「まだ二回残している」
~~~リリゼット視点~~~
音楽院への入学を薦めておいて、自分のほうが先に辞める。
しかも後々しこりの残りそうな捨て台詞まで置いて去る。
実に実に、勝手なことをしたものだと思う。
何を考えてるのよあんたはと、キレられてもしかたない。
だがリリゼットは、後悔していなかった。
というよりは、そうするしかなかったのだ。
和気あいあいとやっていくにはテレーゼは天才すぎて、自分はプライドが高すぎたから。
だけど、意味なくプライドが高いわけではないと思っている。
周囲のピアノ弾きたちを見る限り、自分の才能は悲観するほど低くない。
例えテレーゼにだって、死に物狂いで努力を重ねれば追いつける……そう思いたい、信じたい。
「……とはいえ、しばらくは聴かないでいたかったんだけどね。こっちにも心の準備ってものがあるわけで」
観客席中央の、最も音がよく聴こえる招待席に腰掛けながら、リリゼットはちらりと隣に目を向けた。
そこには珍しくもクロードが座っている。
いつもはステージ袖で直立不動で聴いている執事だが、今日はリリゼットが逃げ出さないように見張っているのだろうか?
「普通、傷心のわたしにご自慢の演奏を聴かせたりする? ねえ、あなたたち主従って、容赦とか情緒とかいう言葉をどこかに置き忘れて来たんじゃないの?」
目を細めて煽るように言うが、クロードは涼しい顔。
「お嬢様はこう言っておられました。リリゼット様はその程度で挫けるような方ではないと。むしろ適度に痛めつけて反発心を刺激した方が良くなるタイプだと」
「………………ふん、わかってんじゃない」
身内よりも自分を理解しているかもしれない発言に、リリゼットは面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
たしかにその通りだ。自分は逆境であればあるほど燃えるタイプ。
今回は敵が強すぎるのでこうしてヒネているが、本来であれば敵が強ければ強いほど楽しい。
その方が倒し甲斐があるからだ。
「……しかし正直、素直について来ていただけてよかったです。もし抵抗されるようでしたら、実力行使も辞さない覚悟でしたので」
クロードがぽつりと言った。
「実力行使ってあなた……そんな乱暴な……」
あまりに不遜な発言に、さすがにムッとしてにらみつけると……。
「わたしはお嬢様の執事です。お嬢様を傷つける者を、絶対に許すことはありません」
相手が都下有数の海運商のご令嬢だろうと容赦はせぬぞとばかりの、ゾッとするような低い声でクロードは言った。
「わ……悪かったわよ。あんなに泣くなんて思わなかったから……っ」
「お嬢様はとても繊細で、感情豊かな方なのです。おわかりいただけましたか?」
「わかったって、わかったからその目やめてよっ。闇の世界の殺し屋みたいになってるじゃないっ。はいごめんなさいっ、ごめんなさいっ。これでいいっ?」
さすがに怖くなってきたので、リリゼットは必死に謝った。
クロードの戦闘力はおそろしく高い。ツキカゲとコウゲツどころか、家中の執事をかき集めてもリリゼットを守ることは出来ないだろう。
「……ゴホン。しかしけっこう、期待感あるみたいね」
リリゼットは咳払いして誤魔化すと、周囲を見渡した。
二台四手はすでに3組が演奏を終えている。
2000人にも及ぶ聴衆は、トリとなったテレーゼ・ハンネス組の登場を今や遅しと待ち構えているところだ。
──ねえねえ、楽しみよね? 噂のテレーゼちゃんっ。
──ええ、ええ、何せあのジルベール様を倒したほどの演奏だもの。
最近グラーツを騒がせている女子奏者の登場を心待ちにする声が、方々から聞こえて来る。
ステージ袖からテレーゼとハンネスが姿を現すと、その声はますます音量を増した。
それぞれの担当するピアノに向かって歩くにつれ、まさに怒涛のような勢いになり……。
「……あれ?」
左右対称に配置されたグランドピアノ。
向かって左が第一奏者で、右が第二奏者。
テレーゼが左に座って先に弾き、ハンネスが右に座ってそれを支えるという、ふたりの特性を生かしたパート分けをしていたはずだが……。
「どうして……? なんでよ……?」
リリゼットは思わず、身を乗り出した。
「テレーゼがセコンド? じゃあハンネスがプリモ? 前回と逆じゃ……?」
ふたりのパート分けを知って驚いたのだろう、聴衆の一部もまたざわめき始めた。
困惑と、それに倍する期待感と。
会場内には今にも破裂しそうな緊張感が満ち満ちている。
すると──
「このタイミングで言うよう指示されておりました。お嬢様からのお言伝があります」
クロードはゴホンと咳払いした上で始めた。
「『ほーっほっほ、リリゼット君。わたしは変身するたびにパワーが上がる。その変身を、まだ二回も残しています。ねえ、この意味がわかりますか?』と」
何かの演劇に影響を受けたのだろうか、道化じみた言い回しをしたのが恥ずかしかったのだろう、頬を赤く染めるクロード。
どこか間の抜けた空気を、しかしリリゼットは笑わなかった。笑えなかった。
「さらにパワーが増す……? まだ二回……二段階も強くなるってこと?」
セリフの意味を考えリリゼットが背筋を粟立てさせたその瞬間、二台四手は始まった──
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