「袋男④」
~~~ザムド視点~~~
──ああああああもう! 愛っていったいなんなんだああああああーっ!?
ピアノを弾きながら絶叫するテレーゼを眺めながら、ザムドは腹を抱えて笑っていた。
「あっはっは、ホントにテレーゼちゃんは面白いねえーっ」
周りの客も楽しげに笑っている。
酔っぱらって騒いで、大声で声援をおくっている。
他のピアノ弾きだったら絶対あり得ないような光景だが、これもまたテレーゼという少女の特徴であり、魅力なのだと思う。
「……やれやれ、なんだこの演奏は。エレガントさの欠片も無い」
そう言って顔をしかめたのは、相席していたエメリッヒだ。
「酔っ払ってでもいるのか? 感情が先走りすぎだ。まったく……」
「そんなこと言ってパパ、テレーゼ様に見惚れちゃってるくせにいぃぃぃ~」
「なっ……何を言ってるんだカーミラっ!? わ、わたしと彼女はあくまで教師と生徒の関係であってだなあ……!」
「あーあーあー。そんな必死になって誤魔化さないで、自分の気持ちに素直になればいいのにいぃぃぃ~」
エメリッヒにツッコみを入れているのは、12、3歳ぐらいの少女だ。
会話の流れを聞く限り、カーミラという名のその少女はどうやらエメリッヒの娘らしい。
やたらと圧の強そうな目をしているのが気になるが……。
「大丈夫よ、あたし、パパの気持ちはわかってるから。教師と生徒の道ならぬ恋ってやつでしょ? 愛し合ってはいけない者同士だからこそ燃え上がるやつでしょ? 大丈夫大丈夫、わかってる。あたし、そうゆーのに詳しいんだから。新聞の読者投稿欄にたくさん書いてあったんだから」
明らかに偏った情報源、しかしこれ以上ないドヤ顔でカーミラは告げた。
「だからね、ここはあたしに任せておいて。ちょこちょこっとテレーゼ様に耳打ちして、パパの好感度を爆上げてして来るから。そんでもってデートしてもらってつき合ってもらって、最終的にはあたしのママになってもらうんだから。ぐふ、ぐふ、ぐふふふふふ……っ」
どこか突き抜けた笑みを浮かべるカーミラはさらに。
「さ、そうと決まったら善は急げね。あたし、テレーゼ様をデートに誘って来るからっ。もちろんあたしじゃなく、パパとのデートね? あたしとのデートだったらそれはそれでいいというか、むしろ最高なんだけどこの場合は将を射んとする者はまず馬を射よというかそんな感じでっ、じゃっ」
マイペース極まりない娘が去って行った後、取り残された父はハアと大きなため息をついた。
「まったくカーミラは……引きこもりが解消されたと思ったらこれでは……。テレーゼ君があくまで冗談の一環としてとらえてくれればいいのだが……」
疲れたようにテーブルに突っ伏すエメリッヒ。
「なあ、あんたさ、ずいぶん変わったよな」
ザムドが話しかけると、エメリッヒは目だけをこちらに向けて来た。
「……なんだ、君か」
かつて言い合いをしたことを思い出しのだろう、目を鋭くして身構えた。
「変わった、とはなんのことだ? またぞろ、言い合いでもしようというのか?」
「そのつもりはないよ。俺はいつも思ってることをそのまま言ってるだけ。遠慮とかいう言葉を知らんから、結果的にそうなることが多いけどね」
肩を竦めると、ザムドは続けた。
「ホントにさ、変わったって思ったんだ。だってこの間までのあんた、ずっと余裕ない感じだっただろ? 音楽決闘をするんだ、テレーゼちゃんに勝つんだって、前ばかり見てさ」
「……まあそうだな。否定はしない」
「聞けば、その後に音楽堂でも決闘して、そこでもやっぱり負けたらしいじゃない。なのにどうしてそんなにスッキリした顔をしてるんだい?」
「スッキリした顔をしている? わたしが? そうか……そんなものか」
そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、エメリッヒは目を丸くしながら自らの頬に手で触れた。
「あれかい? とうとう諦めた? もう勝負する必要がないから肩の力が抜けたとか、そういうことかい?」
「諦めた? バカを言え」
エメリッヒはふんと鼻を鳴らした。
「言っただろう、わたしは誇りあるピアノ弾きだ。弾くことを、挑むことをやめるのは死ぬ時のみだ。たとえ相手がどれほどの強敵であれ、勝ちを諦めることは許されん」
「へえ~、たいしたもんだ」
「……今、バカにしただろう。まあいいさ、この気持ちは同じピアノ弾きにしかわからんよ」
吐き捨てるように言うと、エメリッヒはステージ上を見つめた。
カーミラに絡まれ困り笑顔を浮かべているテレーゼを見つめた。
「……もちろん怖いさ。このまま勝てずに終わるのではないか、自分はいつまでも負け続けるのではないか。同時代に産まれた天才の陰で、くすぶり消えていくのではないか。だが……それでもだ」
その瞳にあるのは憧れだ。
鳥に憧れ空を見上げる人のような。
月の光に憧れ手を伸ばす人のような。
憧れと羨望。
「……そうすることに意味があるんだ。絶対、あるんだ」
自らに言い聞かせるようにつぶやくエメリッヒ。
無理とは知りつつ諦めようとしないその姿勢に、ザムドはやはり首を傾げた。
無理なら諦めればいいのに、そんなの辛いだけなのに。
グラーツの暗部に産まれ育った彼にとって、それはどこまでも理解しがたいもので……。
だけど、なぜだろう──
その瞬間だけはエメリッヒのことが、まぶしく見えた──
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