「わたしに出来ること」
脳内裁判で無罪を勝ち取ることに成功した(?)わたしだが、それによって綺麗さっぱり忘れるというところまではいかなかった。
以前としてあの日の思い出は胸に残り、クロードの抱き心地や息遣いを思い出しては頬を熱くさせていた。
クロードの方はなかなかのポーカーフェイスぶりだったが、時おりらしくもなくつまずいたり物を落としたりしていたので、それなりに意識しているのではないだろうか。
どちらの方面へ?
どういった意味で?
それはまだわからない。
ちょっと前に起こった『例の件』もあるし、それはなおさら測りがたい。
幸いというべきか、そのことに頭を割いている余裕はなかった。
何せ四校対抗戦は三日後であり、リリゼットの狙い通りにわたしは二台四手とピアノソロの部の二部門の代表選手に選出されたからだ。
前代未聞の事態だけに、周囲の視線は色濃かった。
わたしとリリゼットの諍いや、失脚工作というものまで疑われていた。
バーバラはここぞとばかりに張り切って、わたしへの誹謗中傷を行っていた(悪意のこもったビラまで配っていた)。
正直ムカつくが、そんなことに関わり合っている暇はなかった。
わたしは慌てて選曲し、個人練習とハンネスとふたりでの練習を行い、衣装合わせなども行い、そうこうするうち瞬く間に三日は過ぎた。
そして四校対抗戦の当日。秋晴れの澄み切った空の下。
舞台は中央区、都庁の傍にドドンと聳える音楽堂だ──
本番直前。
わたしは控室で、ひとり鏡台の前に座っていた。
今日の衣装はジングライヒ社のご厚意により買っていただいた、裾を引きずるようなロングドレスだ。
深い青色で、ラメがキラキラしている。夜空に輝く星々か、はたまた海中にゆらめく夜光虫かという感じで、とても綺麗な一着。
メイクさんに手伝ってもらって化粧も完璧。普段はしない三つ編みハーフアップのおかげもあって、いつもよりも清楚な感じというか大人っぽい感じというか、我ながら見惚れてしまうぐらい。
「んん~、綺麗だぜテレーゼぇ~(鼻にかかった声)。君の輝きの前では夜空の星も色を失うだろうぅ~(鼻にかかった声)」
謎のナルシストイケメンの真似などをしていると、控室のドアがトントンとノックされた。
「ごほんえほんおっほーんっ。はい開いてるよっ。開いてますよーっ」
慌てて咳払いなどをして誤魔化すと……。
「あれ? テレーゼひとり? なんか話し声がしてたような……?」
髪をワックスで固め、燕尾服をピシッと着こなしたハンネスが、キョロキョロ不思議そうに辺りを見渡した。
「誰もいないね……おかしいな」
「あ、あははははーっ。ええとね、ええとね、今のはちょっと発声練習というか」
「発声練習? ピアノを弾くのに?」
「そうそうそう、弾くのはピアノなんだけど、こういうのって全身のバランスが大事というかっ、筋肉を満遍なく動かすことによって凝りをほぐすというかっ」
「なるほど、そういうのもあるのか。さすがはテレーゼ」
「うん、そうなのそうなの。ハンネスもやってみる? あ・あ・あ・あ・あ~♪」
ハンネスがいい方に勘違いしているのを幸いと、なんちゃってオペラみたいなのを歌って誤魔化していると……。
「んー、それもいいんだけど、もうすぐ時間だから。前の学校の演奏がもうすぐ終わるとこだから」
「あ、そうなんだ。じゃあ次はわたしらの番なんだ」
前の三校の二台四手が終わって、いよいよ次はわたしとハンネスの出番らしい。
「ちなみに直前の組ってどんな感じだった? たしか北部のキールベルク音楽院だっけ?」
「うん、そう。アラベスとギルの男子二人組。どっちも18歳。北部らしい、いかにも堅牢って感じの演奏だったよ」
「ほうほう、なるほどね」
ちなみにグラーツは、東西南北で好みの音楽性が分かれている。
北に行けば行くほど堅牢になり、南に行けば行くほど自由になる。
わたしたちが位置する東西は、その中間のバランスタイプ。
「ちなみにテレーゼ。客席にリリゼットが来てるけど……」
わたしとリリゼットの関係性を配慮してだろう、ハンネスは声のトーンを一段落とした。
「ホント? 良かった、クロードに頼んで連れて来てもらったんだあー。あのコ、最初は来ないって言い張ってたから。でもうそうかあー、来てくれたかあー。よーしよしよし。やる気が出てきたぞおーっ」
「……テレーゼ、あのさ?」
ぽきぽきと指を鳴らすわたしに、ハンネスがおそるおそるという風に聞いてきた。
「絶対ないと思うけど……わざと下手に弾いたりしないよね?」
「わたしが? 下手に弾くってのは手を抜くってこと? なんで?」
思ってもみなかった質問に、わたしは首を傾げる。
「だってさ、リリゼット、言ってたんでしょ? 練習して、上手くなって、いつかテレーゼのライバルとして再び現れるんだって。だったら一番手っ取り早いのは、そのハードルを下げることじゃない。その方が戻って来やすくなるじゃない」
「なるほど……それは思いつかなかった」
わたしが下手になれば、その分リリゼットのハードルが下がる。戻って来やすくなる。
たしかに理屈としては正しい。正しいのだが……。
「でもま、無しでしょ。そんなのいつまでも騙せるわけないし、バレた時に感じる屈辱のほうが大きそうだし。それに何より、わたしはピアノ弾きなんだもん。いつだって真摯に音楽に向き合うこと。それをやめたら音楽の神様に嫌われちゃうよ。リリゼットにはあくまで自力で戻って来てもらわなきゃ」
ハンネスの杞憂を蹴飛ばすように、わたしはけらけら陽気に笑った。
「うん……うんっ、そうだよねっ?」
いかにもほっとしたようにハンネス。
「もおー、何よハンネス。そんなこと心配してたの? わたしがわざと手を抜くんじゃないかって? あのね、わたしとリリゼットはどちらもピアノ弾きなんだ。誇りを持って自らの音楽を表現し、ぶつかり合う運命にあるんだ。そこから逃げるなんてあり得ないよ」
一度は逃げたわたしだけど……でも、だからこそ決めてるんだ。
もう絶対、逃げたりしないって。どんなに怖くても挑むのをやめたりしないって。
「負けたら悔しいし、屈辱を感じて当然。でもね、だからって戦うのをやめたりしないんだよ」
リリゼットにも同じことを期待してるんだ。
そして、出来れば一緒に音楽道を歩んで行きたい。
どこまでも離れずついて来て欲しい。
「リリゼットはね、ホントに強いコなんだ。屈辱をバネにして成長できる女の子なんだ。だからこそいったんわたしたちの前から離れて、ひとりで修業する道を選んだんだ。苦しいだろうに、寂しいだろうに、それでもなお。そんなリリゼットに対してわたしが出来ること、それはさ……」
だからお願い、這い上がって来て──
もう一度、わたしの前に立って──
「全力で演奏すること。壁として立ちはだかること。ただそれだけなんだよ」
「……っ?」
わたしの言葉に、ハンネスは息を飲んだ。
「す、すごいこと言うね、テレーゼは」
「そう? えへへ……ちょっと体育会系のノリすぎた?」
照れ笑いしていると、扉をノックする音が聞こえて来た。
「坊ちゃま、テレーゼ様。お時間でございます。どうぞ、ステージへお上がり下さい」
いつものように冷静で冷徹な声音で、エマさんが時間を告げた。
「おっと、出番みたいだね。じゃあ行こうか、ハンネス」
ハンネスの肩に手を置くと、わたしは言った。
「相棒よ、今日も思い切りぶちかまそうぜ」
もう片方の手でサムズアップしながら、いつものように。
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