「いつかまた」
──あなたのライバルでありたいの。
自嘲気味なリリゼットの言葉を聞いたわたしは、もう何も言えなくなってしまった。
だって、その痛みをわたしはすでに知っているから。
音大生時代に村浜沙織という絶対的な天才に遭遇して、さんざん打ちのめされて。
大好きだったピアノから逃げたくなるほどに追い込まれて、ついにはやめた。
リリゼットにとってのわたしという存在は、わたしにとっての村浜沙織そのものだったのだろう。
驚くほどの名曲を次から次へと紡ぎ出す頭、それを完璧に表現できる指運び。
音楽分析にも詳しく共演の経験も豊富、出来ないことなど何も無い。
それこそ天才だと思っている。
だからリリゼットは、ずっと傷ついていたんだ。
わたしが弾くたびに自分の無力に絶望し、わたしが決闘で勝利を治めるたびにその能力に嫉妬しながら──それでもなお──平気な顔をして友達として傍にいてくれたんだ。
だけどそれにも限界がある。
そして彼女のプライドが限界を迎えたそのひと言を発したのが、他ならぬこのわたしだったのだ。
──リリゼットみたいな恵まれた人にはわかんないだろうけど。
そんな意味で言ったんじゃないのは、リリゼットだってわかってるはずだ。
あれはあくまで、わたしが自己卑下するために選んだ言葉だった。
前世では何も無かったから、こっちに来たってすぐに自信なんか抱けるわけがないって。ただそれだけのひと言。
でもそれは結果として、リリゼットを深く深く傷つけた。
彼女を音楽院に縛り付けていた最後の綱を、断ち切ってしまったんだ。
「わたし……わたしは……」
いったいどうしたら良かったのだろう。
ピアノ弾きを続けていく以上、比較されないわけにはいかない。リリゼットを傷つけないというわけにはいかない。
だったら辞めれば良かったの?
ピアノを弾かず、それこそバルでウエイトレスでもしていれば良かったの?
そうすれば誰も傷つけず、リリゼットも傍にいてくれて──?
いやそれだと、そもそも友達になるきっかけがなくて──?
「リリゼットぉ、わたし……わたしぃ……」
胸を詰まらせ泣くわたしの頭を、リリゼットが優しく抱きしめてくれた。
彼女のつけているラベンダーの香水が、ふわりと鼻先をくすぐった。
「……大丈夫よ、テレーゼ。別にこれでお別れってわけじゃないから。わたしは音楽院を辞めるけど、あなたの友達までやめるわけじゃないから。たまにはバルに顔も見せるし、買い物行くとかならつき合うし」
「……でも、毎日は会えないんでしょ?」
鼻をぐずらせるわたしの頭を、リリゼットは愛おし気に抱え込んだ。
「うん……毎日は無理かもね。週3……週2もキツいか。せいぜい週1ってとこかな。ああもう、泣くんじゃないの」
リリゼットはわたしに頬ずりすると、愛しい子供をあやすように言った。
「お願い、わかってよテレーゼ。これはわたしと、そしてあなたのためなの。わたしとあなたが、これからも笑って向き合うために必要な儀式なのよ」
「……わたしとあなたが、笑って向き合うための?」
「そう。わたし、頑張るから。死に物狂いで演奏して、もっとずっと上手くなって、いつかまた、あなたの前に立って見せるから。誰に恥じることのない最強のライバルとして、いつか。だからそれまで待ってて、お願い」
その言葉を最後に、リリゼットは屋上を去った。
ラベンダーの香りだけを残して、わたしの前から姿を消した。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
「……」
リリゼットはもう戻って来ない。
もう一緒に授業を受けることはない。
登下校も全部、もう、二度と。
「……は、くっ……」
言葉にならない寂寞にわたしが耐えていられたのは、わずかに10秒ほど。
「ふぇ……うぐ……っ」
こみ上げた喪失感に耐えられなくなり、わたしはその場に座り込んだ。
胸を締め付ける寂しさに耐えられなくなり、わたしはボロボロと泣いた。
「うああああ~……っ」
そうこうするうちに、雨が降り出した。
ポツリ、ポツリ、ポツリ。
勢いは弱いけれど冷たい秋の雨が、制服を濡らしていく。
寒いのだけれど、濡れたくはないのだけれど、ダメだ、体が、動かない。
「お嬢様、大丈夫ですかっ!?」
誰に話を聞いたのだろう、クロードがやって来た。
綺麗な顔を心配そうに歪めながら、まっすぐに駆けて来た。
「クロード……」
忠実な従者であり、最大の友人であり、全人類を敵に回してすらわたしの味方をしてくれる青年が、わたしの目の前で片膝をついた。
「お嬢様、ご安心ください。お嬢様にはこのわたしがついております」
優しい言葉だった。
わたしの胸の傷に染み込むように優しく、そしてどこか懐かしい言葉だった。
初めてこのセリフを聞いたのはどこでだっただろう?
……ああそうだ、バルでのリリゼットとの音楽決闘の後だ。
バーバラに糾弾されて絶望していたわたしを、クロードは同じように救いに来てくれたのだ。
「うっ……」
ぐう、と喉の奥で何かが鳴った。
どばりと涙があふれ、世界のすべてが滲んで見えた。
衝動のままにクロードの胸にしがみつくと、わたしは懇願した。
「おねがい、たすけて」
子供が親にそうするように、全力ですがりついた。
あの時と同じように、この世で最も信頼する彼に。
リリゼットの捲土重来をお楽しみに。
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