒と呼んでくれて、気持ち悪がらずに肩を組んだり抱きしめたりしてくれる。


 今日でデュオは終わりだが、終わりにさせたくない。

 もっとずっと長い間、一緒に弾いて欲しい。

 出来れば、一生。

 そしてそのためには、彼女の完璧なパートナーになるしかない。

 

(テレーゼの意志を感じ取れっ。どうしたいのかを視線から、息遣いから感じるんだっ)


 ハンネスは神経を研ぎ澄ました。

 第一奏者プリモとして先頭に立って走りながら、コンマ数秒後ろからついて来るテレーゼの指運びに、そこから紡ぎ出される音に、それらを聞き逃すことがないように、即応出来るようにと。


 求められるのはリリゼットに見せつけるような演奏だ。

 音楽の素晴らしさと高みを同時に見せつけるような、最高の演奏だ。

 それをテレーゼは、一体どういう形で表現する……っ?


(くっ……重い……っ?)


 第一楽章名物の、数度に渡るユニゾン部。

 その途中で、テレーゼの紡ぐ音圧がググッと上がって来た。

 それまでハンネスを支えるようだったのが、突然主張を始めた。

 

(これをキープするっていうの……っ? 冗談……っ!)


 ハンネスは内心、悲鳴を上げた。

 だが、自分は第一奏者プリモだ。二台四手の先陣を切る役割だ。

 第二奏者セコンドに押しのけられれば曲が壊れる。

 そうなってしまえば、演奏はおしまい──


(こんなの暴走じゃ……ああわかったよ。やるよ、やればいいんでしょっ!?)


 悲鳴を上げつつも、ハンネスは踏みとどまった。

 指先に込める力を倍に上げ、手首の返しのテンポを上げ、必死に食らいついて行く。


(こ・れ・で・どうだああああーっ!)


 内心で絶叫しながら、ハンネスは第一楽章最後の速弾きの応酬を乗り切った。

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