「もう少しこのままで」
~~~クロード視点~~~
リリゼットが四校対抗戦を辞退した。
音楽院を辞め、ひとりピアノの練習に励むことにした。
その決意を翻えさせることが出来なかったと、テレーゼが泣いている。
「うええええ~……っ」
リリゼットを傷つけ続けていたことを、それに気づけなかったことを悔いて、クロードにすがりついて泣いている。
「うああああ~……っ」
身も世も無く泣き崩れる彼女を支えながら、クロードはたまらなくなった。
心が痛み、胸が痛み、居ても立っても居られなくなった。
「お嬢様……」
小さく呼びかけながら、テレーゼの背中に手を回した。
大きな掌で、何度も背中を擦った。
優しく、柔らかく。痛みよ去れと、飛んでいけと。
小さな子供に向かって唱えるおまじないのように、何度も、何度も。
「大丈夫です。お嬢様、大丈夫ですから」
何が大丈夫なのかはわからないが、クロードは繰り返した。
もっと上手い言葉があるはずだと思ったが、人情の機微に疎いクロードにはわからない。
だからひたすら、繰り返した。
(助けてと言われたはいいものの具体的にどうすればいいのか……。リリゼット様は駆逐すべき敵ではなく、わたし如きが声をかけてもお心を翻しはすまい。ならばいったい……? くっ……こんなことになるならば、いっそ人間関係向上のための書籍でも読んでおくべきだったか……)
そんなことを考えたが、今さらだ。
テレーゼは現に目の前で泣いていて、周りに頼れる者は誰もいない。
(とにかく自分がなんとかしなければ……っ。ええい、こうなればダメもとで……っ?)
自分の中にあるありったけの言葉で慰めるしかない。
クロードは意を決すると、思い切って口を開いた。
「お嬢様、まずは問題点を分析しましょう。原点に立ち返り、問題点を洗い出しましょう。ひとつひとつ簡単なところから解決していけば、きっと最終的には大きな問題も解決できるはずです。……いや待てよ? それはお嬢様の心の傷をほじくり返すのと同じか……。うん、やめましょう。問題点の分析は無しです」
「うん……うん?」
「ではこうしましょう。まずはこのこと自体を忘れるんです。他の楽しいことを考え、楽しいことをして、明るい気持ちになりましょう。バルで食事をとるなどはどうでしょう。店主に頼んでお嬢様の大好きな料理と、甘いものと、お酒を出してもらって。興が乗ったらピアノを弾いて。……いや、ピアノはダメだ。うん、やめましょう。バルへ行ったりピアノを弾くというところからまず離れましょう」
「クロードってさ……」
その後もクロードは様々な提案をしたが、どれもこれもがテレーゼを現実と向き合わせるような内容ばかりだった。
そのつどクロードは自らの意見を却下し、最終的には何も出て来なくなってしまった。
「……申し訳ございません、お嬢様。わたしが不甲斐ないばかりに……」
クロードが「くっ……」と悔し気に瞑目すると、テレーゼはしばしの間無言になり──
やがて、くすくすと笑い出した。
「……お嬢様、今、お笑いになりましたか?」
そんなバカなと思ってクロードが目を丸くすると。
「あはははっ、そりゃ笑うよ。こんなおかしいことないもん。クロード、慰めるのが下手すぎるっ、いちいちホントに真面目すぎるっ」
涙を拭いながら、テレーゼは笑っている。
目は赤いままだったが、涙は止まらぬままだったが、たしかに笑っている。
「あははは、あー……面白かった。ありがとね、わたしを慰めようと必死になってくれて。でもごめんね、その必死さがおかしくてさ……あははははっ」
照れくさそうに、くすぐったそうに。
でもたしかに、テレーゼは笑っている。
いつものままとはいかないけれど、わずかに調子を取り戻している。
「ホント……ホントにありがとね。わたし、クロードのおかげで生きてるよ。いやホント、大げさな言い方だけどホントにそうでさ。おまえ何度ホントって言ってるのかって話だけど、おまえの語彙さあって話なんだけど。でも、ホントにそうなんだ」
「……」
「ね、覚えてる? バルで最初にリリゼットと戦った夜のこと。わたしは勝ったんだけど、バーバラが突然現れてさ、わたしの過去を暴き立てて、糾弾してさ。あの時わたし、全部が終わったと思ったんだ。第二の人生と思って頑張って来たことが、積み重ねて来たことが、テオさんにウィルにアンナに、バルのお客さんたちに、長屋のおばちゃんたちに。みんなからもらった愛情とか、優しさとか、縁とかそうゆーものがさ、全部全部、無くなっちゃうんじゃないかと思って……でも、結果的には無くならなかったんだ。ね、それってさ……」
深く息を吸い込むと、テレーゼはひと息に言った。
「クロード、あなたのおかげなんだよ?」
これ以上ないほどまっすぐに、クロードの目を見つめてきた。
「わたしは……そのようなことは決して……」
ズキンと胸が痛んだ。
なぜかはわからないが、瞬時に顔に血が上った。
慌てたクロードは身を離して逃れようとしたが、しかしテレーゼが許してくれなかった。
クロードの肘を掴むと、いたずらっぽく言った。
「ダーメ、あなたが照れ屋なのは知ってるし、自己評価が低いことも知ってる。ストイック教? みたいなのを信奉してるのも知ってる。でもさ、事実は変えられないんだ。わたしはあの時、あなたのおかげで救われたんだ。こっちの世界で生きてていいんだって、本気で思えたんだ」
「わたしは……」
「いいから、聞いて」
なおも言い募ろうとしたクロードの唇に、テレーゼは人差し指をぴたりと押し当てた。
「わたしは嬉しいんだ。今も、あの時も、あなたが傍にいてくれる、そのことが。そして……そしてさ……あの時あの夜、あそこにはリリゼットもいたんだよ。あのコも、クロードみたいにわたしを救ってくれたんだ。だからわたしが、今度はあのコを救ってあげなきゃいけないんだ。絶対に、是が非でも」
「……っ」
核心を突く言葉に、クロードは硬直した。
「ね、クロード。お願い、わたしに力を貸して? わたしの大切な親友を救うために、力を貸して?」
「それは、もちろん……」
クロードが反射的にうなずくと、テレーゼはニコリと笑んだ。
「ありがと、クロードならそう言ってくれると思ってた」
幸せそうに目を細めると、クロードの首に両手を回した。
「でも今は……今はちょっと、力が出ないからさ……。ね、クロード。もう少しこのままでいさせて? わたしね、あなたに抱きしめられると心が落ち着くみたいなの。だからさ……」
「え、え? お嬢様……?」
クロードの戸惑いも、心臓が止まりそうなのも構わずに、テレーゼは繰り返した。
「お願い、このままで……ね、ダメかな?」
甘やかに、幼い子供がおねだりをするように。
テレーゼの活躍が気になる方は下の☆☆☆☆☆で応援お願いします!
感想、レビュー、ブクマ、などもいただけると励みになります!