「ライバル」
~~~リリゼット視点~~~
四校対抗戦のピアノソロを辞退する。
そう告げた瞬間、担任のリタ先生は真っ青になって書類を取り落とした。
慌ててどこかへ駆けて行ったかと思うと、すぐに体育教師などの力のある面子を連れて戻って来た。
その後は、推して知るべしだ。
リリゼットはそのまま学院長室へ連行、お偉方の前で事情を説明させられることとなった。
──怪我か、あるいは病気でもしたのか?
──そもそもどうして辞退する必要があるんだ? きちんと納得できるような説明をしなさい。
矢継ぎ早の質問に対しリリゼットは。
──怪我はしていません、体調も完璧です。
──辞退の理由はひとつです。それは、わたし以外の適任者がいるからです。
これ以上ない率直な答えに鼻白みながら、学院長たちはなおも高圧的に言い放った。
──勝手なことを言うな。そんなもの、おまえが決めることじゃない。
──今から代表を変えるなど許されるものか。子供のわがままに振り回される大人の身にもなれ。
しかしリリゼットは、すべての要求を突っぱねた。
これ以上話すことはありませんと一方的に対話を打ち切ると、そのまま学院長室を後にした。
「……さあーて、やっちゃったわね。でもま、思ったより気分はいいわね。スッキリしたわ」
廊下を歩きながらリリゼットは、清々したとばかりに肩を竦めた。
「後は処分待ちってとこかしら? このままお咎め無し、とはいかないだろうしね。自宅謹慎に停学、あるいは退学? ま、なんでもいいか。わたしの道はとっくに決まってるし」
そうだ、最初からこれで良かったのだ。
今後もピアノ弾きとして生きていくなら、こうするしかなかったのだ。
「後は野となれ山となれーっと」
どうでもいいやとばかりにつぶやいていると……。
「何言ってんの! そんなのダメに決まってるでしょ!」
突如響いた怒声に驚き振り返ると、そこにいたのはテレーゼだった。
白皙の頬を赤く染め、豪奢な金髪を逆立てて怒っている。
サファイアのように輝く瞳で、リリゼットをにらみつけてくる。
これまで見たことのないような怒り顔──しかしリリゼットは、微塵も驚かなかった。
彼女の性格を考えるなら、立場を考えるならそれが当たり前だろうと納得していた。
だけど表面上は、大いに意外そうに装った。
「あら、テレーゼじゃない。どうしてこんなところにいるの? 今って授業中でしょ? ほら、早く戻らないと」
「とぼけないで! あなたいったい何を考えてるのよ!」
テレーゼは、掴みかからんばかりの勢いで迫って来た。
「急に辞退するなんて言い出して! 今だって学院長室に呼び出されて! こってり絞られて来たんでしょ!? そうなるのは最初からわかってたんでしょ!? なのになんで……!」
嘘や誤魔化しはきかないぞといわんばかりの真剣な表情を見て、リリゼットはくすりと笑った。
なんだかとても、おかしかった。
「わかったわかった。言うわよ、言う。だけどまあここだとちょっと……だからどこか、人の来ないところに行きましょ?」
他のクラスの生徒や教師がなんだなんだと興味深げに顔を覗かせている中でする話でもないだろう、リリゼットはテレーゼを屋上に誘った。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
音楽院の屋上は、小さな公園になっている。
芝生が植えられプランターが並びフラワーアーチが設けられ、ベンチまで置かれている。
グラーツの街を一望出来る眺めも最高で、休み時間の息抜きに多くの生徒が訪れる人気スポットになっている。
授業中の今は、当然だが誰もいない。
リリゼットとテレーゼのふたりきり。
「さ、理由を聞かせなさいよ」
ベンチにどっかと腰掛けると、テレーゼは鼻息も荒く訊ねて来た。
「なんで急に辞退するなんて言い出したのよ」
「急に……か。まあそう思うわよね。普通に考えたら」
ベンチに座るよう求められたが、リリゼットは座らなかった。
落下防止のフェンス越しにグラーツの街を眺めながら、肩を竦めた。
「でもね、わたしの中では急じゃないの。ずっとずっと、考えてたことなの」
「……じっくり考えて決めたってこと?」
「そ。迷って、迷って、迷ってて……でもちょっとしたきっかけがあって。もうこれしかないってなって。それで決めたの」
「どうしてそんな……病気だとか怪我をしてるとかじゃないんでしょ?」
「先生たちにも聞かれたわ。『体調がいいならなぜ弾かんのだ』って。だからわたしは言ってやったの。『わたし以外に適任者がいるからです』って」
「それって……」
テレーゼはハッとしたような顔になった。
そうだ、この学院において明確にリリゼットより上と言えるピアノ弾きは、テレーゼを置いて他にいない。
ということは、適任者=テレーゼなのだ。
「そうよ、あなた。わたしでなくあなたが弾くべきだと、そう言ったの」
「だって、それは……っ」
「知ってるわ。慣例上の問題よね。二台四手の奏者とソロの奏者は掛け持ち出来ない。奏者の独占は生徒の健全な育成を阻害するからっていうことで決められた、暗黙のルール。でも、明文化されていないなら破ることが出来るじゃない。この土壇場でわたしが辞退したとして、他に適任者がいる? 本番まであと3日で、調整の効く人間がいる? そう、そうゆーこと。音学院の面目を保つためにも、お偉いさんたちはあなたを任命せざるを得ないのよ」
「……計算ずくだってこと? ハア~……、どうしてそこまでしてわたしに弾かせたいのよ」
テレーゼは、わけがわからないというようにため息をついた。
「みんなに迷惑をかけてまで、どうして?」
「言ったでしょ。あなたの方が上だから。わたしは代表としてふさわしくないから」
「何言ってるの。そんなのやってみないとわからないじゃ……」
「わかるのよ。……っていうか、わかるでしょ?」
リリゼットは自嘲気味に微笑んだ。
こんな情けないことを言う自分が、おかしくてしかたがなかった。
「今のままじゃ、逆立ちしたってわたしはあなたに勝てない。にも拘らず代表でございなんて顔してるようじゃ、極論、未来が無い。だから自分を追い込みたかったの」
「自分を……追い込む……?」
どういう意味なのかと目顔で問いかけて来るテレーゼに、リリゼットは。
「ねえ、あなた以前言ってたわよね。わたしに。『リリゼットみたいな恵まれた人にはわかんないだろうけど』って。あれってたぶん、家柄のことを言ってるのよね? お金持ちの家に産まれて、たくさんの召使いにかしずかれて、ピアノの腕もそこそこで。あの時ね、実はわたし、ものすごくムカついてたの。ねえ、わかる? わたしはね、そんなのいらなかったのよ。お金も、召使いも、そこそこなピアノの腕も」
「あ……っ?」
リリゼットの言いたいこと、そして自らの失言に気づいたのだろう、テレーゼはハッと息を呑んだ。
「わたしはね、最高のピアノ弾きになりたいの。それ以外は何もいらないの。だからこの際、ぬるま湯から出ようと思ったの。すべてを捨ててあなたと同じ、何も無い状況からスタートして、本気でピアノだけに打ち込もうって」
「何も無い状況って……まさかリリゼット……っ?」
血相を変えるテレーゼに、リリゼットはあっさりと告げた。
「お偉いさんたちは今、わたしの処分を必死に考えてるところよ。自宅謹慎にするのか、停学にするのか、あるいは退学か。それぐらいにわたしはひどいことをしたから、学院の顔に泥を塗るような真似をしたから、何がしかの処分を与えなければ格好がつかないから。もちろんそうはならない可能性もあるんだけど、そんなのどうでもいいの。わたしはもう決めたから。学院を辞める。いわゆる自主退学ね」
「自主退学って……そんなのやめてよ、リリゼット。わたし、あなたがいなくなるなんて嫌よ……」
立ち上がったテレーゼが、リリゼットに歩み寄る。
じわりと目に涙を溜めながら、やめてよとせがんで来る。
「ダメ、もう決めたんだもの」
リリゼットはゆっくりかぶりを振ると、こう告げた。
微かに笑んで、自嘲気味に。
「ねえテレーゼ。お願い、わかってよ。わたしはね? 他ならぬ、このわたしはね? あなたのライバルでありたいの。ただの仲良しじゃ嫌なのよ」
リリゼットの旅立ち。
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