「小さな頃から」
~~~アンナ視点~~~
「さ、着いたわ。ここよ」
アンナとウィルのふたりがたどり着いたのは、裏路地の奥まったところにある雑貨屋だった。
黒猫の親子が描かれた看板が目印の店で、中には猫好き女子なら大喜びの商品がたくさんある。
「テレーゼ、けっこう猫好きだから喜ぶと思うわよ」
音楽院の敷地内に入り込んで来た猫を可愛いがり、甘い声を出していたのを覚えている。
住まいである長屋の周りにも野良がけっこういるのだとか、ボス猫とケンカしてわかり合ったとか嬉しそうに話していたのも(どういう状況なのかはさっぱりわからない)。
猫グッズは絶対にテレーゼの琴線に触れるはずだ。
「ホント? 助かるよ。わあ~、ホントに猫だらけだあぁ~」
店内に入ると、ウィルは驚きの声を上げた。
「でしょ? 最初来た時、わたしもびっくりしたの」
天井まである棚、吊るされたカゴ、床に置かれたバケツの中など至る所に猫グッズが溢れている。
あまりにも溢れすぎていて、ただでさえ狭い店内はお客が五人も入ればいっぱいになるぐらいの狭さになっている。
「香りも独特でしょ。すっきり上品な香り。ラベンダーとマタタビを配合してるんだって」
「へええええ~マタタビ? 凝ってるなあ~」
感心、というようにうなずくウィル。
その後もアンナはあれこれと店のことを教えてやった。
売れ筋がどれであるとか、どういったお客さんが買いに来るとか、相当な常連でないとわからない情報まで。
気が付けば10分ほども経過していて……。
「アンナも猫好きなんだね。もしかして常連?」
ウィルがくすくすおかしそうに笑うのに、アンナは動揺した。
「う、うるさい! しょうがないでしょ! 猫が嫌いな女子なんていないんだから!」
とたんに恥ずかしくなったアンナは、ウィルの肩をバシバシ叩いた。
「いいからちゃっちゃと探しなさい! テレーゼにプレゼントするんでしょ!?」
「うんわかってる、わかってるってば。痛い痛い痛いっ」
ぎゃあぎゃあとわめきながら、ふたりは商品を見て回った。
そして──
「これだ、これがいい」
ウィルが選んだのはレターセットだった。
あくびをする黒猫がデザインされた茶色の便箋と封筒のセット。
最近クラスの女子の間で手紙を出し合う遊びが流行っているのを知っているのだろう、男子にしてはいい目の付け所だなとアンナは感心した。
「ふうん……あんたにしてはいいセンスじゃない?」
「そう? やったあ」
ウィルは素直に喜びを表すと、すぐに会計を済ませに行った。
「……」
ウィルの背中を眺めながら、アンナは不思議な感慨を抱いていた。
小さな頃から一緒に育って来た、家族のような男の子が女の子にプレゼントを贈る。
恥ずかしいだろうに自分に頼んで、わざわざここまで出向いて。
商品を選ぶのも真剣だった。
これを贈ったらテレーゼは喜ぶだろうか、喜ぶとしてそれはどんな形のものだろうか。
相手の心情をじっくり考えるその姿は、女子としてとても好ましいものに見えた。
「……いいなあ」
アンナはぼそりとつぶやいた。
自分もあんな風にプレゼントを贈ってもらえたら、あんな風に真剣に悩んで、考えたものを贈ってもらえたら。
きっととても嬉しいはずだ。
絶対そんなことはしないけど、飛び上がって踊り出したくなるほどに嬉しいはずだ。
もちろん誰であってもいいというわけじゃない。
素直で、人格的に好ましい人で。
優しくて、一緒にいると気持ちが暖かくなる人で。
どんなに辛い事があっても最終的には前を向ける、尊敬に値する人で……。
□ ■ □ ■ □ □ ■ □ ■ □ ■ □
考え事をしているせいで大人しくなったアンナを気づかってだろう、帰り道はウィルが積極的に話しかけて来た。
クラスのこと、今度行われる四校対抗戦のこと。
バルで起こった些細なこと。
アンナの家業である病院のこと。
互いの家族のこと。
飾り気はないけど、相手の気持ちを思いやった暖かい喋り方だなと思った。
優しく暖かい雨だれのようなそれを、アンナは気持ちよく浴び続けた。
「あ、もうすぐ家だね」
ふと気が付けば、ふたりは自宅にほど近い公園に差し掛かっていた。
路上演奏家がヴァイオリンで狂おし気な愛の曲を奏でる中──
「そうだアンナ。これ」
落ち葉を踏みしめながらウィルが立ち止ったのにつられて立ち止まると、アンナの目の前に急にそれが差し出された。
黒猫の親子がデザインされたは茶色い包みは、例の雑貨屋のものだが……。
「え? どうしたの急に?」
「お礼だよ。日頃お世話になってるから、アンナにも。こういうのはちょっと恥ずかしいんだけど……」
「わたしにもくれるってこと? ホントに?」
家が近所の幼なじみで、いつでも一緒で。
気安すぎるあまりプレゼントの贈り合いなんてしたことがないふたりだ。
ウィルは恥ずかしそうにはにかみ、アンナは大いに戸惑った。戸惑ったが……。
「……ありがと」
嬉しい、素直に思った。
テレーゼだけではなく自分にもくれるんだと、心が躍った。
「ここで開けていい?」
「うん、もちろん。気に入ってくれればいいんだけど……」
喜んでもらえるかどうかおっかなびっくり、といった風情のウィルの視線を感じながら開けてみると、包みの中に入っていたのはクリーム色のハンカチだった。
刺繍されているのは胸だけ白い茶色の猫だ。
たしかフォレストキャットいう種類だっただろうか。
長毛種で、賢者みたいに理知的な瞳をしていて、胸を張って前を見る姿がとてもかっこいい。
「あ、これ……っ?」
店内をウィルが物色している最中に、自分でもこれはいいなと思って眺めていたものだ。
だけどウィルの目の前で買うのは嫌だなと思って眺めるだけにとどめておいたのだが……。
「うん。アンナ、ずっとそれ見てたでしょ。きっと気に入ったんだろうなあって思って」
「……見ててくれたんだ?」
ウィルは恥ずかしそうに頭をかくと、こくりとうなずいた。
「ありがとう。とっても嬉しい。でも……ホントにもらっていいの?」
「良かった。うん、もらってくれると嬉しい。ホントにボクって、昔からアンナにはお世話になりっぱなしで……これぐらいで恩が返せたとは思わないけど……。でも、少しずつでも返していかなきゃなと思ってて……」
言ってるうちに恥ずかしくなってきたのだろう、ウィルは顔を赤くすると、慌てたように手をぱたぱたさせた。
「おっと、そろそろ時間だっ。お店の手伝いしないとお父さんに怒られちゃうっ。アンナ。ボク、もう行くねっ? 今日はホントに、ありがとねっ?」
早口で言うと、ウィルは逃げるようにその場を去った。
「……」
ひとり残されたアンナは、しばらく動けずにいた。
ウィルの背中を見送りながら、呆然としていた。
「……」
衝撃があった。
体の奥を、電流のようなものが走り抜けたのがわかった。
体中が熱を帯び、熟れたトマトのように顔が赤くなっているのも。
息苦しく、どうしようもなく胸が痛むのも。
「……どうしよう」
気づいてしまった。
その瞬間、アンナは気づいてしまった。
「……わたし、どうしよう」
自らの気持ちに。
小さな頃から抱いていた、そして今の今に至るまで自覚のなかったその想いに。
「わたし、ウィルのことが……」
好きなんだ。
だけど、それを口にするのは躊躇われた。
言語化してしまえばさらに痛みが、動悸が激しくなるのがわかっていたから出来なかった。
自分たちは幼なじみで、ほとんど家族のような関係で、男とか女とかそういった敷居は無くて。
周りからからかわれることがあっても、そんなの何よと気にも止めていなかったのに。
これからはもう、誤魔化すことが出来ない。
だってもう、気づいてしまったから。
自分の気持ちに嘘をつくことだけは出来ないのだから。
そして──
そうだ、そうなのだ──
「どうしよう……だってウィルは……」
テレーゼに恋をしているのだ。
自分ではなくテレーゼに。
美しくて優しくて、話しやすくてピアノが上手くて、ウィルの母であるミレーヌにどこか面影の似ているあのテレーゼに、紛れもない好意を寄せているのだ。
「……痛っ?」
ズキン、胸の痛みが強くなった。
強烈なそれに耐えかね、アンナはその場にしゃがみ込んだ。
胸を押さえてつぶやいた。
「どうしよう……どうしよう……」
何度も、何度も。
取り返しのきかない気づきを、これから耐えていかなければならない日常を。
アンナは恐れ続けた。
気づいてしまったアンナ。
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