「クロードの好きな人」
「いっやあー、気持ちいいわね~。ホントに最っ高の夜っ」
『酔いどれドラゴン亭』からの帰り道、わたしは過去一ぐらいにご機嫌だった。
なぜって?
それはもちろん初仕事が上手くいったから。
「ねえ、見た? 見た? お客さんがみんな褒めてくれたの。わたしの演奏が素晴らしいって、上手いって、隅っこの席にいたおじいちゃんなんか、感動して泣いてたんだよ。ねえ、すごいでしょわたしっ?」
元の世界でも、褒められたことはたくさんあった。
でもそれは、「器用ねー」とか「よく曲を読み込んできたわねー」とか「上手いこと調整して来たわねー」みたいな、コンクールという評価基準ありきの賞賛だった。
だけど今回は違うのだ。
お客さんたちは純粋にわたしの演奏を楽しんでくれた。
なんのしがらみも打算もない世界の中で賛辞をくれた。
歓声をくれて、チップを投げてくれた。
音楽バルという狭い空間の中を跳ねまわった歓喜の大波は、わたしの体の細胞のひとつひとつに至るまでを喜びで満たしてくれた。
わたしの両隣という特等席に座って聞いていたウィルとアンナはもちろん、お客さんすべてに感謝のハグをして回りたいくらいにわたしはそう、嬉しかったのだ。
「お嬢様、見事な演奏でございました。音楽の素養の無いわたしにもわかるような、それはもう素晴らしいものでした」
クロードもまた、素直な賛辞の言葉をくれた。
胸に手を当て、すっと目を細めて。
心からわたしの成功を喜んでくれているのが伝わってくる。
「えっへっへっへー……まあーでもね? 本気になればもっとすごいの弾けるんだけどね? 今夜はまだ弾き始めだから指が回らないし動かないし体力も続かないしでけっきょく6曲しか出来なかったけど、次はもっと長くて難しい曲だって弾いて見せるから。ちょうど明日明後日はお休みってことだから、その間は指トレと体力づくりね。あ、大丈夫よ、心配しないで。ピアノが無くてもトレーニングは出来るから。両手の親指からこう順番にググー……っと持ち上げてストーンって落としたり、左右の手を揉んだり伸ばしたりね。やる気になれば、どこでだって出来るんだから」
「……そうですか」
「ま、1日2日じゃたかが知れてるけどねー。それでもやらないよりはマシだし。職業ピアノ弾きとして、やれるだけのことはやって見せるわ。『酔いどれドラゴン亭』をグラーツ一の音楽バルにするって、あれはわたし、本気で言ってるんだからねっ」
「……そうですか」
ピアノを弾いたことによる高揚、お客さんから浴びた賞賛、美味しいエールの酒精も加わって、わたしの自慢はとどまるところを知らない。
「欲を言えばもう少しお給料高い方がいいんだけどねー。まあでも、まかないは美味しかったし、今日なんかほら、初日なのにも拘わらずこんなにチップもらったしね」
わたしは小袋に一杯になったチップを得意になって掲げて見せた。
チップの払いは天井に吊るしたザルに投げ入れるという古風なものだが、今日はその半分ほどが埋まっていた。
テオさんによると、たかだか6曲でこれほどのチップを貰う奏者は見たことがないらしい。
他のもっと大きな音楽バルで名のあるプロが弾いたって、これほどまでは埋まらないそうだ。
もちろん多少のリップサービスはあるかもだけど、あるかもだけど、それにしたってねえええー?
「ほとんど銅貨だけどさ、1枚だけ銀貨も入ってたのっ。これで少しはわたしも、家計に貢献できたかな? ねえ、クロード?」
「それはもう、十分でございます」
「ホント? よかったあーっ」
これでニート生活ともおさらばだ。
ようやく一人前の人間として名乗れるようになったのだと、感慨もひとしお。
もっともこれぐらいじゃあ、今までクロードにお世話になった分には全然及ばないんだろうけどね。
わずかでも恩返しを出来たのなら嬉しいし、これからだって弾けば弾くほど返せるわけで。
アラフォー女子のわたしとしてはもちろん家事だって出来るわけだし、金銭面での負荷が等分に出来るなら、それはほとんど対等な関係だ。
執事とお嬢様ではなくただの美形の男女としてあわよくば……なーんて、さすがにそれはないか。
生前のテレーゼの所業を考えると、クロードがわたしを好きになってくれるなんてあり得ないもんね。
わたし自身もまあー喪女歴が長いし、そういう関係に憧れこそあれど、実感としてはまるで湧かないしなあー……。
「……っと、どうしたのクロード?」
ふと気が付くと、クロードが立ち止まっていた。
少し離れたところからわたしのことを、不思議そうに眺めてた。
「いえ、なんでもございません。ただ、お嬢様がとても幸せそうに見えたもので」
「そう? ……うん、そうかもね。初仕事が上手くいって、これからの生活にも明かりが見えて、テンション上がってるのかも」
「わたしは正直、心配していたのです。王都からこっち、何せ色々ありましたから」
「ああー……まあね」
婚約破棄王都追放お家勘当貧民生活、字面から漂う絶望感半端ないもんね。
「お嬢様から目に見えて生きる気力が失われていくのがわかり、執事としてどうすればいいのかと悩んでいたのですが…………………………お元気になられたようで、本当に良かったです」
沈黙の長さが、イコール真心の深さだ。
クロードという男は、本当にテレーゼのために心を痛めていたのだろう。
いいコだなあー、と思う。
あれだけ雑に扱われていたテレーゼに、よくぞここまで忠義が尽くせるものだ。
普通なら、就任その日にバックれたっておかしくないのに。
貯金をはたいて、定職すらかなぐり捨てて(お給金払えてないから実質無職)、よくもここまでついて来てくれたものだ。
「……ありがとね、クロード」
お礼を言いながら考えた。
クロードのために出来ることが何かないか。
といってもお金はさほどないから、それ以外の分野で。
肩たたき券……なんでも言うことを聞く券……んー、そういう子供じみたものじゃなく……そうだ、クロードは幼い頃からテレーゼに仕えて来たから、気の休まる暇なんてなかったはずだ。
友達と遊ぶことも、彼女を作る暇だってなかったに違いない。
とすると……。
「ねえ、クロード。これからはわたしに気を使わなくてもいいからね? 家事だってわたしが半分するし、お金だって頑張って稼ぐから、自分の時間を作ってもいいんだからね?」
「お嬢様が家事を……自分の時間を作る……?」
突然の申し出に、困惑の表情を浮かべるクロード。
わたしが家事をするということもそうだが、自分の時間という今まで考えたこともない概念に戸惑っているのだろう。
ああ、ブラック派遣会社も真っ青なクロードの勤務体制よ。
「誰にも縛られることのない自分の時間を持つのよ。たとえば趣味を作ったりとか、友達を作ったりとか、彼女を作ったりとか。そうやって人間は人間らしさを保っていくんだから」
「……彼女?」
「そう、恋人。あなただってあるでしょ? あの女の子可愛いなあー、とか、綺麗だなあーとか、デートしてみたいなあーとか、思ったりしたことがさ」
「そっ……そのような方はおりませんし、思ったこともありません」
おっとクロード君、今までにない反応。
顔を赤らめて、わたしから視線を逸らしている。
「あれ? あれあれあれ? クロードもしかして、好きな人いる? いるの? ホントに?」
「いません」
「ウソウソウソっ、いないって反応じゃないもんっ。絶対なんかあるやつだもんっ」
「いないと言っているでしょうっ」
強めにかぶりを振るクロード。
その初心な反応が面白くて、わたしはついつい悪ノリしてしまう。
「あらあらあら、可愛らしい~。んん~、クロード君も青春してるんですねえ~。んでなに? クロード君の心を射止めたのはどこのどなたさま? お姉さんに聞かせてみなさいな、決して悪いようにはしないから。ほれほれほれ~」
ウリウリと肘で突つくと、クロードは一瞬強い目でわたしを睨んだ。
それは執事が主人に向ける目じゃない、男の子が同年代の女の子に向けるような、怒りの瞳だ。
「……ひえっ?」
ヤバい、やりすぎたか。
そう思ったわたしは、慌てて後ずさって両手を振った。
「ご、ごめんねクロード。ちょっと悪ノリしすぎたかも。ごめんね~、おばさんってやつはこれだから~……じゃなくてっ。ええとその、ええと~……? あ、あは、あはははは~っ。きっとお酒のせいかも~?」
なんとかフォローしようとするものの、焦りすぎて上手い言葉が出て来ない。
あげく自分で自分をおばさんとか言っちゃってるし。
いないからっ、中の人などいないからっ。
お願いっ、いないことにしておいてっ(必死)。
「と、と、とりあえず帰ろうか。夜も遅いし、ぐっすり寝て、明日に備えないとね。あ、あはははは~……っ」
ここは早く家に帰って、寝て、起きたら昨日のことは全部お酒のせいだったってことにして誤魔化そう、それしかない。
んーしかし、好きな人のこと聞いただけでこんなに怒るもんかなあー……。
思春期の男の子って難しいなあー……。
一応わたしにもそれぐらいの年齢だった頃はあったはずなんだけど、異性との交流が根本的に欠如してたからわからないんだよなあー……。
忠義の塊みたいなクロードに、ちょっとだけ揺らぎが見えました。
彼の好きな相手ははたしてテレーゼなのか? だとしたらそれは、中の人(絵里)にはどういう意味を持つのか?
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